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<ニュースの教科書>
3月の授賞式を前にアメリカのアカデミー賞が揺れています。未曽有の山火事が地元ロサンゼルスに大きな被害をもたらし、ハリウッドの多様化の潮流を真っ向から否定するトランプ大統領が就任しました。在米26年の千歳香奈子通信員に聞きました。【相原斎】
-ロサンゼルスで予定されていた「アンダーニンジャ」(山崎賢人主演)のワールドプレミアが中止になったり、自粛ムードが伝わってきている。
千歳 作家のスティーブン・キング氏が「ロサンゼルスが燃えている中、華やかな祭典は行うべきでない」とXに授賞式中止を求める投稿をしたことも話題になりました。美しい街並みのパシフィック・パリセーズも深刻な被害を受け、たくさんのセレブが自宅を失ったことも確かです。一方で「ここに住む人はお金持ちばかりではない」と話す人もいて、火災保険が下りずに今後の生活が見通せない人も少なくありません。
-キング氏の投稿は、セレブよりもそういう人たちの心情をおもんぱかったことなんだろうね。
千歳 一部セレブの投稿には「別荘に逃げればいいから」というものもありましたから。半面、自宅が被害を免れたセレブの中には「自分だけが助かって」という罪悪感に近い感情を明かす人もいます。
-開催中止の声の方が多いように思える。
千歳 一概にそうは言えないんです。授賞式を中止にすることは多くの裏方の人たちの仕事を奪うことになるからなんです。コロナ禍からようやく立ち直ったと思ったら、今度はストライキによる大打撃。最近の経緯を振り返ると、そう簡単には中止に踏み切れないんです。
-司会者は決まっているんだよね。
千歳 今年はコメディアンのコナン・オブライエンです。「これまで抱いてきた最高のショーのイメージではなく、人々が授賞式の時点で感じていることを反映した最高のショーにしたい」と話しています。彼も避難生活を送っていますが、実は自宅はぎりぎりで焼失を免れました。「僕は幸運だ。だからこそ、授賞式では今起きていることを反映し、正しい方法で人々に光を当てられるように心がけたい」とも。自虐的なユーモアが持ち味の人ですが、ニューヨーク・タイムズは彼の話術を「下劣で奇抜でありながら、洗練された短編映画のような語り口」と評しています。彼の手腕なら、こんな時でも授賞式をうまく進行できるのではないかと期待しています。
-「多様性」や「環境保護」を尊ぶハリウッドの潮流を真っ向から否定するトランプ大統領の就任も逆風といえる。
千歳 1期目の就任後に行われた17年の授賞式では、レオナルド・ディカプリオが悲願のオスカーを手にしました。彼が地球温暖化や環境保護を訴えたのを始め、他の受賞者やプレゼンターもスピーチでトランプ批判をして政治色の濃い式になりました。山火事がなかったら同じような展開になったのかもしれません。
-ノミネート作品を見る限り、反トランプ的な流れは変わらない気がする。
千歳 最多13部門でノミネートされた「エミリア・ペレス」が典型だと思います。メキシコの麻薬王が女性に性転換し、新たな人生をスタートさせるストーリーですから。
-トランプ大統領がメキシコ、カナダに関税を課そうとした根拠が、両国からのフェンタニル(米国での過剰摂取による死亡原因の大部分を占める薬物)の流入だからね。
千歳 加えて、不法移民問題と国境の壁、そして「性別は男と女の2つだけ」とする大統領令に署名してトランスジェンダーの権利を後退させたこと…賛否分かれる分断のタネがすべて盛り込まれています。トランプ大統領を激怒させることを意図したノミネートだ、という声もあります。
-批評家や映画ファンのこの作品への評価は?
千歳 奇抜な設定もあって、賛否分かれています。主演したスペインのカルラ・ソフィア・ガスコンはトランスジェンダーであることを公表した女優として初めてのノミネートとなり、その功績は率直に祝うべきという声がある一方で、彼女が過去に行った差別的なSNS投稿が発覚して、主演女優賞候補としては失速気味ですが、他の部門は依然として有力です。
-トランプ大統領は先日、ハリウッドでは数少ない自身の支持者であるシルベスター・スタローン、メル・ギブソン、ジョン・ボイドの「ハリウッド特使」起用をSNSに投稿した。
千歳 「この4年間でたくさんのビジネスを外国に奪われたハリウッドをかつてなく大きく復活させることが目的だ」としていますが、「エミリア・ペレス」はスペイン人の主演というだけでなく、フランス人のジャック・オディアールが監督したフランス映画です。主要部門での受賞となれば「トランプ大統領にとって授賞式は悪夢の夜になる」との報道もあります。
-悪夢といえば、若き日をシニカルに描いた「アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方」からも主演、助演男優賞にノミネートされている。
千歳 トランプ氏を演じたセバスチャン・スタンは(映画記者が選ぶ)ゴールデングローブ賞では別の作品「A Diffarennt Man」でノミネートされましたから、ハリウッド映画人の意図的なものを感じます。一方で、師匠の弁護士を演じたジェレミー・ストロングは前哨戦のSAG賞にもノミネートされていて、こちらは有力候補の1人と言えます。
-他にも非トランプ的な題材が多い。
千歳 「移民」という点ではホロコーストを生き延びたユダヤ系ハンガリー人の建築家がアメリカンドリームを追い求める「ブルータリスト」です。作品、監督賞の最有力としているメディアもあります。
-昨年は「バービー」「オッペンハイマー」など話題性に富み、興行的にも成功した作品があった。
千歳 今年も「ウィキッド ふたりの魔女」「デューン 砂の惑星Part2」とヒット作が挙がっていますが、前回ほどの盛り上がりはありませんね。
-「バービー」のように女性が元気という意味では、試写で見た「ANORA アノーラ」が面白かった。
千歳 ストリッパーがロシア富豪の「契約彼女」になり、自らの手で幸せを勝ち取ろうと奮闘する物語ですよね。カンヌ映画祭最高賞のパルムドールやニューヨーク批評家協会賞にも輝いて勢いがありましたが、ここに来て「エミリア・ペレス」に押され失速気味です。私はキャリア40年超にして初めてノミネートされたデミ・ムーアに注目しています。「サブスタンス」では、若さに執着する元トップ女優を怪演していて、初ノミネート初受賞が期待されています。ゴールデングローブ賞の授賞式では「30年前にプロデューサーから『ポップコーン女優』と言われました。演技が認められることはないと思っていました」と感動的なスピーチをしていました。
-試写で見た感想で言えば、「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」のティモシー・シャラメがまるで若き日のボブ・ディランを見ているようで素晴らしかった。
千歳 主演男優賞の最有力といわれています。「ブルータリスト」のエイドリアン・ブロディとの一騎打ちの様相です。一方で、山火事の影響でプロモーションやイベントが自粛され、関係者の意見交換が行われていないこともあり、メインの作品賞はここ数年でもっとも予測不能と言われています。5年前に韓国映画「パラサイト 半地下の家族」が受賞したとき、トランプ大統領は「ひどい」と発言しましたが、ことしは何をつぶやくのか。こちらも注目です。