
東京・新国立劇場で上演されているミュージカル「アニー」を見てきました。1930年代、世界大恐慌直後のニューヨークを舞台に、孤児院で暮らす、両親がいつか迎えに来ることを信じる赤毛の少女アニーを主人公にした作品です。苦しいこと、嫌なことがあっても希望を失わず、明日はいいことがあると信じて「トゥモロー」を歌う、前向きなアニー。その姿に、当時のルーズベルト大統領、大富豪ウォーバックスが心を動かされて、影響を受けるというストーリーです。
1977年にブロードウェーで初演され、日本では翌78年に東宝が上演しましたが、その時は宝塚歌劇団の小柄な娘役がアニーを演じました。そして、86年に日本テレビが主催・製作する「アニー」が上演され、そこで大きな話題となったのは子供たちが参加したオーディションでアニー役を選んだことです。初代アニーは、アントニオ猪木さんと倍賞美津子さんの長女と、後に衆院議員になった菅野志桜里さんとのダブルキャストで、選ばれた子供たちは伊豆で合宿稽古をしました。当時はまだ若手記者だった私も取材し、その初日も見ています。以来、何度も「アニー」を見てきました。オーディションの最終日にアニー以下の子役の合格発表があるのですが、その時に名前が呼ばれた子、呼ばれなかった子の泣き笑いの明暗がくっきり分かれる場面は、何度取材しても、ちょっと胸が痛くなったものです。
そして、最も辛かったのは20年と21年の「アニー」でした。20年と言えば、新型コロナで多くの舞台が中止に追い込まれた年でした。「アニー」も例外ではなく、公演を目指して稽古していた時に中止が決まりました。そして、20年版に出演予定だった子供たちは、21年の公演にスライドして出演することになりましたが、その初日の日に非常事態宣言が出て、翌日以降の公演はすべて中止となりました。1年間待ちに待った初日が千秋楽になるという悲劇でした。
それ以来、久しぶりに見た「アニー」は、子供たちが躍動し、「トゥモロー」もいつも以上に心に響きました。「いいことがある トゥモロー 辛いことも忘れる いつか 寂しくて 憂鬱な日には 胸を張って歌うの」。元気をもらった舞台でした。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)