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ミセスユニバース日本大会が開催され日本代表が決定 pecoがファイナリストたちの「内から滲み出るキラキラの美しさ」に感動する場面も


7月23日、リッツカールトン東京にて「ミセスユニバースジャパン2024日本大会」が開催された。ミセスユニバースは約80か国130名が参加する世界的ミセスコンテストだ。日本大会で選出された日本代表は10月に韓国で開催される世界大会に出場する権利が与えられる。

ルッキズム批判の風が吹き荒れる今、ミセスユニバースを開催する意義とはなにか。「ミセスユニバースジャパン」主催を務める大島一恵代表は「外見だけではない、内面の輝きを伴った女性が増えることは、社会的に大きな価値を産む」と答えた。

ミセスユニバースでは、容姿に関わる出場制限が一切なく、本人がどのような人生を送ってきたか「人生のプロセス」が評価対象となる。そしてファイナリストたちは、競争するのではなく「共創」をかかげ、定期的に集まり社会貢献活動に参加するなど、活動は多彩だ。

まさに、女性の“ヒーロー”を見つけ出すのが目的の大会なのである。これは実に面白い。どんな大会になったのか。はたして誰が選ばれるのか。現場に駆けつけた。

大会では思い思いのアピールで“人生の分厚さ”を語る出場者の女性たち

大会が始まると、名前を呼ばれた出場者たちが自身の衣装やシルエットを魅力的にアピールしながら花道を闊歩していく。堂々とした振る舞いはどの出場者もカッコいい。さすがにバク転のようなアクロバティックなアピールはなかったが、それをする人がいてもおかしくない空気感があった。

時折、ファンクラブのある出場者もいるらしく、名前を呼ばれた出場者に対して観客席から声を合わせてのエールが送られる場面もあった。

花道を歩むだけがアピールではない。躍動的なダンスを披露する出場者や美声を響かせる出場者もいた。まさに己が人生で培ってきたスキルを発揮する大会なのだ。

そして、スピーチでのアピールもあった。配偶者とともに海外転勤して居場所を見失うも自らそうした居場所を創設したサクセスストーリーもあれば、幼少期に性暴力に晒されたもののそれを踏み越えてきた逆境ストーリーもあった。“生きる”とはなにか。その力強さが語られる言葉にほとばしっていた。

「ミセスユニバースジャパン」グランプリが決定

今大会でTOP3に輝いたのは、グランプリが岡田麻里さん(64歳)、第2位がカプアナニ由美子さん(50歳)、第3位が中野三恵さん(54歳)。岡田麻里さんはベストタレント賞も受賞。

そして年代別に60代に贈られるカサブランカ賞を嶋田恵子さん、50代に贈られるローズ賞を岡田智恵子さん、40代に贈られるサンフラワー賞を赤平百合さん、20代から30代に贈られるマグノリア賞を三好舞さんが、それぞれ受賞した。

グランプリ受賞者は、今何を思うのか。そうしたコメントが求められる場面もあった。

グランプリ・岡田麻里さん(64歳)
「今回はミセスユニバースグランプリとタレント賞をいただきました。自分でもびっくりです。今、64歳。やはりいくつになってもチャレンジすることで自信もつきました。これからもどんどん挑戦していきたいなと思います」

第2位・カプアナニ由美子さん(50歳)
「準グランプリをいただきました。私はハワイ在住なので毎月のビューティーキャンプには飛行機通勤をしていました。この6か月でたくさんの出会いがあり素晴らしい御縁に恵まれて、とても幸せで充実していました」

ローズ賞・岡田智恵子さん(54歳)
「50代の部のグランプリであるローズ賞をいただきました。これを機に、10年後、20年後、もっともっと輝いて生きていきたいと思います」

サンフラワー賞・赤平百合さん(42歳)
「40代のグランプリであるサンフラワー賞をいただきました。テーマが女性活躍推進と聞いて応募しました。3年前に出産しまして、産後うつや無痛分娩の後遺症で仰向けに寝られくなり、ものすごくつらい3年間でした。40代になって賞をいただけたのは本当に光栄です。ファイナリストの仲間と出会えて、50代60代も皆さんのように輝きたいと思います。たくさんのロールモデルの女性たちと出会えたのは一番の収穫だと思います」

