俳優火野正平(ひの・しょうへい、本名二瓶康一=にへい・こういち)さんが14日、自宅で亡くなった。75歳。所属事務所が20日、発表した。今年4月から持病の腰痛治療に励んでいたが、夏に腰部骨折をしたのを機に体調を崩したという。独特の存在感で数多くのテレビドラマ、映画に出演し、歌手としても活躍。プライベートでは“元祖プレイボーイ”として往年のワイドショーを騒がせ「モテ男」の名をほしいままにした。
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芸能界きっての色男が、突然逝った。所属事務所は「夏の腰部骨折を機に体調を崩し最期まで仕事復帰を願っておりましたがかないませんでした。自宅で家族に見守られ、穏やかな最期でした」と伝えた。親交のあった俳優中野英雄(59)はSNSで「最後は奥さまや家族に手を握られながら逝った先輩、すてきだよ。(中略)11月3日に電話くれましたね。うれしかった。あの時の声は忘れません」と、最近まで会話したことも明かした。すでに家族葬を執り行ったという。
東京都出身の火野さんは、73年のNHK大河ドラマ「国盗り物語」の羽柴秀吉役で注目され、時代劇や任きょうものを中心に、数多くのドラマ、映画に出演し、味のある演技で人々を魅了した。歌手としての顔も持ち、昨年には14年ぶりに新曲を発表。全国5カ所でのツアーも行うなど、精力的に活動していた。
私生活では71年に結婚。1男1女をもうけたが73年に別れた。その後、最初の妻とは籍が入ったままで次々に女優との浮名を流した。そのモテっぷりから、後に「平成の火野正平」などと「モテ男」の代名詞として使われるほど。ひょうひょうとしたキャラクターも親しまれた。火野さんが相棒の自転車「チャリオ」に乗って全国を走る、11年から放送のNHK BSの旅番組「にっぽん縦断 こころ旅」も好評だった。
火野さんは近年、衰えからくる体調の悪化も口にしていた。スーツの仕立職人を好演した映画「罪の声」(20年)での演技が評価され、21年5月に「第30回日本映画批評家大賞授賞式」でゴールデン・グローリー賞(水野晴郎賞)を受賞した際には、ビデオレターで「昨日(30日)誕生日でした。72歳。ガタきてます」と言い「<歌詞>ガ~タがきた ガ~タがきた どこにきた 腰にきた 前にきた 脳にもきた」と、童謡「はるがきた」の替え歌を歌い、半ば自嘲気味に自らの現状を明かしたこともあった。
昨年1月には、自転車で旅する中で腰が痛くなり整形外科を受診したところ「いつのまにか骨折」と診断され、疲労骨折したことがあることを告白。今年4月、腰痛悪化のためロケ参加を中止したことが発表された。遺作となった8月公開の映画「ラストマイル」でも、脇役ながら“第2の主役級”の演技と高評価を得ていたが、複数の関係者によると、体調を崩しており取材などは受けなかったという。