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【悼む】高石ともやさん 60代で演奏も“進化“ 40余年追いかけ見えた包み込む優しさ


高石ともやさん(2015年1月撮影)

「関西フォークの旗手」として、1960年代後半から日本のフォークソング界をけん引してきた歌手高石ともや(本名・尻石友也=しりいし・ともや)さんが、17日午後3時半に、京都市内の病院で亡くなった。82歳。19日早朝、所属事務所が公式ホームページで発表した。

   ◇  ◇   ◇     

学生時代に通った京都・円山音楽堂の「宵々山コンサート」そして「昼下がりコンサート」。一昨年で最後となった大阪・サンケイホールでの「年忘れコンサート」。これまで何度、高石さんのライブを目にしただろう。

思い出すシーンは少なくない。ザ・ナターシャー・セブンのメンバー4人でギター、バンジョー、ベースを演奏した「四人羽織」。熟練の音楽センスに裏打ちされ、ショーマンシップいっぱいのライブだった。

「歩く歌詞カード」と仲間内から評された高石さんは、頭の中にすべての作品が入っていた。ステージでの派手な演出は一切なく、楽器と歌、コーラスがすべてだった。できる限り、アコースティックにこだわった。

60代になって、ライブに小さな変化が見えた。ギターのソロ、ブルーグラス・スタイルのリードを披露するようになった。それまでに見たことのない姿に衝撃を受けたのを覚えている。年齢を重ねても新たな挑戦を続けていたのだ。

「受験生ブルース」の後、ヒット曲とは縁がなかったが、ファンの多くは高石さんと一緒に口ずさんでいた。会場の一体感は独特だった。

2022年12月のサンケイホール・ブリーゼ公演が、同所での最後のライブ。81歳の声には艶があった。いつものように、足取りは軽やかだった。「まだまだ声が出てるのに、これで最後か。もったいない」というファンのつぶやきがもれた。

足をケガした高石さんが、松葉づえをついて仕事場のFM局にやってきたことがあった。70代だったろうか。痛いはずなのに、記者の前では笑顔を見せ、こちらの問いに答えてくれた。しんどいこと、つらいこともたくさん経験したはずだが、いつも包み込むような笑みをたたえていた。

1975年、木田高介がナターシャー・セブンのメンバーに加わった。それまでの木田といえば、伝説のロックバンド「ジャックス」を経て、かぐや姫「神田川」の編曲を務めるなど、音楽界の第一線で働いていた。

そんな木田が高石さんに導かれるように京都に移住。草野球やランニング、海水浴など音楽とは関係のない日常を高石さんとともに楽しむようになった。「こんな世界があったんだ。僕はこれまで楽器とスタジオしか知らなかった」と感銘を受けていた。80年の交通事故で木田が亡くならなければ、高石さんの音楽人生もまた変わっていたかもしれない。

逆風もあったが、高石さんは自分の生活にフォークを取り入れ、人生をかけてフォークを追究した。ただ悲壮感や重圧などは感じさせず、いつも軽やかな笑顔とともにあった。【日刊スポーツ 元音楽担当・三宅敏】

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