「来たのに逢えない」障子越しに一夜を明かす恋人たち
頭の中将の再訪問の翌日、今度は夕霧がやってきました。先日は伯父さんに邪魔されて、雲居雁とゆっくり過ごせなかったので、どうしても彼女に逢いたくなって来たのです。
ところが、いつもはニコニコと迎えてくれるおばあちゃんも、今日に限って厳しい顔。そして「あのね、こんな風に言いたくなかったんだけれど……」。
夕霧は何を言われているかすぐに察し、真っ赤になりながら「僕は勉強ばかりで、伯父上を怒らせるような事はしていません」。大宮はこれ以上言ってもと、かわいそうに思って話を切り上げます。
バレてしまった以上、これからは手紙のやり取りも難しいと思うと、夕霧の心は暗く沈みます。夕飯もろくに食べず、早寝したふりをしながら、なんとか逢えないかとばかり考えていました。
皆が寝静まった頃を見計らい、夕霧は雲居雁の部屋の戸に触れてみますが、開きません。いつもは鍵なんかかかってないのに…。
障子の向こうの雲居雁も起きていました。お父さんが来て以来、周りの大人に叱られてばかりでウンザリ。でも内心は子供っぽく(どうして夕霧と逢ってはダメなの。皆が言うみたいに、夕霧は悪い子じゃないわ。2人で仲良くすることの、何がそんなにいけないの?)とばかり思っていました。
原文にも”わが身やいかがあらむ、人やいかが思はむとも深く思し入れず”とあり、未だに自分のしたことがどう悪かったのかがピンときていません。それでも、脳天気な彼女には珍しく、空を渡っていく雁の声が切なく聞こえます。「雲居を渡る雁も、私みたいな気持ちなのかしら……」。
夕霧はその声を聞いて「ここを開けて。小侍従はいないの」。二人の間を取り持ってくれていた雲居雁の乳姉妹を呼んでみますが、もちろん誰も来ません。
夕霧の声にハッとして、雲居雁は慌てて布団をひっかぶりますが、心のなかでは夕霧がかわいそうでたまりません。行動を起こそうにも、すぐ近くに乳母が控えているので、騒ぐとバレてしまう。それきり2人は黙り込んでしまいました。
夕霧も仕方なく元の場所に戻りましたが(あまり大きなため息をついたら、おばあちゃんに聞かれるかも)と、今度はそっちも気になる。よく眠れないままに手紙を書いてみたものの、渡そうにも誰も取り次いでくれないので、不首尾に終わります。
”もっと2人が大人であれば、隙を見つけて連絡し合う手段を作っただろうが、夕霧もまだ幼さの残る年頃なので、ただ切ないと思うばかりだった”と、語り手はまとめています。また”それほど騒ぐようなことではないのだが”とも。
本当に、人妻を無理やり手篭めにしたり、覆面して荒れ放題の幽霊屋敷に連れ込んだり、父帝の妃を妊娠させるのに比べたら微笑ましいばかりの2人ですが、それを許さないのは父親の頭の中将の存在です。
ある意味最強?言っても聞かない頭の中将の実行力
頭の中将は事の発覚以降、母・大宮を恨むあまり、一切の訪問を中止。正妻には事の次第を打ち明けていませんが、家でもずっとイライラしっぱなしです。理由もわからず不機嫌な旦那……奥さんもいい迷惑ですね!
雲居雁を預けっぱなしにするのはもうダメだ、こっちへ引き取ろう。頭の中将は早速「弘徽殿女御を宿下がりさせる。宮仕えの疲れも溜まっているだろうから、家でゆっくりさせてやろう。といっても、家にいても退屈だろうから、年の近い雲居雁を引き取って遊び相手にさせる」と正妻に言い、帝にも退出願いを奉ります。
帝は最初の妃である弘徽殿女御を寵愛していたので、急な申し出になかなかOKを出しませんでしたが、頭の中将があれこれ言い立てるので、しぶしぶお許しになりました。思いついたら即実行、周りがどうだろうがお構いなし。源氏があれこれ悩み、忖度してウロウロするのとは正反対です。帝でさえも屈させるその強さ、ある意味最強なのでは。
「家族でも本当の気持はわからない」寂しい祖母の嘆き
雲居雁を引き取りに行くと、大宮はひどく落ち込んで、「娘(葵の上)を亡くして本当に寂しかったけれど、雲居雁が来てくれてからは、あの子のお世話をすることが私の生きがいでした。それなのに……」。
年老いた母の嘆きを見ても、頭の中将はためらいません。「いえ、長女の女御が帰っている間だけ、行儀見習をさせる程度のことですよ。母上が育てて下さった御恩は忘れません」と、着々と準備を進めていきます。源氏であれば大宮に同調して泣いたりしそうですが、頭の中将はそういうことはしない人。
大宮も我が子の性格はよくわかっています。息子を引き止めたところで考え直すわけもない。「家族であっても、本当のところってわからないもんなのね。孫達だって私に隠れてあんなことをしでかしたし、息子もこうして私を恨んで、可愛い孫娘を連れて行ってしまう。あっちに引き取られても、正妻さんは優しくしてくれないでしょうに……」。
そうこうしているうちに、またまた夕霧がやってきました。源氏に言われた「おばあちゃんの所へ行くのは月3回まで」のルールもどこへやら、最近は逢いたい気持ちが止められずにちょくちょく来ていたのです。
邸の前には頭の中将の牛車があり、男のいとこたちもウロウロ。(ヤバイ、伯父さんが来てる!)気まずいのでコソコソしていると、当の伯父さんは「ちょっと宮中に用事があるので、夕方に引き取りに来ます」と言って出ていきました。ラッキー!
