9月4日、浪速高津宮(大阪市)で催された発表記者会見で4代目『桂小文枝』襲名を発表した桂きん枝さん。
正式な襲名は2019年3月の予定だが、実現すれば師匠の故・三代目桂子文枝さん(後の5代目桂文枝)以来、27年ぶりの名称復活となる。
「(3代目が)『この名前には、もひとつ上があるねんけど、気に入っている。艶があって愛嬌があって品がある』
とおっしゃっていた。
私もいろいろ悩んで、襲名していいんかいなと思ったが門弟一同や五代目文枝の遺族、吉本興業からの後押しもありやっと踏ん切りがつきました。」
と襲名への葛藤があったことを漏らしたきん枝さん。
たしかに1979年にLSD使用疑惑が報道され、1981年に無免許運転で逮捕されレギュラー出演していた『プロポーズ大作戦』(朝日テレビ)を降板し、1983年に援助交際事件を起こし一門を破門され、2010年に民主党から立候補して落選するなど波乱万丈すぎる人生を送ってきたきん枝さんだけに、上方落語界の功労者で人望厚かった師匠の名跡を継ぐことに遠慮があったのだろう。
これについて兄弟子であり、上方落語協会会長の桂文枝さんは
「はっきり言って一門の問題児だったが大変面倒見がいい。
気がいいのに加えて物怖じしない。師匠の襲名の時やいろんな賞を受賞する時など、本当によく動いてくれた。
私が上方落語協会会長になってからも右腕となり、繁昌亭の建設、協会会館のことなど、非常によくやってくれました。
また(3代目夫人の)長谷川君枝さんから何度も『きん枝を小文枝に』、『私ももう年やから、目の黒いうちに小文枝という名前を復活させてほしい』という切なる願いを受けた。」
と襲名にいたる経緯を説明しつつ、落語界に貢献しようとするきん枝さんの姿勢を絶賛。
今後巻き起こるであろうさまざまな批判にあらかじめ釘をさした。
なおTwitter上での反応は
「たまたま昼間のラジオで会見直後のきん枝さんご本人から語られた第一報を聞いて驚いたんだけど、関西人には馴染み深かった名前をまた見られる日が来るとは嬉しい」
「飲酒運転とかいろんな経歴があるけど、今の御時世でなくて良かったですね」
など好意的なものから批判的なものまでさまざま。
とは言え、犯してしまった過ちさえ深みや味になりうるのが芸の世界。
さらなる奮起をもって師匠や関係者の想いに報いるような結果を残していただければと願う。
―― 会いたい人に会いに行こう、見たいものを見に行こう『ガジェット通信(GetNews)』