連続テレビ小説『ちむどんどん』が始まって約1か月。NHKのドラマではおなじみだった新進女優・黒島結菜をヒロインに、川口春奈、上白石萌歌、竜星涼、仲間由紀恵、大森南朋、片岡鶴太郎、原田美枝子、高嶋政伸、そして今後出てくる宮沢氷魚と、豪華キャストを集めた同作だが、Twitterの声を見る限り、評判は今一つのようだ。
あらすじを映像にしただけ? 現代の寓話
「ちむどんどん」とTwitterの検索窓に入れれば、作品への不満が多数散見されるので、具体的な声を拾うことは避けるが、個人的に言わせてもらうならば、あらすじをそのまま映像にしているかのような、心のひだに触れない、機微に欠ける作りが目に付く。
例えて言うならば、親に絵本を読み聞かせしてもらった際、次のページをめくろうする親の手を止めて、「いやいいや、えっ、ちょっと待って! いやいや、ちょっと! 今のどういうことなの?」と説明を求めたくなるような、置き去りにされる展開とでも言うべきか。最終回も、「いや、めでたし、めでたしじゃねーし!」とツッコむ様が、今から目に浮かんでくる。
これをまさに、絵本、現代の寓話ととらえるならば、世紀の大回収ドラマ『カムカムエヴリバディ』の真逆をゆく「回収ゼロ」の鬱々とした“ご都合主義”展開も許されるが、一つ確実に言えるのは、今のところ、この作品で好きになった登場人物は誰もいないということだ。それは暢子(黒島結菜)も含めてである。
それでも見てしまうワケ
こうして不評を大いに買っている同作だが、4月11日の初回を世帯視聴率16.7%(個人9.3%)で幕を開けた後、第18話で世帯13.6%(個人7.8%)に落ち込んだこともあったが、16日の第26話は世帯15.4%(個人8.6%)と、低調ながら安定している。初回からわずか1.3ポイントしか下がっていないのだ。もちろん、そもそもアベレージが高いためその目減りが分かりにくいというのもあるが、視聴者は離れないのはどういう理由が考えられるのか?
それはやはり、1961年の第1作『娘と私』から約60年もの間、脈々と培われてきた、朝ドラの鉄壁の視聴習慣がある。伝説の大炎上作『純と愛』(2012年度下半期)も全話で平均視聴率17.1%、今作となんとなく似たような展開の『まれ』(2015年度上半期)でさえ平均19.4%で終わっている(以上は全てビデオリサーチ調べ、関東)。
つまり我々は「朝ドラを見ないと朝を迎えられない体になってしまっている」のだ。また世代別視聴率でいうと、朝ドラのメインの視聴ターゲットが50代以上のM3(50代以上男性)、F3(50代以上女性)であることが分かる。つまりどんな作品でも支持する根強いお客様がいるのである。
ちむどんどんが切り開いた「ダメ出しドラマ」
「ちむどんどん」の意味は沖縄方言で「胸がわくわくするような気持ち」とのことだが、製作側はむしろ、反対の気持ちになるというメッセージを込めて命名したのではないかと思えてくる今作。その新たな見方は、以下のツイートが物語っているといえる。
もはや「ちむどんどん」の楽しみ方は、鑑賞後にモヤモヤしながらTwitterを開き、ちむどんどん反省会のツイートを観て、様々な人に共感することになっている。 #ちむどんどん反省会—弥弥弥 (@yayatbc) May 10, 2022
https://twitter.com/yayatbc/status/1523960147986743296
もはや「ちむどんどん」の楽しみ方は、鑑賞後にモヤモヤしながらTwitterを開き、ちむどんどん反省会のツイートを観て、様々な人に共感することになっている。
#ちむどんどん反省会
つまりちむどんどんは、いかにモヤモヤをTwitterにつぶやいてそれを分かち合うかという、新しいドラマの見方を提示してくれたのだ。これには大いに感謝しなければならない。また、ご時世的にはまだマズいが、オンエアをパブリックビューイングで見たら、「なんでやねん!」「あり得ない!」の大合唱で、さぞかし壮観だろう。
(執筆者: genkanaketara)