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長嶋一茂、父茂雄さんに「言わせてはいけなかった言葉」回顧「約30年前、すごく悔いが残った」


巨人終身名誉監督である長嶋茂雄さんが89歳で亡くなり、長男の長嶋一茂が6日「羽鳥慎一モーニングショー」で父を振り返りました。茂雄さんの指導のもと、選手として奮闘した一茂は、茂雄監督から直接戦力外通告を受けたことに関して「父に言わせてはいけなかった言葉」と悔やんでいます。一茂は野球を通じて父親の偉大さを知る一方、競技の厳しさや父の影響に葛藤したことを告白しました。特に、巨人で父との最後の期間について「胴上げを夢見たが叶わず、引退宣告も悔やまれる」と語り、プロであるがゆえに父親との距離感にも複雑な思いを抱いたことを明かしました。

長嶋一茂(2019年10月撮影)

3日に89歳で亡くなった巨人終身名誉監督、長嶋茂雄さんの長男でタレントの長嶋一茂(59)が6日、金曜コメンテーターを務めるテレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜午前8時)に生出演。茂雄さんが監督時代に巨人に在籍した自身が、父から直接戦力外通告を受けたことを振り返り「父親に言わせてはいけなかった言葉だと思いますね」と口にした。

一茂は1987年のドラフト会議でヤクルトに1位指名され、入団。プロ初安打でホームランを打つなど活躍した。1993年に巨人にトレード移籍。茂雄さんの2度目の巨人監督就任と重なり、親子で巨人に在籍する形になったが、1996年オフに茂雄さんから戦力外通告され、現役を引退した。

番組MCのフリーアナウンサー羽鳥慎一に「偉大な野球選手として、息子から見て(茂雄さんは)どうでした? 子どもの時の思いとプロになってからの思いは」と問われた一茂は「小学校の時は、ほぼみんな野球をやっていた時代。友達が始めたから野球を始めたところがあって、中学校では野球をやらず、小学校、高校、大学でやってプロに行くんですが、おもしろくて始めた野球が、だんだん真剣にやらないといけない野球に変わったのと、父親の存在が偉大すぎたので、近くにいた父親が、野球をやるたびにどんどん離れていく感じになりました」と告白した。

「周りの人は『君のお父さんはね』からだいたい(会話が)始まる。それがずっと続くと『なんだろうな』みたいな時は若いときはあったけれど、父親の偉大さは、野球をやっていたからこそ分かったんでしょうね。やっていなかったら、野球の話もしなかっただろうし。(自分が)野球以外のことをしていたら、これほど影響を受けることなかったと思う。野球のユニホームの時の父と、家庭での父親。両方見させてもらった」と振り返った。

羽鳥が「最後は同じ(巨人の)ユニホームを着て、最終的に、お父さんに『(現役)終了』と言われる。そこはどうですか」と、突っ込んだ質問をすると、一茂は「父親に言わせてしまってはいけなかった言葉だなと、やっぱり、思いますね。約30年前の話ですが、あそこはすごく、悔いが残った」と切り出した。

「父が2回目にジャイアンツの監督を引き受けたときはちょうど松井(秀喜)選手が入団し、私もヤクルトからトレードされた年。ああ、なんとか父親のことを胴上げして、自分も胴上げの輪に入りたいとずっと思っていたんだけど、その輪の中に入るには、しのぎを削っている人たちがほかにもたくさんいてプロの世界は厳しいので、なかなかそういう中に入ることもできなかった。胴上げの時に、父親にも触れなかったんだけどね」と振り返った。

「少し距離はあったんだろうけど、最後、引退の宣告を父親にさせてはいけなかったなと。30年前、悔やまれることだけど。今悔やんでも、しょうがないけれど…」と語った。

茂雄さんは3日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で亡くなった。同日午後に茂雄さんの遺体を乗せたとみられる車が都内の自宅に到着した際、一茂は、次女の三奈さんとともに付き添っていた。

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