マグノリア賞・三好舞さん(33歳)
「20代から20代の部門のグランプリであるマグノリア賞をいただきました。6か月間のファイナリストとしての期間は自分と向き合う時間でした。自身のコンプレックスについて考え抜くことで、どんな時からでも自分は取り戻せるし変われるんだと気づきがありました。どんな辛いことがあっても一歩を踏み出す勇気と自信を持つ努力が大切なんだと感じました」

pecoが語る「人生のターニングポイント」

ミセスユニバース日本大会には、スペシャルゲストとして、6歳の息子を子育てしながらタレント、そしてアパレルブランドのプロデューサー、デザイナーとして活躍するpecoも駆けつけた。「ビバリーヒルズ高校白書」に出てくるプロムのドレスをイメージした衣装で登場。ミセスユニバースのファイナリストへの所見を述べた。

peco
「本当に皆さまキラキラ美しい方々なんですけど、お話を聞かせていただいたり隣にいたりするだけで、外見だけのキラキラじゃなくて内から滲み出るんだなって感じます。こんな風に素敵に歳を重ねていきたいなと思いました」

ブランドの立ち上げや20歳での結婚や出産を経てきたpecoに「人生を決めたターニングポイント」について語ってもらうコーナーがあった。

peco
「人生の最初のポイントは4歳。これは私がクラシックバレエをはじめた年齢です。17歳まで続けました。バレエを始めたことで、自分を表現することが好きになりました。中学一年生の時に主役をさせてもらいました。その時は週7でレッスンしてました。

最初のターニングポイントは15歳ですね。私がブログを始めた年齢です。中学生の時からホムペという自分だけのページを作って日記を書いてました。ブログをはじめた15歳から息子を妊娠する23歳まで365日毎日欠かさず更新してました。ブログがあったから自分で発信する楽しさを知りましたし、色んな人に知っていただきました。ブログがなかったら今の私はありません。

次のターニングポイントは18歳。原宿に行きたいから大阪から上京しました。ブログのおかげでファンですって言ってくれる方もありがたいことにいました。原宿にいくと古着屋から働きませんかと声をかけていただいて、そこでファンとの交流をしはじめました。さらにお洋服のことも好きになったし、自分のことも好きになったし、なにかを発信することをもっともっとやりたいとなりました。

3つ目のターニングポイントは23歳です。出産して、息子が生まれてきてくれました。それまでは自分が可愛い、自分が一番、私はプリンセスだって思って生きてきました。ryuchellと出会えて、息子と出会わせてくれたことで、今までの考えがひっくり返りました。もちろん、自分のことも大好きだし大切です。でも、守るべき存在がいるとこんなにも自分を強く逞しくしてくれるんだ、と思わせてくれています。一生の宝物です。

ターニングポイントではないですが、ryuchellが素直な気持ちをお話してくれて、新しい家族の形を発表したのが26歳とお別れした28歳です。あれからあっという間の2年、3年でした。ryuchellに対して嫌な気持ちはもちろんないし、新しい家族の形としてステップを一緒に踏んでくれたこともそうだし、息子に会わせてくれたのもあって、これからもこのまま進んでいくだけです。

4つ目のターニングポイントは、新しいブランド「Tostalgic Clothing」をはじめたことです。ブランド「PecoClub」を辞めてから数年経っていて、洋服はやりたいですが自分から動けるだけの勢いがないなと思ってる時に、若槻千夏さんからお声がけいただいて一緒にやることになりました。ブランド名はノスタルジックの最初の言葉を私の本名のテツコのTにした造語です。私が大好きな80年代90年代の世界観をイメージしています。私は普段から昔からタイムスリップしてきた人をテーマに生きてるんですけど、それを表現したブランドになっています」

