どうもどうも、裏社会潜入をちょっとお休みしている特殊犯罪アナリスト兼裏社会ライターの丸野裕行です。
このたび、4月27日に母・芳子が病院で亡くなりました。
死因は肺炎からくる重篤な脱水症状での心停止でした。
年齢も83歳と高齢だったので仕方がないのですが、早く病院に連れて行っておけば……という思いが心のどこかに未だあります。
あなたは、母親が亡くなってしまった後の喪失感に苛まれる“母ロス”をご存知でしょうか?
勝気で、毒舌で、東映Vシネマが大好きだった母が、父も亡くした病院でだんだんと弱くなる様をまざまざと見せつけられ、正直「体も辛いだろうから、このまま死なせてあげよう」と思っていたので、その“死”を受け入れられるかなと思っていたのですが、なかなかそうはいきませんでした。
今、親御さんと疎遠になっていたり、なかなか顔を見せに実家に帰っておられないあなたに伝えておきます。
今度の休みには、ムリにでも時間をつくって、親に会いに行ってください。
いつも執筆していることとは真逆のことをこれから書きますが、自分の親に少しでも“産んでもらった恩”を感じているとするならば、あなたも僕と同じ思いをしないようにぜひ読んでやってください。
受け入れられない人が多い“母ロス”
親御さんが亡くなったときに子供が感じるのは、後悔しかありません。
「あのときにこうしておけばよかった」「あんな小さなことでなじらなければよかった」「あのときに声をかけてあげていればよかった」「あのときに顔を見せておけばよかった」etc……。
僕は裏社会ライターとして母の死に目に会えませんでした。それは在住している京都から、東京のテレビ局の番組収録へ向かっていたからです。
収録に向かっている途中で、病院から「呼吸と血圧の低下がすごいので、危険な状態です」と電話をいただきました。しかし、僕は引き返すことはなかったのです。それは、母が僕がテレビに出ることを楽しみにしていたから、メディアで活躍することを願っていたからです。
友人とランチをしようとしている妻に母の看取りを託し、僕は品川の天王洲スタジオへ向かい、共演する知り合いの編集者と作家さんと談笑し、母が亡くなったことは隠していました。これが、今でも後悔です。あの時に、あの時に……ずっとつきまとい続けます。
ライターになった僕の生き方を母は応援してくれていました。そうやって本番をしっかりとこなすことが親孝行につながると僕は考えていたんですね。
様々な思い出が交錯し、脳が交通渋滞に
やはり世間には“母ロス”を扱った書籍や記事も世に出ていて、反響は非常に大きいようです。
24年間も“母ロス” ある男性が死ぬまで抱く悲しみ
本誌3月28日号で特集した「“母ロス”に襲われる娘たち」に多数の反響が寄せられた。
避けられぬ母との永遠の別れ。身を切られるような苦しみのなか、子どもたちは深くて広い愛を知る。そして、その悲嘆は男性からも反響があった。――漫画『エースをねらえ!』の台詞をきっかけに、親を見送らねばならない「いつか」に備えているのは愛知県の会社員Eさん(51)だ。
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「母ロス」を読んで本当にせつなくなった。男も女も母親から生まれたわけで、母親が大好きな存在であるのは変わりがない。
「宗方が生きている時に、俺は宗方との別れをすませてきた」
学生のころに読んだ『エースをねらえ!』に、宗方コーチの親友がそう語る場面がある。このシーンで、大切な人と別れる時には悔いを残さないようにと決心した。親でも友達でも、してあげられることがあれば「明日やろう」ではなく、その時に実行するようにした。
「もっと◯◯してあげればよかった」「◯◯しておけばよかった」。そう思うこと自体がロスの一番の原因かもしれない。親とはいつか別れる時が来る、とまず覚悟し、笑って送り出せるようにするにはどうすればよいか日々考えている。
――個人差はあるにせよ、「母ロス」はどのぐらいの期間、続くのだろうか。編集部が40代以上の女性500人に実施したウェブアンケートで「悲しみは死ぬまで続くと思う」と答えた人は3割。この結果に共感したのは大阪府の自由業の男性Fさん(82)だ。
