犬にまつわることわざ(日本編)
日本には、犬の性質や人間との関わりを巧みに表現したことわざが数多く存在します。ここでは、特に有名なものをいくつかご紹介しましょう。
犬も歩けば棒に当たる
これは非常に有名なことわざで、何か行動を起こせば、思いがけない幸運に出会うこともあるし、逆に災難に遭うこともあるという意味です。
元々は後者の「災難に遭う」という意味合いが強かったようですが、現在では「何かをしていれば良いことがあるかもしれない」という前向きな意味で使われることも多くなりました。好奇心旺盛に歩き回る犬が、棒で叩かれることもあれば、何か美味しいものを見つけるかもしれませんね。
飼い犬に手を噛まれる
日頃から面倒を見て信頼していた人から、裏切られたり害を受けたりすることのたとえです。
愛情をかけて育てていたはずの飼い犬に、ある日突然手を噛まれてしまうというショッキングな状況から来ています。
人間関係において、恩を仇で返されるような場面で使われます。犬のしつけにおいて、信頼関係は非常に重要ですが、時には予期せぬ行動もあるという戒めにも通じるかもしれません。
夫婦喧嘩は犬も食わぬ
夫婦の間のいさかいは、当人同士で解決すべきで、他人が口出しすべきではないという意味です。
また、夫婦喧嘩は一時的なもので、すぐに仲直りすることが多いので、周りが心配するほどのことではない、という意味合いも含まれます。犬でさえも夫婦喧嘩には関わろうとしない、あるいは呆れて見向きもしない、といったユーモラスな光景が想像されます。どんなに賢いボーダー・コリーでも、夫婦の複雑な感情の機微は理解しがたいのかもしれませんね。
犬に論語
価値の分からない相手に、高尚なものや大切なことを説いても無駄であることのたとえです。
「論語」とは、中国の偉大な思想家である孔子とその弟子たちの言行をまとめた書物で、人間が生きていく上での道徳や教訓が記されています。犬にこの論語を読み聞かせても、その深い意味を理解することは到底できないでしょう。相手の理解力や関心を見極めずに、一方的に教えを説くことの愚かさを示唆しています。
犬猿の仲
非常に仲が悪いこと、いつもいがみ合っている関係を指します。
犬と猿は、昔からあまり相性が良くないとされ、出会うとすぐに喧嘩を始めるイメージがあります。実際に、狩猟犬が猿を追い立てることもあったため、このような表現が生まれたと考えられます。日本で人気の犬種である柴犬は時に警戒心が強い一面も見せますが、必ずしも猿と仲が悪いわけではありません。これはあくまで、人間関係の険悪さを表すための比喩表現です。
尾を振る犬は叩かれず
愛想よく接してくる相手に対しては、無下に扱ったり、厳しく当たったりしにくいという意味です。
犬が尻尾を振るのは、喜びや親愛の情を示す代表的な行動です。このように友好的な態度を示す犬を、わざわざ叩こうとする人はいないでしょう。これは人間関係においても同様で、にこやかに接することの大切さを教えています。
旅の犬が尾をすぼめる
これは少し珍しいことわざかもしれませんが、慣れない土地で不安や警戒心から、犬が尾を丸めてしまう様子を表しています。
そこから転じて、アウェイな環境で気後れしたり、小さくなったりしている人の様子を指すことがあります。犬は縄張り意識が強い動物であり、自分のテリトリー外では警戒心が強くなることがあります。その様子が目に浮かぶような表現です。
負け犬の遠吠え
臆病者が、直接相手に立ち向かえず、陰で悪口を言ったり威張ったりすることのたとえです。
喧嘩に負けた犬が、相手が去った後に遠くからキャンキャンと吠え立てる情けない様子から来ています。実力がないにもかかわらず、虚勢を張る行為を揶揄する際に用いられます。
頼むと頼まれては犬も木へ登る
頼まれたり、おだてられたりすると、普段はしないようなことでも、つい引き受けてしまうという意味です。
犬は基本的に木に登る動物ではありませんが、飼い主などに強く頼まれたり、褒められたりすれば、無理をしてでも期待に応えようとするかもしれない、という状況を想像させます。人の心理を巧みに表現したことわざと言えるでしょう。
