デジタル技術が進化する現代において、私たちの生活や食文化はどのように変わっていくのでしょうか。未来のコンピュータの在り方を探求し、特に「味覚メディア」という概念に注目し、食の遠隔体験を可能にする技術の開発に取り組んでいる明治大学の宮下芳明教授に、教授の研究がどのように人々の生活を豊かにし、食文化を変革するのか、そして今後の展望についてお話を伺いました。(聞き手:デジタルシフトウェーブ 代表取締役社長 鈴木康弘氏)
味覚のメディア?!
鈴木:本日はよろしくお願いします。まずは、教授のご経歴についてお聞かせください。
宮下:私は明治大学の総合数理学部先端メディアサイエンス学科の設立に関わり、現在は学科長を務めています。この学科では、未来のコンピュータの在り方を探求することを目的としています。人々の生活を豊かにするためには、コンピュータの性能そのものではなく、そこから提供される体験に注目する必要があるのです。
私たちが取り組んでいる「先端メディア」という概念は、コンピュータを計算機としてではなく、私たちの生活を豊かにするためのメディアとして捉えるものです。この考えのもとで、「味覚メディア」を提唱しています。味覚をデジタル的に記録・再生する技術を開発することで、聴覚メディアや視覚メディアが起こしてきたようなイノベーションを引き起こせると考えています。

鈴木:興味深いですね。具体的には「味覚メディア」でどのようなプロジェクトを進めていますか。
宮下:例えば、レストランに足を運ばなくても、お店の味をダウンロードして自宅で楽しめるようになる味覚メディア、TTTVシリーズを開発しています。「テレテイスト」や「テレイート」を目指しています。
鈴木:「テレワーク」みたいですね。
宮下:コロナ禍でステイホームが流行った際に間に合っていれば、「テレワーク」と並んで使ってもらえたかもしれないと思っています。そういった意味で、多くの企業が参画すべき産業だと思っています。
鈴木:TTTVシリーズについてもう少し具体的に教えてください。
宮下:どれも、味センサで測定された味データをもとに、塩味や酸味などの味物質を混合して味を再現するプリンタのような機械となっています。最初のTTTV1は、画面越しに味見する「テレテイスト」を目指したデバイスでした。通販やお取り寄せ、フードデリバリーで味見せずに食べ物を注文することは、いわばCDの「ジャケ買い」のようなものです。どんな味かを事前に体験できれば安心して注文ができますよね。
TTTV2は、「テレイート」を目指した調味家電です。たとえば味のデータをダウンロードしてご飯にかければ、炊き込みご飯やパエリア自体を運んでこなくてもよくなります。CDの注文・配送ではなく、音楽データをダウンロードしてそのまま聞くようなイメージです。食品の輸送を行わずに、味データのみを転送し、味物質の地産地消で同等な食体験を実現できます。
TTTV3では、0.02ml単位で味物質を添加できるようになり、品種やブランドの違いまで表現できるようになりました。1億円のロマネ・コンティやペルー産のカカオなど、稀少だったり絶滅が危惧されたりする食材でも、安価に複製可能になります。
TTTV4では、これらの機構をスプーン内部に搭載し、個人ごと、一口ごとに味を変えて楽しめるようになりました。これまでは味センサで食べ物の味を測定しておく必要があったのですが、AIによる推定ができるようになったので、食べたいものをスマホに話しかければその味を楽しめるようになりました。
鈴木:興味深いアプローチですね。SDGsにも貢献しそうです。

宮下:味の熟成過程も自在に表現できるので、作りたてのカレーを熟成した味に変えたり、1日おいたカレーを新鮮な味に戻したりする「味のタイムマシン」も開発しました。これで賞味期限は考えなくてよくなり、消費期限だけを気にすればよいので、フードロス削減にも寄与できると考えています。
科学の楽しさや身近さを伝える語り部として
鈴木:様々な研究成果が評価され、2023年にはイグ・ノーベル賞を受賞されましたが、受賞後の影響について教えてください。
宮下:受賞の連絡を受けた時、この賞を受けるべきか迷い、どのような賞かをよく調べました(笑)。
鈴木:どういう賞なのでしょうか。
宮下:イグ・ノーベル賞は、マスメディアで面白おかしく紹介されることもありますが、実態は「科学振興」を目的とした賞でした。ノーベル賞受賞者や関係者も多く関わっています。ノーベル賞のように高度な成果だけを表彰していくと、一般の人たちから「科学は堅苦しくて難解なもの、生活や社会とかけ離れたもの」と誤解されたり、科学離れにつながったりする可能性があります。自身の研究をフックにして、科学がいかに身近で楽しいものであるかを伝える語り部となる科学者が、ノーベル賞の「裏」で求められているというわけです。実際、僕も子ども科学館のイベントなど、一般の方々を対象にした講演の依頼が一気に増えましたね。
(後編へ続く)