日本の科学技術に再び光を――そんな強い思いから誕生したのが、中谷財団が2024年に創設した「神戸賞」です。設立40周年を機に始まったこの賞は、医療と工学の融合領域「BME(バイオメディカルエンジニアリング)」に挑む日本人研究者を対象に、最大5000万円の賞金と破格の研究支援を提供します。停滞する日本の科学技術界に新たな希望の火を灯す神戸賞。中谷財団の矢冨裕理事長に、神戸賞に込めた思いを聞きました。
――中谷財団の設立の経緯や目的、活動内容を教えてください。
中谷財団は、1984年に設立された公益財団法人です。2024で設立40周年を迎えました。財団の創設者は、医療検査機器メーカーであるシスメックスの創業者、中谷太郎です。シスメックスは、人間ドックなどで行われる血液検査において、特に白血球や赤血球の数を自動で数える機械を主力事業としている会社です。
設立以来40年間、財団は活動を続けており、これまでの助成総額は66億円、累計助成件数は2700件に上ります。昨年(2023年)だけでも、年間約8億円、280件程度の規模で助成を行っています。財団の予算規模は、約10年前までは数千万円という小規模なものでしたが、2012年に中谷太郎氏のご子息である中谷正さんが逝去された際、そのご資産の大部分が財団に寄付されました。これにより、それ以降、毎年10億円以上の配当金が得られるようになり、予算が大幅に増加し、事業も多岐にわたって拡大してきました。
中谷財団の事業は、若手研究者や大学院生、大学生だけでなく、小中高校生まで、幅広い年代を対象としています。日本でも珍しい「小学生から研究者まで」を支援するユニークな財団となっています。事業は現在6つの柱があり、17のプログラムを実施しています。
日本の助成制度は、文部科学省などが行う「公的助成」と、中谷財団のような「民間助成」の2種類があります。公的助成は総額では圧倒的に多いものの、分野が厳密に決まっており、研究者の自由な発想が反映されにくい側面があります。一方で、中谷財団のような民間助成は、対象や特色をかなり自由に絞り込むことができ、新たな独創性を取り入れたり、有機的に活動することができます。中谷財団は、その規模の大きさや支援対象の広さ、そして独自の特色により、日本の民間助成団体の中で非常に重要な地位を占めていると自負しています。
神戸賞の創設目的は、停滞している日本の科学技術に活力を与え、日本を元気にすることです。バブル崩壊後の「失われた10年、20年、30年」と言われる日本の状況に対し、資源に乏しい日本が科学技術立国として再び輝くためには、私たちにできることで貢献したいと考えています。大きな学術賞を立ち上げ、1人でも2人でも、意欲的な研究者が現れることを期待しています。
――中谷財団では2024年に「神戸賞」という新たな表彰制度を開始しました。具体的にどのような表彰制度なのかを教えてください。
神戸賞は、中谷財団が設立40周年を記念して2024年に新たに創設した表彰事業です。財団がこれまで続けてきた医工計測技術分野に特化した「中谷賞」に加えて、バイオメディカルエンジニアリング(BME)分野を対象とした大型の学術賞として立ち上げられました。
神戸賞には2つの部門があります。1つは大賞で、受賞者には5000万円が贈られます。もう1つは若手研究者向けの「Young Investigator 賞」で、賞金500万円に加え、5年間で4000万円の研究助成金が提供されます。これにより、若手研究者が継続的に研究に取り組めるよう支援する、日本でも非常にユニークな表彰制度となっています。また、受賞対象を日本人研究者に限定している点も特徴です。

神戸賞の設立には、「失われた10年、20年、30年」と言われる日本の停滞状況を打破し、日本を再び元気にするという強い思いが込められています。資源の乏しい日本が国際社会で存在感を示すためには、科学技術による立国が不可欠であり、そのためには独創的な学術研究が重要だと考えています。神戸賞のスローガンは「独創に光を。」で、医療や人々の健康に貢献する独創的な研究やイノベーションに光を当て、将来的にイノベーションを引き起こす可能性を秘めた、独創的な研究者を発掘・顕彰することを目的としています。
