第2次大戦下のナチス・ドイツでヒトラー、ヒムラーにつづく「第三の男」と称されたラインハルト・ハイドリヒを描いた映画『ナチス第三の男』が1月25日より公開となります。
【ストーリー】“ナチス第三の男”ラインハルト・ハイドリヒ。その冷徹極まりない手腕から、ナチス党内でもとりわけ忌まわしい人物として“金髪の野獣”と渾名され、ヒトラーさえもが恐れた男。ハイドリヒはナチス政権の高官として華々しい出世を遂げるが、第二次世界大戦に至るまでの年月とその戦時下において、ヨーロッパの人々に残忍で容赦ない恐怖をもたらした。貴族階級の妻リナによってナチスのイデオロギーを吹き込まれたハイドリヒは、<ユダヤ人大量虐殺>の首謀者として、誰も止めることのできない絶大な権力を手にしていく。だが、英国政府から訓練を受け、チェコスロバキア亡命政府によって送り込まれたチェコのレジスタンスグループが、この抑止不能な男を止めようとしていた。大胆にもパラシュートで潜入したヤン・クビシュとヨゼフ・ガブチーク率いる暗殺部隊が、綿密な計画の過程を経て、プラハの街を移動するハイドリヒの一行を襲撃し、致命傷を負わせる。これにより、ハイドリヒは第二次世界大戦中に殺害された唯一のナチス最高幹部となった。ナチス政権に揺さぶりをかけた歴史的瞬間は、それぞれの信念を貫いた、両極に位置する人々によって生み出された。史上唯一成功した、ナチス高官の暗殺計画の真実が今、明かされる――。
フランスで最も権威のある文学賞「ゴング―ル賞」の最優秀新人賞に輝いたローラン・ビネによる世界的ベストセラー小説「HHhH プラハ、1942年」をベースにした本作は、『猿の惑星:新世紀(ライジング)』のジェイソン・クラーク、ロザムンド・パイク、ジャック・オコンネル、ジャック・レイナー、ミア・ワシコウスカら豪華キャスト陣が集結した、今観るべき歴史サスペンスです。
今回は、本作の魅力を東京女子大学名誉教授で、ナチズム、ユダヤ人問題史、戦犯裁判の3テーマを軸にドイツ近現代史を研究している芝健介先生に寄稿いただきました。
「第二次世界大戦を引き起こすきっかけとなった、ハイドリヒの謀略」
1945年5月にナチ・ドイツが無条件降伏して終了したヨーロッパの戦争では膨大な犯罪がおこなわれ、ドイツ側の戦争犯罪を裁くため同年11月下旬から(戦勝連合国)米英仏ソ4カ国による国際軍事裁判がニュルンベルクで開廷された。検察側証人として最初に登場したドイツ国防軍防諜部元将校ラフーゼンは、第二次世界大戦の発端となったドイツ側の対ポーランド侵略をめぐる開戦状況に関わる、ある謀略について重大な証言をおこなった。それは裁判を見守っていた国際社会の注意を惹くに十分値する内容だった。6年前の1939年9月1日ドイツ国家元首ヒトラーが以下のように国会でドイツ側開戦の理由について演説したことも国際社会は記憶していた。
「本日深更ポーランド人が事前に準備を整えていた正規軍とともにわが国の領土に向けて発砲攻撃したのが最初だった。わが軍は5時45分反撃を開始した」。英仏とドイツの緊張関係のなか、前者から援助を受けているポーランド軍側が侵入してきたから反撃したとヒトラーは強調したわけである。しかし防諜部はナチ親衛隊の依頼でポーランド軍の制服を開戦前に用意したとラフーゼンは裁判で証言し、強制収容所の囚人にそれを着せてポーランド側の攻撃があったかのように偽装する、ナチ親衛隊(SS)の謀略のためであったことがあとでわかったと述べたのだった。
ニュルンベルク裁判には、アルフレート・ナウヨクスという親衛隊情報組織SD(保安部)元将校の宣誓供述書も提出された。その内容は、保安部責任者のハイドリヒからポーランドとの国境に近いグライヴィッツの放送局を襲撃し、ポーランド人の攻撃に見せかけるようにとの命令を受けた。ポーランド側が最初に侵入したことを示す証拠が、国外報道と国内宣伝用に必要だとハイドリヒは述べたという。作戦開始1週間前に彼とも緊密に連絡をとっていた秘密国家警察(ゲスターポ)幹部ミュラーをナウヨクスが訪ねると、ホーエンリンデンというやはりポーランド国境に近い別の町でも一個中隊規模の独兵が投入されることになっており、12,3人の囚人にポーランド軍の制服を着せ、戦闘中に死んだように見せかけるため遺体を現場に放置する作戦であること(他にピーチェンでも計画実施されたことが後に判明)を知らされた。この目的のためハイドリヒが手配した医者たちによって致死注射が犠牲者たちに打たれ、銃創もつけられることになっており、作戦終了後は警察発表がおこなわれることになっているという。
ミュラーは、グライヴィッツでのナウヨクスの工作用に、囚人を手配するようハイドリヒから命令を受けているとのことで、囚人たちには「缶詰」という暗号がつけられていた。8月31日昼ハイドリヒから電話で「祖母死亡」(作戦開始暗号)と「襲撃のため缶詰をミュラーから受け取れ」との命令を受け取ったナウヨクスは夜8時作戦開始、秘密警察から受け取った1名の犠牲者(のちにポーランド系ドイツ人フランツ・ホニオークと判明)は、意識はなかったがまだ生きていたという。占拠した放送局から非常用放送で3,4分ポーランド語で演説したナウヨクスたちはピストルを乱射しその場を立ち去った。放送は実際には地域周辺でのみ流れ、その時間帯広域には伝わらなかったという手違いがありハイドリヒは「お冠」であったと伝えられてはいるものの、3か所での偽装攻撃の謀略(全体作戦コード名は、1914年の第一次世界大戦初期、進撃してきたロシア軍の包囲殲滅作戦を大成功に導いたヒンデンブルク、ルーデンドルフの戦功地にちなんで「タンネンベルク」と命名)は、基本的に「成功」し、かれの問答無用の辣腕スタイルを不動のものにした。ポーランド攻撃開始10日ほど前の8月22日に国防軍最高司令官たちを前にした「開戦理由に必要なのは正当性宣伝であって、真実は、事実はどうかではない(それはどうでもよい)」というヒトラー発言記録も裁判の証拠になっているが、彼はポーランド戦大勝利後、ゲスターポを中心にした保安警察と親衛隊保安部を統合した新設国家保安本部の長官にハイドリヒを据えている。ヒトラーの信頼厚かった彼の謀略がある意味で世界戦争の引き金になったのであり、ホニオークは数千万人にのぼった第二次世界大戦犠牲者の最初の1人だったといえよう。
芝 健介(東京女子大学名誉教授)
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