申請書や稟議をワークフローシステムに載せたのに、結局はメールと紙の押印が併存し、二重入力が増えただけになっている。中小企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)推進担当者や情報システム担当者から、こうした声をよく聞きます。ツールを入れたのに業務が軽くならない。その理由が分からないまま、次のツールの検討に入ってしまう。
本記事では、英国(イングランド・ウェールズ)が2026年9月7日に施行した『Online Procedure Rules 2026』を取り上げます。裁判手続という固い領域で、英国は「紙の手続きを画面へ移す」のではなく、「手続きのルールそのものをデジタル前提で書き直す」という進め方を選びました。この潮流は、中小企業のビジネスにどのような示唆を与えてくれるのでしょうか。自社の申請・承認プロセスを見直すための視点を解説していきます。
【本記事の要点】
- 英国は2026年8月26日に「Online Procedure Rules 2026」を制定し、9月7日に施行した。対象手続をGOV.UK上のデジタルサービスでおこなうことを制度上の標準経路として組み込んだ
- 焦点は「既存の手続きを画面に載せ替えること」ではなく、「手続きを定める規則の側をデジタル前提で作り直すこと」にある
- まず対象になるのは不動産の占有回復(明け渡し)手続で、他の手続類型は今後の運用指針で順次追加される。すべての裁判手続が電子化されたわけではない
- 同時に、紙のフォーム提出、平易なガイダンス、障害等への合理的配慮、非デジタルの代替手段が制度に組み込まれている。「デジタル前提で作り直す」ことと「使えない人を締め出す」ことは別に設計できる
「システム化したのに使われない」が起きる場所
業務において、文書の二重入力はなぜ起きるのでしょうか。まずは、その原因を探ってみましょう。
日本では、多くの企業がワークフローシステムを導入しています。稟議書や経費申請、休暇届といった、紙で回していた書類を、画面上の入力フォームと承認ボタンに置き換える仕組みです。
ところが、導入して1年経っても、紙とメールが消えない職場は珍しくありません。
- 急ぎの案件は口頭で先に通す
- 役員の承認だけは印刷して持っていく
- 例外的なケースはシステムに項目がないのでメールで補足する
こうした運用が残り、結果として、システムへの入力とメールでのやり取りを両方こなす、二重入力が発生してしまうのです。
この現象は、たいていツールの機能不足のせいにされます。しかし、機能を足しても解決しないことは多いものです。原因は、システム化のときに、紙の時代の手続きの形をそのまま画面へ持ち込んでいることにあります。
たとえば、紙の稟議書には10個の記入欄があり、決裁は担当者から係長、課長、部長、役員へと順に回っている。さらに、めったに起きない例外処理も、規程に細かく定められているなど、紙の様式と回覧ルートを見直さないまま、そのままシステムの入力画面と承認フローに作り込むと、画面は紙の書類をなぞるだけになり、現場から見た手間はほとんど変わらないのです。
英国が9月7日に施行した「Online Procedure Rules 2026」
英国(イングランド・ウェールズ)は、2026年8月26日に『Online Procedure Rules 2026』を制定し、2026年9月7日に施行しました。これは、2022年の司法審査・裁判所法(Judicial Review and Courts Act 2022)に基づいて作られた、最初のオンライン手続規則です。
この規則の要点は、対象となる手続を「電子的手段で開始・進行・処理することが求められ、または認められる」ものと位置づけ、当事者は原則として、HMCTS(英国の裁判所・審判所サービス)が設計・維持し、GOV.UK上でアクセスできるデジタルサービスを通じて手続をおこなう、という点にあります。書類の提出も、手数料の支払いも、その経路でおこなうのです。
ここで押さえておきたいのは、これが「裁判手続の全面電子化」ではないことです。規則が明示的に扱うのは、まず不動産の占有回復(明け渡し、possession proceedings)の手続です。他の手続類型は、今後発出される運用指針(Practice Direction)を通じて、段階的に対象へ加えられていく設計になっています。
出典・参照:
画面を足したのではなく、規則の側を書き直した
注目したいのは、英国がとった進め方です。既存の裁判手続の書式を電子フォームに置き換える、という部分的な対応ではありません。手続を定める規則そのものを、「デジタルサービスを標準経路とする」という前提で書き直しました。