なお、神戸賞を創設するまでには約3年の期間を要しました。当初はグローバルな賞とすることも検討されましたが、仮にBME分野で世界中の研究者と競い合った場合、毎年日本人受賞者が出るのは非常に難しいという懸念がありました。学術的な評価としてはそれでも構わないものの、「日本を元気にする」という設立趣旨を考えると、日本人が受賞しないと貢献度が小さくなってしまうという結論に至りました。そのため、当面は日本人研究者に限定し、それを明記するという、学術賞としては非常に異例の決断をしました。
――神戸賞では「BME」分野を対象としています。なぜ、BMEにフォーカスしたのでしょうか。
神戸賞の対象分野であるBMEは、「生命科学と理工学の融合境界」生物学や医学といった「生命科学」と、物理学、化学、情報科学などの応用である「理工学」が融合した分野を指します。
具体的な研究領域としては、医療や人々の健康に貢献する独創的でイノベーティブな研究全般を対象としています。生命科学と理工学が「並び立つ」ような融合境界に焦点を当て、基礎研究から、製品開発に近い応用研究まで、幅広く対象としています。特に、近年の研究においては、数学や情報科学が不可欠であるため、工学に「理工学」という表現を用い、生命科学と理工学の融合を強調しています。
このBMEにフォーカスした経緯は、中谷財団の歴史と深く関係しています。財団の設立はシスメックスの創業者である中谷太郎氏によるもので、シスメックスの主力事業が血液検査における血球数の計測であったため、設立当初から長らく、財団は医工連携領域の中でも「計測」という特定分野の研究を重点的に支援してきました。
しかし、特にここ10年間で財団の規模が大幅に拡大したことで、支援対象となる研究者の数が増え、その研究内容も「計測」という枠を超えて多岐にわたるようになりました。そこで、「計測」という狭い分野だけでなく、「計測」を含むより幅広い「バイオメディカルエンジニアリング」の領域へと助成対象を広げることを決定しました。
この転換は、財団の最終的な目的に合致しています。財団も、そして神戸賞も、最終的には社会やヘルスケアへの貢献を目指しています。その観点から見ると、計測技術だけでなく、医学分野により広く還元されるBMEという形にすることで、より大きな貢献ができると考えたのです。この方針転換は、財団としても非常に適切であると確信しています。つまり、財団の成長と、より広範な社会貢献への志が、神戸賞のBMEフォーカスへとつながったのです。
――神戸賞に応募する研究者はどのような人が多いのでしょうか。
神戸賞に応募される研究者は、基本的にアカデミア(大学や研究機関)に所属する方が中心です。これは、公的助成であっても民間助成であっても、研究助成の基本的な対象がアカデミアの研究者だからです。企業に所属する研究者の場合は、通常、所属企業の研究費を利用することが多いです。中谷財団は、日本の「アカデミアの研究者を元気にし、支える」ことを目的として活動していますので、その方針に沿った応募者が多くなっています。
神戸賞の応募は一般公募ではなく、候補者の研究内容をよく知るアカデミアの先生方からの推薦によって行われます。これは、特定の分野に絞らず、幅広く独創的な研究を見出すためでもあります。
これまでの応募状況は、第1回と第2回共に、約100名の方々から応募がありました。内訳は、大賞とYoung Investigator 賞の応募がおよそ1対2の割合でした。この100名という応募数は、財団としては「十分に多い」と捉えています。
私たちが重視しているのは、応募数の多さよりも研究の「質」、特に「独創性」です。例えば、国が提供する研究費助成にもS、A、B、Cといったランクがあり、SやAランクは応募数が少ないものの、応募する研究者は一流の方ばかりです。神戸賞も同様に、応募資格がある研究者はごく限られており、応募された方々は「これだけ応募いただければ十分」と言えるほど、質の高い研究者ばかりであると考えています。
研究の「独創性」というのは多義的ですが、私たちはコンセプト自体が新しい「研究の上流」の部分を特に重視しています。もちろん、そのコンセプトを実現するための技術も重要ですが、最終的な製品開発(デベロップメント)は企業の収益事業であり、私たちの対象とは異なります。あくまで研究段階における独創性を評価の軸としています。
――第2回神戸賞には「特殊ペプチド創薬の開拓とイノベーション」という研究テーマが大賞となりました。具体的にどんな研究なのか、分かりやすく教えてください。
第2回神戸賞の大賞を受賞されたのは、東京大学大学院薬学系研究科の菅裕明博士で、その研究テーマは「特殊ペプチド創薬の開拓とイノベーション」です。これは、医薬品開発に大きく貢献する、非常に独創的で素晴らしい研究と言えます。

