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「霧の中の少女」歌手の久保浩が死去、78歳 脳出血による衰弱のため 日本歌手協会が発表


歌手の久保浩さん(本名:久保正憲)が4月16日に脳出血による衰弱のため、岡山市内で78歳で亡くなりました。久保さんは、1946年11月1日生まれで福岡県北九州市出身です。「霧の中の少女」でデビューし、甘いルックスと清潔感のある低音の歌声で人気を博しました。「白百合悲し君に似て」「哀愁の街に霧が降る」などのヒット曲もありました。久保さんの名づけ親は鶴田浩二さんです。16年に一度脳出血を発症して復帰するも、24年に再発し療養生活を送っていました。彼の死を受け、6月5日に開催される日本歌手協会のイベントで親交の深かった三田明さんが彼をしのび、代表曲「霧の中の少女」を歌う予定です。

久保浩さん(2010年6月撮影)

歌手の久保浩(くぼ・ひろし、本名:久保正憲=くぼ・まさのり)さんが、4月16日12時01分、岡山市内の病院で、脳出血による衰弱のため78歳で亡くなっていたことが28日分かった。同日、日本歌手協会が発表した。

告別式は、4月18日に遺族の意向により家族葬にて執り行われたという。喪主は長男の知也(ともや)さん。

久保さんは、1946年(昭21)11月1日生まれ、福岡県北九州市出身。青春歌謡ブームの64年に作曲家、吉田正さんの門下として、ビクターレコードから「霧の中の少女」でデビュー。甘く端正なルックス、低音で清潔感のある歌声で、橋幸夫、三田明に続いて“吉田学校”の青春歌手として人気を上げた。名づけ親は鶴田浩二さんで、浩二の「浩」をとって「久保浩」としたという。その後も「白百合悲し君に似て」「哀愁の街に霧が降る」「十九の春」などのヒット曲を世に送り出した。

16年に脳出血を発症。その後復帰したが24年に再発。療養生活を送っていた。

6月10日のBSテレ東「プレイバック日本歌手協会歌謡祭」(午後5時56分)で、14年11月に開催された「第41回歌謡祭」で「霧の中の少女」を歌った在りし日の姿が放送される。また、6月5日に東京・文京シビックホール大ホールで開かれる「日本歌手協会夏まつり唄まつり2025」では、長年親交のあった三田が久保さんをしのんで急きょ「霧の中の少女」を歌うことが決定したという。

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