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城田じゅんじ「あなたのためにギターもバンジョーも弾くよ」高石ともやさん悼む


高石ともやさん(2015年1月撮影)

「関西フォークの旗手」として、1960年代後半から日本のフォークソング界をけん引してきた歌手高石ともや(本名・尻石友也=しりいし・ともや)さんが、17日午後3時半に、京都市内の病院で亡くなった。82歳だった。「高石ともやとザ・ナターシャー・セブン」でともに活動したミュージシャンの城田じゅんじ(74)は20日までに、公式ホームページに思いをつづった。

城田は「高石ともやとザ・ナターシャー・セブン」という題の長文を投稿。「1971年の出会いから半世紀も過ぎた。ナターシャー・セブン…何ちゅう名前や?変だなぁ、日本語で歌うって…。」と書き出すと、「僕にとってはそんな風に始まったこのグループも、その黄金時代(自分で言うのもおかしいが)のメンバーは僕だけになってしまった。予定では高石ともやが最後に残るメンバーであったはずだが…ってそんな予定あるか!」とセルフツッコミを入れながら、高石への思いを語り始めた。

旅を愛した高石さん。城田にとっても、旅の思い出が鮮明だったようで「思えば旅ばかりだった。彼の言葉でひとつ印象深かったものがある。『あなたと僕はもう家の奥さんがやきもちを焼くくらいなんですよ』。それくらいの旅、また旅だったのだろう。それくらいお互いを理解することに必死だったんだろう」。

高石さんの歌にギターを乗せるのが好きだったといい、「僕は今でも、彼は日本に於ける至高のフォークシンガー、筋金入りのフォークシンガー、唯一無二のフォークシンガー、そして類まれな才能を持った詩人、だと信じている」ときっぱり。

続けて「なので、少しだけ、ひとつの時代が終わったかな?という思いは持っている。そして少しだけまた心に穴が空いたかな?という思いも持っている」と寂しさを吐露した。

「もしもまだ元気に歌っていたら、横でギターを弾きたかったことも事実だ。勿論バンジョーも。彼の紡ぎ出す詩を聴きながら、どんな音を創っていくか、そんな事を考えながら。多分、彼の想いが詰まった詩に対して、まだまだ応えることが出来ただろう」と別れを惜しんだ。

最後は「ひとり残され、この世の旅の終わりにあいつに会ったなら。あの世で二人また旅に出よう…いやいや、もう旅はいいかな。でも、あなたのためにギターもバンジョーも弾くよ」とあふれる思いで高石さんを追悼した。

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