煩悩の犬は追えども去らず
人間の心の中に湧き起こる欲望や迷いは、追い払おうとしてもなかなか消えないことを、犬にたとえた表現です。
「煩悩」とは、仏教用語で、人の心を悩ませ、汚す精神作用のことを指します。しつこくつきまとってくる犬のように、煩悩もまた人間の心から簡単には離れてくれない、という苦悩が込められています。
殿の犬には喰われ損
権力者や目上の人に関わることで被った損害は、泣き寝入りするしかないという意味です。
昔の日本では、身分の高い人が飼っている犬に噛まれたとしても、その飼い主である殿様に文句を言うことは難しかったでしょう。理不尽な目に遭っても、相手が強大な力を持っている場合には抵抗できない、という世知辛さを表しています。
犬も朋輩鷹も朋輩
「朋輩(ほうばい)」とは、仲間や同僚を意味する言葉です。
つまり、犬も鷹も同じ仲間であるという意味になります。
これは、一見すると身分や能力に違いがあるように見えても、同じ目的のために働く者は皆、対等な仲間であるべきだという教えです。江戸時代の武士社会において、鷹狩りに使われる犬と鷹は、それぞれ異なる役割を果たしながらも、主君に仕えるという点では同じ仲間と見なされたことから生まれたとされています。
犬に関する海外のことわざ(英語、韓国語)
犬は世界中で愛され、人間の生活に深く関わってきました。そのため、海外にも犬にまつわる興味深いことわざがたくさんあります。
英語圏のことわざ
英語圏では、犬は忠誠心や友情の象徴として、また時には人間の振る舞いを映す鏡として、ことわざに登場します。
Every dog has its day.
直訳すると「どんな犬にも得意な日がある」となります。
これは、誰にでも一生に一度は幸運な時期や成功する時が訪れるという意味です。長い間不遇だったとしても、いつかはチャンスが巡ってくるという希望を表す表現です。たとえ今は目立たないチワワのような小さな存在でも、いつか輝く日が来るかもしれません。
Let sleeping dogs lie.
直訳は「寝ている犬は寝かせておけ」です。
これは、面倒なことや厄介な問題にわざわざ触れて、事を荒立てるべきではないという意味で、日本語の「触らぬ神に祟りなし」に非常に近い表現です。静かに寝ている犬を起こせば、吠えられたり噛まれたりするかもしれない、という状況を思い浮かべると分かりやすいでしょう。
It's raining cats and dogs.
直訳すると「猫と犬が降っている」という意味になり、何のことか分からないかもしれません。
これは、雨が非常に激しく降っている様子、いわゆる「土砂降り」を表す有名な英語のイディオム(慣用句)です。
その由来には諸説ありますが、昔のイギリスの劣悪な排水事情で、大雨が降ると道端の動物の死骸が流された様子から来たという説や、北欧神話で嵐の神オーディンに仕える犬や狼が風を、魔女に仕える猫が雨を象徴したという説などがあります。
韓国のことわざ
お隣の国、韓国でも、犬は生活に密着した存在であり、様々なことわざにその姿を見ることができます。
개천에서 용 난다 (ケチョネソ ヨン ナンダ)
直訳すると「小川から龍が出る」となります。
これは、貧しい環境や平凡な家柄から、非常に優れた人物や偉大な人物が現れることのたとえです。
日本語で近い表現を探すとすれば「鳶が鷹を生む」がありますが、より劇的な出世や成功をイメージさせます。犬が直接登場するわけではありませんが、身近な「小川」と伝説の「龍」を対比させることで、その意外性を強調しています。
사흘 굶어 담 안 넘을 개 없다 (サフル クルモ タム アン ノムル ケ オプタ)
直訳すると「三日飢えれば塀を越えない犬はいない」という意味です。
これは、どんなにおとなしい人や品行方正な人でも、追い詰められたり、極限状況に置かれたりすれば、普段では考えられないような行動をとることがあるという教えです。
