
<ニュースの教科書>
「上を向いて歩こう」で知られる歌手・坂本九(享年43)が、没後40年を迎える。
1985年(昭60)8月12日の日航ジャンボ機墜落事故で亡くなった。関係者は節目の命日を起点に、歌や業績をあらためて未来へつなぐ多角的な「坂本九プロジェクト」(仮)を始動させる。今も坂本しかいない日本人の全米シングルチャート1位の快挙は、ザ・ビートルズの全米デビューを遅らせたといわれる。世界も認めた足跡を振り返る。(敬称略)【笹森文彦】
■3週連続1位
「上を向いて歩こう」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)は、国内で61年10月に東芝レコードから発表され大ヒットした。
それを受け、62年にイギリスで日本を想起させる「SUKIYAKI」に改題され、インストゥルメンタルで発売された。ヨーロッパ各国でも、さまざまなバージョンで発売された。
63年春、アメリカのラジオ局が坂本本人のレコードを入手して紹介した。大きな反響があった。
米キャピトル・レコードのディレクター、デイヴ・デクスター・ジュニア(48)が、それに敏感に反応した。ヨーロッパに従い「SUKIYAKI」のタイトルで、日本語のまま63年5月3日に全米発売した。
坂本は、米ロカビリー歌手エルビス・プレスリーにあこがれていた。その影響で、ロカビリーが起源といわれるしゃくり上げるような「ヒーカップ唱法」を身につけていた。それが日本語のままで発売された理由の1つといわれる。
同曲は同年6月15日付の全米シングルチャート(Billbord Hot 100)で1位を獲得。日本人歌手の日本語曲の全米1位は史上初の快挙で、現在も他にいない。3週連続で1位となり、約3カ月にわたりチャートインした。英語以外の曲の全米1位は史上2曲目だった。
実は63年は、イギリスでEMIのザ・ビートルズの人気が沸騰し始めていた。プロデューサーのジョージ・マーティンが「ビートルズの曲を全米で発売してほしい」と、傘下のキャピトルの首脳陣に強く求めていた。しかし、デイヴは「イギリスのミュージシャンがアメリカで成功した例はない」として、坂本を優先してデビューさせた。
デイヴがビートルズを認めたのは「抱きしめたい」からで、坂本の全米1位から約半年後の63年12月26日に、全米デビューを果たした。このタイミングが奏功した。ビートルズ旋風が巻き起こり、翌64年4月4日付で全米シングルチャート1位から5位独占という快挙を達成した。坂本は、ビートルズの歴史にかかわっていたのだ。
ビートルズと同様に、坂本と同時代にいたのがボブ・ディランである。2人とも1941年生まれで、ともにプレスリーにあこがれていた。ディランの代表曲「風に吹かれて」をピーター・ポール&マリーが63年6月にカバーして、全米シングルチャート2位になった。チャートのライバルは坂本だった。
坂本が急逝した翌年の86年3月の日本公演で、ディランは「上を向いて歩こう」をギターで演奏した。コメントはなかったが、感激した観客は演奏に合わせて大合唱した。ディラン流の追悼だったのだろう。
■ハーモニカで
スティービー・ワンダーは坂本が亡くなった直後の85年11月の日本公演で、「上を向いて歩こう」をハーモニカで演奏した。後日のインタビューで「坂本九の歌は欧米人の好奇心を揺さぶった。感情とサウンドの両面で、日本的なメロディーにモダンなビートが使われていた」と評価した。
実は坂本が3週連続で全米1位となった同じ年の8月10日付から、リトル・スティービー・ワンダーと名乗っていた13歳のスティービーも「Fingertips pt.2」で3週連続1位を獲得した。初の全米1位で、スティービーも坂本と同時代にいた。