大宮は雲居雁との別れを惜しんでいました。よそゆきの衣装に着替えた彼女は、幼びているもののとても綺麗です。「パパはおばあちゃんのことを怒ってるけどね、おばあちゃんがあなたのこと、どんなに愛しているかわかるわね……」。雲居雁も、祖母の悲しみの原因は自分だと思うと辛く、お互いに泣いてばかりです。
ここで夕霧の乳母が唐突に「お嬢様をご主人と思ってお仕えしてきましたのに、残念です。お父上が他の方と結婚話を持ち出されても、絶対に承知なさらないでくださいませ」。大宮は思わず「まあ、そんな話は今することじゃないわよ。誰と結婚するかなんて、結局は決められないものなんだから」。
それでも彼女は引き下がらず「だって、私は悔しいんです!頭の中将さまは夕霧様が取るに足らないと、ご結婚をお許し下さらないんでしょう。でもうちの若様のどこがどう、人に見劣りすると仰るんですか。誰でもいいから聞いてみて下さい!」。我が子同然の夕霧を軽視されて怒る乳母。大宮も表面的には乳母をたしなめながらも、内心は激しく同意したはずです。
「あんなこと言うなんて!」少年の心を傷つけたある一言
夕霧は折を見て、雲居雁のいる部屋をそっと覗きました。綺麗におめかしした可愛い彼女。伯父さんの所へ引き取られたら、いよいよ逢えなくなると思うと涙がとまらない。今やなりふり構わず泣いている夕霧を知り、大宮はこっそり孫達を引き合わせてあげました。
夕暮れ時の薄明かりの中での再会。あんなに逢いたかったのに、顔を見ると言葉が出てこず、涙ばかりが溢れます。「……伯父上のやり方があんまりだから、いっそ君のことを諦められたらいいのに、恋しくてたまらないよ。逢えなくなったらどんなに苦しいだろう。どうしてもっと、逢える時に逢っておかなかったんだろう」「私も……」。か、可愛い……!
「離れても僕のこと、恋しいと思ってくれる?」夕霧の切々とした愛の告白に、雲居雁はこくんと頷きます。そこへ2人を引き裂くように「殿(頭の中将)のお戻り~」という声が聞こえ、にわかに邸内がバタバタしだします。
その声を聞いて、雲居雁は怖くなって震えだしますが、夕霧は半分ヤケになって(もうどうなろうが知った事か!)と、彼女を離そうとしません。夕霧、男だね!!でも、早速探しに来た雲居雁の乳母にあっさり見つかってしまいました。
「あらいやだ!!やっぱり大宮様はご存知で、こんなことをさせていらっしゃったのね!太政大臣のご子息とは言え、六位の浅葱色を着ている下っ端役人がお相手なんて、ああ情けない!」
何よりも浅葱色の事を言われるのがイヤな夕霧にとって、この発言はクリティカルヒット&オーバーキル。「聞いた?君の乳母はあんなことを言うんだよ。僕の真剣な気持ちをあんな風にけなすなんて…!」乳母もピリピリしていたんでしょうが、これは結構な失言とあって、意外に尾を引きます。
雲居雁が返事をしたかしないかのうちに、彼女は連れ去られるように父親のもとへ、ついに2人はそのまま引き裂かれます。取り残された夕霧は傷ついた心を抱えて、ひとり部屋で横になって泣くしかありませんでした。おばあちゃんからは「こっちへいらっしゃい」と言われたのですが、寝たふりをして返事をしません。
彼は一晩中泣き明かし、霜の降りる寒い早朝にこっそりと二条院に帰りました。泣きはらした顔を見られるのもつらいのに、おばあちゃんはきっと僕に構って、なぐさめようとするだろうから、と。すごくつらいけれど、小さな子どもみたいに慰められてもきまり悪いと思うのもまた少年らしく、可愛いです。
夕霧と雲居雁の恋模様は、現代ではおなじみの”幼なじみがいつの間にか恋愛対象に“というケース。特に目新しくも何ともないのですが、親が決めた顔も知らない人といきなり一緒になる結婚が普通だった当時としては、なかなか新鮮だったのではないでしょうか。
逢えない2人の障子越しのすれ違いや、夕暮れ時の愛の告白など、ここの展開は大変少女漫画的でドラマティック。肉体関係から入る恋が多かった父・源氏の路線とは一線を画しています。この真面目すぎる優等生・夕霧の不器用な青春は、まだ始まったばかりです。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか
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