東京大学大学院情報理工学系研究科の廣瀬・谷川・鳴海研究室ではバーチャルリアリティ(以下VR)技術を端緒として基盤技術の開発からコンテンツや技術の社会展開までを対象とし研究を行っている。

谷川智洋氏と鳴海拓志氏。
現在VR技術は視覚・聴覚優位で、そのほかの人間の持つさまざまな感覚にはあまりアプローチできていない。
本研究室ではVRに嗅覚・味覚・触覚を絡めたシステムの開発を行っているので今回取材を敢行しました。
取材に応じていただいたのは同研究室の准教授師である谷川智洋氏と講師の鳴海拓志氏。
研究についてのインタビュー
━━VR×嗅覚に関しての研究はいつ頃から始めたのでしょうか?
谷川氏:私が東京大学の学生だった1995年頃から始めました。最初は映像に合わせ匂いを出すシンプルなものから始めました。
いかに感覚を人工的に作り出すかをテーマに当時からHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を使って映像を流しつつ、HMDにシリコンチューブを取り付け、鼻付近から匂いを出すようなことをしていました。
━━VRに対する取り組みは視覚へのアプローチが多いですが、嗅覚にアプローチしようと思ったきっかけは何でしょうか?
谷川氏:視覚ですと触れない、匂いもしないということで「人間の根源的なリアリティ」をもっと追究したいと思い研究をはじめました。
その後、2000年に入ってからクロスモーダル(感覚間相互作用)が脳内で起こっているというのが脳機能計測の結果分かってきまして、これは五感と呼ばれるものはそれぞれが必ずしも独立しておらず、相互に作用しているという考え方なのですが、この概念が転機でした。

クロスモーダルな感覚提示
嗅覚の研究には匂いの素となる化学物質が必要でして、人間は2万種類の匂いを嗅ぎ分けられると言われておりました。
それだけの匂いを用意するのに困難を極めておりましたが、クロスモーダルの概念を研究に応用し、視覚や聴覚と合わせることで嗅覚をある程度騙せることができると分かりました。
鳴海氏:これまでの問題はチョコの味を出したい場合にはチョコの香料を、といった具合に一対一に対応した匂いの素をケミカルを用意する必要がありました。
それが映像と合わせることで出したい匂いと準備する匂いの素を10:3程度にすることができました。
つまり、フルーツの映像を10種類それぞれ被験者に見せながら匂いを嗅がせると、3種類の化学物質で代用できるということを研究を通じて明らかにしました。
━━なるほどですね。嗅覚の研究で苦労された点はどこでしょうか?
谷川氏:嗅覚にアプローチしたコンテンツはこれまでも香りの配信サービスや映画館でシーンに合わせて適切な匂いを出すものなど多数存在しました。
しかし、一度放つ匂いはなかなか消せないのが課題でした。
鳴海氏:その問題を解消すべく、名城大学の柳田教授の研究では人の鼻を認識して匂いを空気砲に込めて押し出しピンポイントで嗅がせる仕組みを作っておりました。
私たちの研究ではインクジェット方式を採用し、人の鼻呼吸に合わせて微量の匂いを鼻に送り込み、匂いが鼻の周りに滞在しないウェアラブル型の嗅覚ディプレイを作りました。