「上を向いて歩こう」は、かつて英国放送協会(BBC)が選定した「世界を変えた20曲」に選ばれた。「勝利を我等に」(ジョーン・バエズ)「イマジン」(ジョン・レノン)「風に吹かれて」などと並んである。理由は「政策や演説以上に、かつての敵に対するアメリカ人の態度を変えるのに役立った」。
最近でも米人気歌手ブルーノ・マーズが、東京ドーム公演で「上を向いて歩こう」を歌った。
坂本はかつて「もう『上を向いて歩こう』は僕だけの歌じゃない。世界中の人の歌なんだ。僕はそのメッセンジャーボーイになれただけでも光栄です」と謙虚に話した。坂本九は、今も世界で生きている。
◆日航ジャンボ機墜落事故 1985年8月12日、羽田発大阪行きの日本航空123便(ボーイング747)が午後6時12分の離陸約44分後に、群馬県上野村の御巣鷹山に墜落。乗客乗員524人のうち520人が死亡した史上最悪の航空事故。後部圧力隔壁の破損等に伴う制御不能が主な原因。中埜肇・阪神タイガース球団社長、浦上郁雄・ハウス食品工業社長、女優・北原遙子らが死去した。
■命日8・12へ「坂本九プロジェクト始動」
「坂本九プロジェクト」は、坂本が所属したマナセプロダクションとユニバーサルミュージック合同会社が軸となって展開する。
今年は没後40年と、坂本が活躍した「昭和」と「放送」の100年が重なった。その節目に「坂本のエンターテインメント性を未来に伝える」としている。
命日前後を起点に、新たなベストアルバムや、坂本の曲をカバーしたアーティストのコンピレーションアルバムを発売する。若手アーティストのカバーも新録したい意向だ。
またヒットしたミュージカル「見上げてごらん夜の星を」(原作・永六輔、音楽・いずみたく)の新配役による再演も検討する。この他、坂本の映画やドラマ、歌番組をリマスターしての配信。アパレルブランドなど、さまざまな業種との連携も模索する。
プロジェクトとの連動ではないが、岡田准一の主演映画「SUKIYAKI 上を向いて歩こう」(瀬々敬久監督、26年公開予定)の製作も決定している。
プロジェクトは決定次第、順次発表する予定だ。
<坂本九アレコレ>
▼生誕 1941年(昭16)12月10日、川崎市生まれ。本名・大島九(ひさし)。妻は女優柏木由紀子、長女は大島花子、次女は舞坂ゆき子。
▼ロカビリー 16歳の58年に井上ひろしとドリフターズを経てダニー飯田とパラダイス・キングに加入。東京・日劇ウエスタンカーニバルで人気者に。59年レコードデビュー。
▼「上を向いて歩こう」 NHK「夢であいましょう」で61年8月に初披露。世界約70カ国で発売され、レコード総売り上げは1000万枚以上。外国人として初めて全米レコード協会のゴールドディスク(100万枚突破)に選ばれた。
▼ヒット曲 「見上げてごらん夜の星を」「明日があるさ」「幸せなら手をたたこう」「涙くんさよなら」「レットキス(ジェンカ)」「心の瞳」など。
▼紅白歌合戦 61年の第12回から11年連続出場。19、20回は白組司会。NHKアナウンサー以外の白組司会者は初めて。
▼選抜高校野球 入場行進曲に「上を向いて歩こう」(62年)「幸せなら手をたたこう」(65年)「ともだち」(66年)「世界の国からこんにちは」(67、70年=競作)「明日があるさ」(02年)の最多6回起用。3年連続は坂本だけ。
▼チャリティー 札幌テレビの福祉番組「ふれあい広場・サンデー九」に9年間、無償で出演。日本初の手話の歌「そして想い出」を発表している。
▼カバー 「上を向いて歩こう」は忌野清志郎、桑田佳祐、玉置浩二、美空ひばり、テイスト・オブ・ハニー、4PM、ベン・E・キング、ディック・リーら多数がカバーしている。
▼墓地 東京・長谷寺。戒名は「天真院九心玄聲居士」(てんしんいんきゅうしんげんせいこじ)。