三日間も何も食べられなければ、普段は行儀の良い犬でさえも、食べ物を求めて塀を乗り越えてしまうだろう、という状況から来ています。人間の本質的な部分を犬に託して表現しています。
개같이 벌어서 정승같이 쓴다 (ケガチ ポロ소 チョンスンガチ スンダ)
直訳は「犬のように稼いで大臣のように使う」です。
これは、お金を稼ぐ過程では、たとえ卑しい方法や大変な苦労をしたとしても、その使い方さえ立派であれば良いという意味合いです。
韓国では、伝統的に両班(ヤンバン)と呼ばれる貴族階級が重視され、お金儲けは卑しいことと見なされる風潮がありました。しかし、そのようにして得たお金であっても、社会のために有益に使ったり、気前よく使ったりすれば、その稼ぎ方も正当化されるという価値観を示しています。
犬の慣用句
ことわざほど教訓めいたものではありませんが、犬を使った慣用句も日本語にはたくさんあり、私たちの会話の中でごく自然に使われています。
犬死に
無駄な死、何の意味もない死に方をすることを指します。
戦いや目的のために命を落とすのではなく、何の役にも立たずに死んでしまうことを、犬の死に様になぞらえた表現です。
犬馬の労(けんばのろう)
主君や目上の人のために、力を尽くして働くことを謙遜して言う言葉です。
犬や馬が飼い主のために忠実に働く様子から来ています。「犬馬の労を尽くす」といった形で使われます。「労」とは、働きや骨折りのことを指します。
スパイ/犬
組織や集団の内部情報を、敵対する相手や外部に密告する人のことを、軽蔑して「スパイ」や「犬」と呼ぶことがあります。
これは、権力者に使役される犬のイメージや、時に裏切り者として扱われるネガティブな側面から来ていると考えられます。
負け犬
これはことわざ「負け犬の遠吠え」とも関連しますが、競争や勝負に敗れた人を指す言葉として一般的に使われます。
敗北を認めて意気消沈している様子や、どこか卑屈なイメージを伴うことがあります。日本で人気の犬種、例えば愛らしいトイ・プードルや賢い柴犬も、時には遊びの競争で「負け犬」になることがあるかもしれませんが、それはあくまで微笑ましい光景ですね。
犬も食わない
これは「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」から派生した形で、誰も相手にしない、誰も関心を持たないようなくだらないことや、馬鹿馬鹿しいことを指して使われます。「そんな話は犬も食わないよ」といった具合です。
まとめ
今回は、日本の伝統的な犬のことわざから、英語圏や韓国のユニークな表現、そして日常会話で使われる犬の慣用句まで、幅広くご紹介しました。これらのことわざや慣用句は、単に言葉の面白さだけでなく、その背景にある文化や、犬と人間がいかに深く関わってきたかを物語っています。
例えば、「犬も歩けば棒に当たる」からは行動の大切さを、「飼い犬に手を噛まれる」からは人間関係の難しさを学ぶことができます。また、海外のことわざに目を向ければ、「Every dog has its day.」のような普遍的な励ましの言葉や、「It's raining cats and dogs.」のような文化的な背景を持つ表現に出会うことができます。
犬は、その忠誠心、愛らしさ、時には予測不可能な行動で、古今東西、人々の心をとらえ、言葉の世界にも大きな影響を与えてきました。 日本で人気のミニチュア・ダックスフンドや元気いっぱいのウェルシュ・コーギー・ペンブロークといった愛らしい犬たちとの暮らしの中で、私たちはこれからも新たな「犬の言葉」を生み出していくのかもしれません。
この記事を通して、犬にまつわる言葉の豊かさ、そして犬という存在の奥深さを少しでも感じていただけたなら幸いです。ぜひ、日常会話の中でこれらのことわざや慣用句を思い出して、言葉の持つ面白さを味わってみてください。
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