ウェアラブル型の嗅覚ディプレイ
━━味覚へのアプローチもクロスモーダルの概念が普及してからでしょうか?
谷川氏:そうですね。嗅覚の研究で使用する映像に食べ物系が多かったので、視覚・嗅覚に合わせて味覚も合わせたアプローチを行うようになりました。
鳴海氏:研究事例としては、クッキーにマーカーをつけ、HMDを介して見ることで映像上ではチョコのクッキーに変換され、同時にHMDに装着したチューブからチョコの匂いを出すという取り組みを行いました。
ARを用いた仕掛けで味を変えるということに成功しました。
また、映像でクッキーの大きさを実物よりも大きく表示して食してもらう実験では、通常に食べるよりも少ない枚数で満腹感が得られました。
VRのおかげでちょっとアプローチをすると内臓の感覚を変えることもできます。
━━それは面白いですね!研究が進めばダイエットにも生かせそうですね。
他にはどんな研究をされているんでしょうか?
鳴海氏:VRで感情を作りだすことはできないか実験してみました。
人間の感情はまず体が反応し、その結果から感情が作られます。
例えば「悲しい」という体験は、特定の体験をしたときに体が先に反応して涙が出て、それを自覚するからこそ「悲しい」のであって、決して「悲しい」と思ってから涙が出るわけではありません。
常にカラダで起こったことの意味として感情はラベリングされるので、鏡で見た自分が笑っている(実際の表情は無表情)とどうなるか実験してみました。
結果、鏡につられて気分が明るくなりましたし、悲しい顔をしているとネガティブな気分になることが分かりました。
━━視覚を用いて感情まで変わるんですね。これは何かに応用できそうですね。
鳴海氏:はい、実際にビデオチャットで相手の顔が笑顔に見える仕掛けをしてブレストをしてもらったところ、表情を変えずにやるよりも1.5倍アイデアが出ました。
別の研究機関の事例でもスーパーマンになれるVR体験がありまして、HMDをつけてスーパーマンをなりきって善行をすると、HMDをとったあともに善行をしようとする結果が出ました。
VRを上手に使うことで人はよりクリエイティブにもなりますし、行動をいい方向に変えることもできるということが非常に面白いなと思います。
━━人々の生活がよりよいものにするためのVR活用、こちらはどうやったら広がっていくとお考えですか?
鳴海氏:本当に必要としている人のために使うという意味では病院などで使われると良いと思います。
先ほどご紹介した「味を変える」VRで病院食の味を変えたり、小食な方のために見た目よりも食べ物を小さくして量を食べられるようにするなど、ヘルスケアやダイエットなどの分野で広まりそうな気がします。
━━研究を通して最終的に達成したいことは何でしょうか?
鳴海氏:五感を自在に操ることで、社会に役立つ仕組みを提供したいと考えています。
五感の中でも味覚と嗅覚は難しいので、研究を積み重ねているところです。
━━現状の課題を教えていただけますでしょうか?
鳴海氏:できるだけカンタンなデバイスで味や匂いが出せるものを研究の成果として出せるように取り組んでいます。
━━ありがとうございました。
今回、取材をしてみてVRは「その場に行った気になる」という体験ができるものがほとんどでした。
しかしながら今回、「五感を自在に操る」過程で取り組んできた研究成果を拝見してVRは「味を変える」「創造力を上げる」「満腹感や感情を変える」など、さまざまな効果を垣間見ることができました。
使い方次第で人々に役立つ素晴らしいソリューションとなる可能性を秘めており、同研究室の今後の研究成果が楽しみになりました。
VRが人々の暮らしに当たり前に存在するようになったとき、同研究室の技術が多く取り入れられてるかもしれません。
プロジェクトのご紹介
東京大学工学部で
拡張満腹感
食品の見た目のサイズだけを変化させることで、満腹感は一定のまま食事量を10%程度増減させることが可能なシステム。
メタクッキー
視覚・嗅覚・味覚間の感覚間相互作用を利用することでクッキーを食べた際の味を変化させる味覚提示手法。
扇情的な鏡
鏡の中の自分の表情を笑ったり悲しんだり見せることによって、体験者の感情状態に影響を与えるシステム。
Smart Face
ビデオチャットの際に相手に表示する自分の容貌を変化させることによって、ブレインストーミングの能力を向上するシステム。
視触覚相互作用を用いたリダイレクション
限られた空間内で広大なVR空間の歩行移動を可能にする手法であるリダイレクションに触覚的手掛かりを組み合わせることで、従来手法より狭い空間でもリダイレクションが可能なシステム。
国内でVR空間で100m以上歩くことを実現した。
ChewingJockey
食品を食べるときの音を変調し、食感を変化させる。これにより食べ物のサクサク感を向上するシステム。
Yomlog
他人の評価のフィードバックによって食事の満足度を操作することで、健康的な食事に対する満足度を高め、無意識レベルで食行動を改善するシステム。
また、谷川氏は日本VR学会 香り・味と生体情報研究委員会にも所属されており、嗅覚と味覚やそれらと他感覚の相互作用をVRで用いるための知見を深めています。
廣瀬・谷川・鳴海研究室公式サイト
http://www.cyber.t.u-tokyo.ac.jp/ja/projects/
日本バーチャルリアリティ学会 香り・味と生体情報研究委員会
http://www.sigsbr.org/
Copyright ©2016 VR Inside All Rights Reserved.