pecoの“自分らしさ”についてを掘り下げる質問コーナーもあった。

――pecoらしさを保つ秘訣とは。

peco
「秘訣と言われると意識してやってたわけじゃないんです。他人と同じが嫌で、自分が好きなら他人がなんと言おうと好き。それだけを信じることですね」

――今までの人生でぶつかってきた壁はありますか。

peco
「お洋服に関しては自分が良ければそれでいいを貫いてます。お洋服を作らせてもらって、それを皆さんにお届けするってなった時、現実的な話として“こっちのほうが売れるんじゃないか”と思う時はあるんですが、『なんで私が作りたいものじゃなくて合わせなきゃいけないの』と思っちゃった時期がありました。その時に服を嫌いになりたくないから、服を売るのを辞めようかなって思った時がありました。

その時にryuchellが、普段は私がやりたいとかやめたいといったら『そうしな、そうしな』と言ってくれるのに、その時だけは『こんなことを言うのはすごくつらいけど、ぺこりんはお洋服を作り続けるべきだよ』と言ってくれたんです。それが響いて、頑張ってみようかなって思いました。そのお陰で今もずっとお洋服を好きなままでいれてます」

――出産して仕事から離れて戻ってくる時は不安じゃなかったですか。

peco
「その時はラッキーなことに、ryuchellがお仕事頑張りたいって言ってくれるタイプでした。そして、私は私で子供の時にお母さんが帰ったらいつでもうちにいれる家で育ったので、息子が帰ってきた時におかえりって当たり前に家にいる存在でありたいと考えていました。私が女だから、ryuchellが男だからではなくて、たまたまお互いに考えが一致していました。だから思う存分に息子と向き合いました」

――ポジティブの秘訣はなんでしょうか。

peco
「生まれたときからこのマインドですが、基本的に自分のハードルを常にめちゃくちゃ低く設定して生きてます。なのでちょっとでもできたら『てんさーーい!』となってます」

――シングルマザーとして子育てしてる時に子供が両親揃った家族を羨んだ時にどんな言葉をかけますか。

peco
「そもそも息子に、世の中には色んな家族の形があることを伝えてきました。目の色や髪の色みたいな見た目も、国、好きなもの、考え方も違う話をしてきました。ママだけのおうちもあれば、おばあちゃんだけのおうちもある。そんな話をずっとしてましたので、そういう時があったら『でも私達はこの家族の形でとっても幸せだよ』と言うかなと思います」

――今年20代最後の歳ですがチャレンジしてみたいことはありますか。

peco
「英語を勉強しました。ペラペラではないですが、自分の気持ちを伝えられる相手が増えたことに感動しました。海外に行ったり、憧れのあの人に会ってこのLoveを伝えたい夢があります」

――憧れの女性や尊敬してる女性はどなたかいらっしゃいますか。

peco
「ビジュアルだけで言うと80年代の誰でもない人、『80’s Mama』で検索したら出てくるママに憧れます。でも内面でいえば自分の母ですね。なによりも我が子を一番に考える姿勢が私の中の母親像になっていて、私もそうでありたいと思っています」

――自身もミセスユニバースに出場してみたいと考えましたか。

peco
「片足も踏み入れてはいけないと思いました。美容にも本当に疎いので、この日のために努力したのがわかって、私には無理だと思ってしまいました」

――pecoさんの知られてない意外な弱点はありますか。

peco
「虫が出たときです。息子が驚くぐらいに泣きじゃくってしまうし、落ち込みます。きっと他にもいるんだろうと、その時だけネガティブになります」

――最近のお子さんの成長はどんなことを感じましたか。

peco
「6歳になって反抗的にもなってますし、私のことを手のひらの上で転がしても来ます。私がイライラしてると、『ママかわいいね』と言ってくれたりします。そんなこと言われたら『本当にうまいことやりおるな』と成長を感じます」

――どんなおばあちゃんになりたいですか。

peco
「可愛いおばあちゃんになりたいです。とっても綺麗なグレイヘアで、その時に自分が好きな可愛いお洋服を着続けていたいと思っています」

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