つまり、「紙の運用を残したまま、その横にオンラインの選択肢を足す」のではなく、「この手続はデジタルサービスでおこなうものである」というルールを先に立て、その前提で様式・進行・通知の仕方を組み直したということです。規則の側がデジタルを前提にしているので、システムは規則の付属物ではなく、手続の本体になります。
これは、先ほどの日本企業の例と裏返しの関係にあることがお分かりでしょうか。日本企業の「システム化したのに使われない」問題の多くは、規程・様式・決裁ルールという「手続きの側」を紙の時代のまま残し、システムだけを新しくしたことに起因します。英国の事例では、順序が逆なのです。ルールの側をデジタル前提に作り直して初めて、システムは実務に根づきます。
「デジタル前提」と「締め出し」は別に設計できる
規則をデジタル前提で書き直すと聞くと、ここで1つの疑問が浮かぶのではないでしょうか。それは、「デジタルを使えない人はどうなるのか」という懸念です。しかし、英国の規則は、この点をもあらかじめ制度に組み込んでいました。
前提として、規則全体を貫く目的(Overriding Objective)は、「デジタル手段によって紛争を迅速・効率的・公正に、妥当なコストで解決し、司法へのアクセスを促進する」ことだと定められています。デジタル化そのものが目的ではありません。
そのうえで規則は、デジタルを使えない人への手当てを、手続の各段階にあらかじめ組み込んでいます。
| 手続の段階 | 取りこぼしを防ぐ仕組み |
|---|---|
| 書類の提出 | 代理人を立てていない当事者は、紙のフォームで提出できる。裁判所がそれをデジタルシステムへ取り込む |
| 手続の進行中 | 通知は紙で受け取ることを選べる |
| デジタルサービスの中身 | 平易な言葉のガイダンス、障害や個別のニーズへの合理的配慮、操作の支援、非デジタルの代替手段の用意が義務づけられている |
| 手続の枠組み全体 | 裁判所は、正義の実現に必要と判断すれば「もはやオンライン手続としない」と命じ、通常の規則に戻せる |
デジタルを標準経路に据えることと、デジタルを使えない人に経路を残すことは、両立しないものではありません。標準を決めたうえで、そこから外れる人のための道筋を制度として設計しておく。この二段構えが、英国の規則の特徴です。
出典・参照:
日本企業への示唆
自社の申請・承認プロセスがうまく回らないとき、まず見るべきは、ツールの機能ではなく「手続きルール」の側です。
自社の稟議規程や申請様式は、いつ作られたものでしょうか。紙で回していた時代の記入欄、決裁の順序、例外処理の条文が、そのままシステムに移されていないでしょうか。「システムに項目がないからメールで補足する」という運用が生まれているなら、それは規程と様式の側が、まだデジタルを前提に作り直されていないサインです。
英国の事例は、司法という一見制度を変えにくい領域でも、規則の側を作り直すという選択がありうることを示しています。日本企業がそのまま同じことをできるわけではありませんし、英国と日本の制度を同一視することもできないでしょう。
しかし、「画面を足す」で止まっている限り、二重運用はなくなりません。ルールをデジタル前提で作り替えることを考えない限り、根本的な問題は解決しないのです。ただし、それは、デジタルが苦手な人を切り捨てることと同じではない、という点も、英国の設計から読み取れるのではないでしょうか。
まとめ:DXは、画面を足すことではなく、ルールを組み替えること
英国のOnline Procedure Rules 2026が示したのは、オンライン化の焦点が「紙の手続きを画面へ移すこと」から「手続きのルールそのものをデジタル前提で作り直すこと」へ移った、ということです。
規則の側を書き直したからこそ、デジタルサービスは手続の付属物ではなく本体になりました。そして、その作り直しは、紙のフォーム提出や合理的配慮といった代替手段の設計と両立しています。
貴社の業務システムが現場で使われていないと感じるとき、問うべきは「どのツールに乗り換えるか」ではありません。「手続き・様式・承認ルール・例外処理の側が、デジタルを前提に作り直されているか」です。そして、その作り直しは、使えない人を締め出すこととは別に設計できます。この2つの視点を、自社のプロセスを見直す入口にしていただければと思います。
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