
44歳で作家デビューした一雫ライオン氏(51)の最新作「流氷の果て」(講談社)が話題だ。発売当日にはSNS上で、全国の書店員のコメントが飛び交い、発売からわずか2カ月ほどだが、すでに映画化の話も舞い込んでいるという。460ページの大作だが、情景的、叙情的描写で読み始めるとすぐに“一雫ワールド”に引き込まれ、読書欲をかき立てる。作品に込めた思いなどを聞いた。【川田和博】
◇ ◇ ◇
44歳での作家デビューだが、それまでに俳優と脚本家を経験している。
「35歳まで全く売れない俳優をやっていました。あまりにも仕事がないので、もう自分で出る場を作るしかないだろうと思って劇団を作った。自分が1人1人説得したので、何となく『船頭は取らないと』というのもあって本を書くんですけど、なんか書けたんです。必死だったんじゃないですかね。自分の中の気付かなかったエネルギーが出るんだと思った」
初脚本から3本連続でオーディションを通過。そこには、ある大御所俳優の付き人を3年間務めたことも影響している。
「本当にお忙しい主役の方だったのでドラマ、映画と何本も抱えていました。僕が台本を取りに行って、必ず言われたのが『お前も1冊持って、全部セリフを入れておいてくれ』でした。それで、たらふく台本を読んでいました」
だが皮肉にも、これが役者を諦めるきっかけにもつながったという。
前作「二人の〓(口ヘンに虚の旧字体)」を書くまでは、脚本家と作家の二足のわらじだった。
「2作目の『スノーマン』を書いた後、脚本がうまく書けなくなって。小説は脚本で言うト書きの部分が文字になるので、書き方が全然違うんです」
「流氷の果て」はバス事故で全てを失った少年と少女、事件を追う刑事が物語の中核。読みようによってはそれぞれが主人公ともとれる。そこには脚本家ならではの手法があった。
「劇団創立時に目指したのは劇団の評価ではなく、役者が評価されること。青田買いをしてくれる状況を作るため、1人1人に必ず見せ場を作った。役者は『脇役だから』という言い訳はなし。その代わり、僕は責任をもって映画監督などを呼んで見てもらう。そこで評価されなかったら負けということが癖付いていたんです」
一雫氏の目に、現代はどのように映っているのだろうか?
「SNSや携帯電話があって、いいことはたくさんあるけど、やっぱり物は使いようで、誰がどう使うかが問題。今は当たり前にSNSの時代だけど、もしかしたら、子どもたち世代のほうが冷静に捉えているかも、という気もします」
その上で、バブル期を経験した者として続けた。
「今のコンプライアンスとか働き方改革の前は、深く考え込む時間もないくらい毎日がまわっていた。僕はいい部分もあったんじゃないかなと思うんです。今は、割とみんな自分の人生に悩むじゃないですか。この生き方でいいのかとか。人がちょっとなにか起こすとSNSでそれは違うとか。でも、そんな暇もなかった。ダメならダメで諦めて、潔く終わっていける時代もね。一度切りの人生だから…」
実はペンネームの由来は勘違いだったという。
「劇団を立ち上げたころに、ひきこもりの青年が大きな人形を持っていないと外に出られないという設定を書いたんです。当時お金がなかったので、知り合いから大きな人形を借りて歩いている時に、ふと“一雫ライオン”という名前が浮かんで、それをペンネームにしました。それをテレビで話したら、『あれはライオンじゃなくてトラだよ』と明かされて(笑い)。だから、実は『一雫タイガー』が正解だったんです」
次回作も人間を描くという。
「次の作品もミステリーと言われるものを書いていますが、『トリックがどう』ではなく、あくまで『1人1人の人間が地べたを歩いた結果、こういうことが起きていました』を書きたいなと思っています」
「長くなってすみません。妻にいつも怒られるんです」と恐縮する姿に親近感のある“先生”だった。
◆一雫(ひとしずく)ライオン 1973年(昭48)東京都生まれ。明治大学政治経済学部二部中退。俳優としての活動を経て、35歳時に演劇ユニット「東京深夜舞台」を結成後、脚本家として映画「TAP 完全なる飼育」「パラレルワールド・ラブストーリー」などを担当。17年「ダー・天使」(集英社)で小説家デビュー。3作目「二人の〓(口ヘンに虚の旧字体)」(幻冬舎)がベストセラーに。