ピンアイドルが全盛だった1980年代に人気を誇った河合奈保子さん。
彼女の貴重な水着ショットなどを特集したデジタル写真集が『別冊近代映画』から、12月20日発売された。『別冊近代映画』では過去に7回河合奈保子の特集をしていて、今回は特に人気が高かったPART3をデジタル化した。コレ、写真集の実物は4万円の値が付くそうだ。今後、来年2月までに全7巻が順次リリースされる予定だという。
衝撃に胸ドキドキ
河合奈保子とは、どんなアイドルだったのか? 当時のリアルな記憶を起こしてみる。
1980年に「西城秀樹の妹オーディション」で優勝したのをきっかけに、16歳でシングル「大きな森の小さなお家」でデビューする。当時多感なマセガキだった私にとって彼女は衝撃だった。何が衝撃だったか下世話な本音を言う・・・
“なんだこのボインちゃんは!!”
- FLASH(フラッシュ) 2016年8/30号
Fujisan.co.jpより
当時の老若男子は全員そう思ったと言っても過言ではない。デビュー時のスリーサイズはB:84 W:60 H:84と公表されていたが、おそらく胸はもっと大きくてFカップはあったとされ(当時は胸にカップという表現がされなかった)、逆にウエストはサバを読んでいたと思われる。
今から40年ほど前、日本人は今のような欧米体型ではなく、まだまだ胴長短足が当たり前だった。女性アイドルは細身の子が目に止まりやすいが、「胸」だけ見るといわゆる貧乳が普通でCカップすら少なかったはず。そんなご時世に16歳のダイナマイトボディが飛び出してきたわけだ。
- FLASH(フラッシュ) 2017年9/12号
Fujisan.co.jpより
河合奈保子は、はっきり言ってぽっちゃり体型だったが、皆はそれを「健康的」などと言った。またぽっちゃりを割り引いても、当時のアイドルで“バスト84センチは別格の大きさだった”。
しかも彼女は、アイドル誌で惜しげもなく水着姿でグラビアになった。更に、アイドルのビデオなどがまだなかった時代、テレビの特番「芸能人水泳大会」で動く水着姿を拝めたとき度肝を抜かれた。
とにかく河合奈保子に男子は熱くなった。熱さの詳しい説明は不要だろう。
アイドルの見本?
と、胸のことばかりを強調してしまうと当時のファンに失礼かもしれない。言うまでもなく河合奈保子は可愛いかった。既にトップアイドルだった松田聖子は世間では好き嫌いが激しく分かれたが、彼女はいつも笑顔で元気で明るく「はい! はい!」とハキハキ返事をすることもあってバッドなイメージが付きにくく「嫌い」という人は少なかった。
- 週刊アサヒ芸能 [ライト版] 8/8号
Fujisan.co.jpより
出身は大阪だったが関西訛は殆ど出なかった。しかし、お笑い文化が根付いた土地育ちのせいか、バラエティ番組のコントなどもそつなくこなし、大阪MBSラジオでは人気の深夜ラジオ「ヤングタウン」でレギュラーを務め、嘉門達夫との軽妙なトークは人気だった。
また、どんな場面でも人を傷つけるような発言や行動をせず、“毒”を感じさせなかった。マスコミに対しても対処がすごく上手で好感が高かったそうだ。逆に腹黒いという声もあったが、プライベート面も変わった趣味も癖もあまり話すことがなく結構ミステリアスな部分も多かった。ある意味で、ファンに心配させない、アイドルとして優等生だったのである。Wikipediaを覗いてみたが、あれほどの人気を誇ったアイドルにしては、裏エピソード的なことがほぼ書かれていないのは珍しい。
アイドルでずば抜けていたもの
河合奈保子の歌唱力は抜群だった。当時、“アイドルは音痴”というイメージがどことなくあり、歌唱力は二の次という感じだった。
これは個人的に覚えていることだが、ラジオの公開放送番組を聴いていた際、彼女がシングル曲を生で歌ったあと、ゲストのあるミュージシャンが「河合さん、アイドルにしては歌がすごく上手だね」と褒めていた。そこから歌番組で色んなアイドルが歌うシーンを聴き比べてみるようになったが、子どもながら確かに上手だなと思った。
- 週刊ポスト 2018年1/19号
Fujisan.co.jpより
ある歌番組で、他のアイドルと二人一緒に登場し、互いに相手の曲を歌い合う企画があって度々出演していたが、相手の持ち歌なのに河合奈保子の方が上手く歌い上げてしまうのである。裏話で「奈保子ちゃんとはやりたくない」と言った者は一人や二人じゃなかったとか。
知らない曲も聴いてみたいと思って、アルバム(LPレコード)「DIARY」を買った。アイドルのLPを買うのは初めてだったが、テレビでは聴いたことのない曲の、その歌声がステキだと感じたアイドルはこれも初めてで衝撃だった。
河合奈保子は、特技がピアノということもあって音感が優れていて、更にマンドリンやシンセサイザーなども扱ったため、作詞作曲もしている。
ちなみに、これも個人の好みだが彼女のシングルで一番好きなのは、1987年28枚目のシングル「十六夜物語」。
芸能活動再開は
1996年にヘアメイクアーティストと結婚し芸能活動を停止。現在はオーストラリアに移住し、専業主婦として幸せに過ごしている。
2010年に雑誌「FLASH」が、独占取材として豪州での近況を伝える記事を掲載した。この中で将来について「今は専業主婦がメインだが、音楽活動が出来ることになれば」などとコメントしている。今回のデジタル写真集から、なにかアクションが起こらないかと密かに期待するファンは多いはず。
- FLASH(フラッシュ) 2017年2/14号
Fujisan.co.jpより