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男の私でも母の生前を思い出し、「慕う心」に胸がしめつけられる。「会いたいと思う心」も再三ではない。一日一回、仏壇に向かい、亡き母が好きだった般若心経を唱える時、母と少年だった私の思い出が走馬灯のように浮かぶ。
母を失って24年。にもかかわらず、産んで、育ててくれた母を慕う気持ちは今なお消えない。母への思いは、きっと私が死ぬまで続くのだろう。※週刊朝日 2014年5月30日号より引用
彼の気持ちもよくわかります。なんとも人は、ひとつの当たり前の存在したものを失ってしまうと、非常に脆いことがわかります。
母親との想い出はたくさんあります。学校に呼び出されては平謝りの母の姿が印象的ですし、「これからは男が料理ができなくてどうする」と料理の仕方を教わったり……いろいろと迷惑をかけてもきたのですが、一級建築士で堅物だった父親の叱責からもよくかばってもらいました。
ビートたけしさんが、お母様の北野さきさんが亡くなられたときに、号泣して「俺は、日本で一番のマザコンだった」とおっしゃられていましたが、気持ちはやはりわかります。父親よりもどうしても近しい存在の母親に依存してしまう、そういうものなのでしょうか。
枕元に座った母を見る
元々は禅宗の寺に生まれた母は、坊主の経が大嫌いでした。そこで、坊さんは呼ばずに密葬にし、母が好きだったタンゴを流し続け、親戚たちと酒を酌み交わしました。次の日には火葬場へ。
母の葬儀をつつがなく終え、数日が経った頃。不思議なことが起こりました。
長女と長男、次男、妻と川の字になって寝ておりますと、自分の目の前にないはずの鏡が出現。そこには、私たちを見つめる母が映っていました。「ああ、幻を見ているんだ」「夢なんだ」と思っておりますと、鏡の中に映っている母が“こちらを見ろ”と手招きをしているんです。
枕元に顔を向けると、そこには亡くなった母は座っていました。しかし、亡くなる寸前まで気管を切開していたものですから、何か話されても何を伝えたいのかわかりません。すると、ハイハイがやっとできるようになってきた次男坊を見つめ、手のジェスチャーで「大きくなったね」と言ってくるのです。
それからは、僕の顔を見つめ、「体調はどう?」と。「あなたが死んでから酒を飲みすぎて膵臓が痛い」と答え、次に母が口を開いたのは「ありがとうね」のひと言でした。
ほどなくして、彼女はスッと姿を消しました。僕は目の前から消えた母に向かって、「出てきてくれてありがとう」と涙しながら感謝しました。
この出来事は、一気に押し寄せた母が死を迎えた悲しみが引き起こした幻覚だったのかもしれませんし、そうではないのかもしれません。脳の中で感情の処理が追いつかず、想い出に残った母の姿を映し出したのかもしれません。また自責の念をなんとか払拭しようとして自助作用が働いたのかもしれません。ですが、僕はもう会うことができないと思っていた母が姿を見せてくれたことをとてもうれしく思っています。
“母ロス”の感情は時間が解決してくれる
“母ロス”に関することを調べていくと、最終的には「時間が解決してくれる」という答えが一番多いということがわかりました。しかし、これも人それぞれで、数年、数十年、その感情を抱えたまま辛い日々を送っている方もおられます。
『発言小町』などの掲示板で悩みを打ち明ける女性などは、数十年前の母の死を未だに思い出して、ふさぎ込んでしまうこともあるそうです。
いずれにせよ、自己満足なのかもしれませんが、父でも母でも、親に対して「ここまで一生懸命やった」というほど時間をつくって孝行していれば、亡くなった後の後悔が少なくて済みます。もう一度言いますが、“いつまでもあると思うな、親と金”です。
今週末には、ぜひとびきりの親孝行をしてみてください。
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(執筆者: 丸野裕行) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか
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