「DXを進めろ」と言われて、まず新しいツールやシステムを探し始める。多くの会社で見られる光景です。その手をいったん止めるヒントが、1冊の本にありました。
ニッポン放送で『オールナイトニッポン』を統括する冨山雄一氏は、著書『今、ラジオ全盛期。』(クロスメディア・パブリッシング)の中で、デジタル化を経て再び全盛期を取り戻したラジオを、DX(デジタルトランスフォーメーション)の「優等生なのかもしれない」と書いています。
私もこの本を読んで、ラジオは音の届け方を何度も入れ替えながら、聴いていて変わらない何かを残してきたんだろうな、とは思いました。ただ、その歩みのどこがDXのお手本なのか、と問われると、すぐには答えが浮かびませんでした。
本記事では、この疑問を手がかりに、ラジオが何を変え、何を変えなかったのかを一緒にたどりながら、自社のDXが「変えるもの」と「守るもの」を切り分けられているかを、読者の皆さんと考えていきたいと思います。
【本記事の要点】
- 『今、ラジオ全盛期。』の著者・冨山雄一氏は、デジタル化で復活したラジオを「DXの優等生かもしれない」と評した
- ラジオはテレビやiPod、ネット動画といった危機のたびに、届け方をradikoやPodcastへと作り替えて生き延びてきた
- それでも、生放送のリアルタイム性と聴き手との関係(冨山さんの言う「静かな熱狂」)は手放していない
- 理想のDXは、「何を導入するか」より先に「何を守るか」を決めている
- 守るものが決まっていれば、手段は思い切って入れ替えられる
深夜放送に夢中だった中学時代
私が中学生の頃、大好きで聴いていたのが、ニッポン放送の『中島みゆきのオールナイトニッポン』でした。1979年から1987年まで、月曜の深夜1時から3時に流れていた番組です。
とはいえ、中学生が深夜3時まで起きているのは、それだけで一苦労でした。始まりの1時まで起きているのもやっとで、1時の時報とともに番組のタイトルコールが流れるのを聴いて、「ああ、ようやく始まった」と思った瞬間安心して眠ってしまう。そんな夜も珍しくありませんでした。
50代以降の方であれば覚えていらっしゃるかもしれませんが、当時は深夜放送が花形の時代でした。オールナイトニッポン、文化放送の「セイ!ヤング」。フォークシンガーやタレントがこぞってマイクの前に座り、夜中のスタジオから語りかけていた時代です。
大勢が同じ電波を聴いているはずなのに、自分に向かって話してくれているように感じる。その距離の近さが、深夜放送の魅力でした。
眠気に勝てない夜が続き、私は道具に頼ることにしました。家にあったラジカセにはテープを2本差せるダブルデッキがついていて、1時間のカセットテープを2本セットして録音ボタンを押せば、2時間番組を丸ごと残せます。放送に起きていられなくても、翌日に聴き直せる。
今の言葉でいうタイムフリーやアーカイブを、私はカセットテープで先取りしていたのかもしれませんが、聴き手だった私も、そんな工夫をして好きなラジオを聴いていました。あの声を、あの時間を、自分の都合のいいときに味わう。道具だけを入れ替えて、目的はそのままにしていたのです。
ラジオが変えた「届け方」、変えなかった「中身」
ラジオは、届け方を何度も作り替えてきたメディアです。ただそれは、そのつど外から追い込まれた結果、仕方なく選んだ変革の歴史でした。まずラジオの歴史をたどり、変わってきたもの、それでも動かさなかったものを見ていきます。
何度も告げられた「終わり」
ラジオは、これまで何度も「もう終わりだ」と言われてきました。テレビが茶の間の主役になったとき、ラジオは用済みだと見なされます。それでも深夜放送やカーラジオ、家事をしながらの「ながら聴き」などに居場所を見つけ、役割を作り直しました。
危機は今世紀に入っても続きます。2001年に登場したiPodにはラジオを聴く機能がなく、音楽を持ち歩く若者との接点が細くなりました。2007年ごろに広まったニコニコ動画は、生放送で語り合うというラジオ的な楽しみ方まで引き受けていきます。
さらに、2008年のリーマン・ショックでスポンサーは目に見えて減り、制作費は削られました。冒頭で紹介した冨山氏が担当し、私も大好きで聴いていたニッポン放送などは、AMの電波が都心で聴き取りにくいという問題も抱えていました。存在意義を問われる場面を、ラジオは何度もくぐってきたのです。
作り替えた「届け方」
追い込まれるたびに、ラジオは届け方そのものを入れ替えてきました。
2010年、首都圏の放送局がインターネット経由で一斉に聴けるradiko(ラジコ)が始まります。スマートフォンのアプリで、雑音のないきれいな音が届く。電波の届きにくさは、これでほぼ解消しました。radikoには、2014年にはエリアフリー機能が加わり、住んでいる地域の外の放送局も選べるようになります。さらに、2016年にはタイムフリー放送が始まり、放送済みの番組を1週間前までさかのぼって聴けるようになったのです。
加えて、番組を音声ファイルで配信するPodcastや、話しかけるだけで再生できるスマートスピーカーも、ラジオの新たな入り口として機能しはじめました。受信機の前に座り、放送時間を待つ。かつて当たり前だったこの前提は、もうほとんど残っていません。