これまでの薬は、大きく分けて2種類ありました。1つはアスピリンのような低分子化合物で、昔から使われてきたものです。もう一つは、20世紀後半に生命科学が爆発的に進展したことで開発が進んだ抗体医薬です。抗体医薬は基本的に注射でしか投与できず、口から飲むことはできません。それぞれに利点と欠点があります。
菅先生の研究は、これらの低分子化合物と抗体医薬の中間にある、「中分子」と呼ばれる新しい種類の薬の可能性を開いたものです。先生の造語では「中分子」と表現されています。通常、ペプチド(アミノ酸がいくつか連なったもの)は、口から摂取すると胃の中で分解されてしまい、薬として利用できません。
菅先生の独創性は、「特殊アミノ酸」を独自に開発し、それを用いて胃の中で分解されにくい「特殊ペプチド」を作り出した点にあります。これにより、ペプチドを口から飲める薬として使える可能性が生まれたのです。先生の研究グループは、このような特殊ペプチドを無限の組み合わせで作り出し、その中から薬になる可能性のある物質を効率的に見つけ出す技術まで確立しました。
この成果は、創薬における全く新しい柱を築きつつあると言っても過言ではありません。世界中の製薬会社がこの技術を使って研究を進めている状況です。この分野は世界的に非常に注目されており、菅先生の研究グループは、この画期的なアプローチに取り組む世界で唯一の存在でした。その第一人者としての先駆的な役割が、今回の受賞において高く評価されたポイントです。

――現在、第3回神戸賞の応募者を募集中です。どんな研究者にエントリーしてもらいたいですか。
基本的にはバイオメディカルエンジニアリング(BME)の対象範囲に収まり、優れた独創的な研究であれば、すべての研究者の方を歓迎しています。
むしろ、「こんな研究があるんだ」と審査員が驚くような、斬新でユニークな研究が来てくれることを期待しています。特定の研究分野や研究者に限定するようなメッセージは、特にありません。
しかし、あえて「このような研究者に」という要望を申し上げるならば、それは「現役の研究者」であるという点です。ノーベル賞を受賞される方々は、すでに長年の研究成果が世界中で認められ、盤石な評価を確立している場合が多いでしょう。しかし、神戸賞の受賞者(浦野先生や菅先生)は、大賞受賞者としては比較的若い方々です。彼らの研究は、すでにしっかりとしたエビデンス(証拠)が示されていますが、例えば菅先生の特殊ペプチドが医薬品として実際に大きな効果を発揮するかどうかの最終的な評価は、まだこれからという段階でもあります。
私たちがイメージしているのは、今後さらに大きな花を咲かせることが期待される先生方です。現時点ではまだ誰もが知っているというわけではなくても、将来的に大きな成果を生み出す可能性を秘めた、意欲的な研究者に、この賞を通じてさらに飛躍してもらいたいと考えています。完全に無名の研究者を発掘するのは、論文などのエビデンスが必要な研究の世界では難しいことですが、私たちは有望な「現役の研究者」に光を当てたいと願っています。
――中谷財団として今後、神戸賞をどんな賞にしていきたいと考えていますか。
神戸賞は、まだ設立から2年目と非常に新しい賞です。そのため現時点では、具体的な今後の展開や、数値的な目標を明確に持っているわけではありません。
私たちは、今はまず、現在のコンセプトで優れた研究者を選び続けていくことを重視しています。数よりも質の高い研究、そして独創性に富んだ研究を選んでいくという方針を継続していきます。そして、5年後や10年後といった節目で、これまでの活動を振り返り、評価を行う予定です。その際に、賞のあり方や展開について、改めて検討していくことになるでしょう。
ただ、神戸賞を立ち上げた理由の1つとして、「この賞をきっかけに様々な方々から意見を収集したい」という思いがありました。私たちが日本人研究者を対象としているのは異例の取り組みであり、これに対して各方面から様々なご意見をいただいています。そういったご意見も参考にしながら、賞の形態を含めて、将来的にはもっと良いものがあるのなら、それへと柔軟に変えていく可能性も排除していません。私たちは常に、日本の科学技術と研究者を支援し、日本を元気にするという神戸賞の設立趣旨に立ち返りながら、神戸賞が真に価値のある賞として成長していくことを目指していきます。
【関連リンク】
公益財団法人中谷財団
https://www.nakatani-foundation.jp/