手放さなかった「中身」
届け方をこれだけ変えながら、ラジオが動かさなかったものもあります。
1つは、生放送のリアルタイム性です。パーソナリティと聴き手が同じ時間に同じ番組へ集まり、いま起きていることを一緒に笑い、一緒に考える。この感覚は、AMでもアプリでも変わりません。ラジオ番組のすべてが生放送ではありませんが、人気の番組の多くはやはり生放送のリアルタイム性が多くの聴取者の気持ちをつかんで離さないのではないでしょうか。
もう1つは、聴き手とのつながりです。便りを送り、読まれ、常連になっていく構造は、はがきがメールやメッセージに姿を変えても続いています。冨山氏は、こうしたラジオの熱を「静かな熱狂」と呼びます。派手に盛り上がるのではなく、1人ひとりが深く聴き込み、長く付き合う。短く、速くという時代の流れとは逆を向いた、時間をかけて築き上げる関係です。
ラジオが変えたのは届け方、守ったのは聴き手との関係でした。必要に迫られて形を変えながら、芯だけは動かさなかったのです。
出典・参照:
理想のDXの条件
ここまではラジオの話でした。この記事で考えたいのは、そこから見えてくる理想のDXの形です。冨山氏がラジオを「DXの優等生かもしれない」と評したのは、デジタル化で新しい機能を派手に足したからではありません。届け方を根こそぎ変えながら、守るべき1点を守り抜いたからです。同じ見方を企業のDXに当てはめると、4つの観点が浮かびます。
守るものの見極め
DXの計画は、たいてい「何を導入するか」から始まります。ただ、この順番だと肝心なことが抜けます。先に決めておきたいのは、自社が顧客に届けている価値と顧客との関係のうち、何があっても手放さないものはどれか、です。
ラジオでいえば「聴き手と同じ時間を共有する関係」がそれにあたります。ここが定まっていないと、後の判断がぶれます。
手段の入れ替え
守るものが決まっていれば、手段を替えるのは怖くありません。ラジオは、決まった時間に受信機の前で待つという前提を手放し、radikoのタイムフリーやPodcastへと届け方を作り替えてきました。
それと同時に、radikoだけでなくPodcastやスマートスピーカーなど複数の届け方を並べて選択肢を広げ、聴き手が自分に合った届け方を選べるようにしています。
変えるところは思い切って変え、それでいて手段を1つに絞り込みすぎない。業務の進め方も、社内システムも、顧客との接点も、目的に合わなくなったら替えて良いのです。DXでためらいが生まれるのは、たいてい「何を守るか」があいまいで、替えてよい範囲が見えていないからです。
効率化の死角
問い合わせ対応をチャットボットやアプリに置き換えたとします。応答は速くなり、コストも下がる。ここまでは狙いどおりです。ところが、顧客の声を直接聞く機会が減り、現場が顧客の変化に気づけなくなることは、デジタル化の弊害としてよく聞く話です。
効率化したつもりが、関係という中核を細らせていた。これは、理想のDXとは程遠い状態です。仕組みは新しくなったのに、守るべき関係が置き去りになっている。効率化そのものが悪いわけではありません。どこを削れば守るべき関係まで細ってしまうのか、着手する前に見極めておく。それができて初めて、効率化は理想のDXに近づきます。
ピンチという転機
ラジオが形を変えたのは、どれも時代の波に揉まれ、どん底まで追い込まれた末のことでした。テレビ、iPod、ニコニコ動画、リーマン・ショック。危機のたびに、ラジオは届け方を作り替えて切り抜けてきました。
DXも、うまくいっている間は動きにくいものです。売上が落ちた、人が採れない、主要な取引先を失った。そうした場面こそ、何を守り何を変えるかをはっきりさせ、形を作り替える機会になるものです。守るものが決まっていれば、追い込まれてからでも正しく変われます。
まとめ:理想のDXは、何を守るかを知っている
ラジオは、radikoやPodcast、タイムフリーへと届け方の選択肢を広げるたびに、聴き手との関係を作り直し、新しい聴き方や新しいつながり方を生み出してきました。ただ手段を入れ替えただけなら、それは変化にすぎません。届け方が変わるたびに新しい価値を生み出してきたからこそ、ラジオの歩みは「変革」と呼べるのだと思います。
しかもそれは、危機のたびに外から迫られての作り替えでした。それでも芯がぶれず、そのつど新しい熱狂の形を生み出せたのは、守るものがはっきりしていたからです。冨山氏がラジオを「DXの優等生」と評したのは、この変革の積み重ねを見てのことだったのではないか、と私は思います。
理想のDXも、同じ形をしています。「何を変えるか」を考える前に、「何を守るか」を知っている。新しいツールの検討に入る前に、一度確かめておきたいことがあります。自社のDXは、変えるもの(手段)と、守るもの(中核的な価値と顧客との関係)を、切り分けられているでしょうか。今夜は少し、ラジオに耳を傾けながら、自社が本当に守るべきものは何か、考えてみてはいかがでしょうか。
参考文献:
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