最凶の寄生虫「芽殖孤虫(がしょくこちゅう)」のゲノムが解析されました。
2021年5月31日に、日本の宮崎大学の研究者たちが『Communications Biology』に掲載した論文によれば、極めて致死性の高い寄生虫として知られる「芽殖孤虫」の全ゲノムの解析に成功したとのこと。
芽殖孤虫症は全世界で18例しか知られていない極めてまれな寄生虫感染症ですが、無限に分裂増殖しながら人体を喰いつくしていく残酷さ、搔きむしった皮膚から無数の虫が湧き出てくる異様さにより、古くから奇病として恐れられていました。
1907年、国内2例目の患者では、筋肉片約3cm2以内に20~25もの蟲嚢があり、担当した当時の東大病院の医師は解剖記録では
“「無数の大小種々の条虫および嚢虫の湧き出るを認め、一見慄然(りつぜん)たらしむ」
「全身の至るところに居りて、肺では最も著しい」
「こうなってしまったら蟲を殺すより人間を殺す方が早し」”
(引用元:吉田貞雄「Plerocercoides prolifer Iijima に就て」(動物学雑誌244 1909))
と記録しています。
医学的にはどうにもならないというサジ投げ宣言に近いものと言えるでしょう。
さらに人体から発見された「芽殖孤虫」は全て幼虫の段階であり、現在に至るまで成虫が発見されていないとのこと。
そんな謎と恐怖に包まれた芽殖孤虫の正体とは、いったい何だったのでしょうか?
目次
- 体を喰いつくす「芽殖孤虫」は動物の犠牲で維持されてきた
- 「芽殖孤虫」は卵を産まず体を分裂させて増える
- 分裂が盛んなメデューサ型は未知のタンパク質を分泌している
- 100年前の名医がサジを投げた伝説の奇病に挑む
体を喰いつくす「芽殖孤虫」は動物の犠牲で維持されてきた
芽殖孤虫に感染した典型的な例では、幼虫が皮膚をはじめとする臓器で無分別に増殖します。
死後の人体は、皮膚や消化器官、骨、肺、脳など様々な組織が、まるでスポンジのように穴が開いた状態にまで喰いつくされてしまうのです。
発症者の多くは両生類やハ虫類を食べる習慣があった他、ミジンコなどを多く含む汚染された井戸水を飲んでいたとされていますが、感染経路の詳細は不明。
しかも知られているのは幼虫のみであり、これまでにどんな動物からも成虫は発見されていません。
芽殖孤虫の名前の「孤虫」の部分は「孤児の虫」を意味し、成虫が不明であることを示します。
現在、芽殖孤虫に対する効果的な治療薬はなく、外科的に取り除く以外対処方法は存在しないのです。
しかしその症状の奇特さから研究者たちの興味を引き、1981年のベネズエラの症例から分離された虫は、40年にもわたり生きたマウスに感染させ続けることで保存されてきました。
そこで今回、宮崎大学・国立科学博物館・東京慈恵会医学大学らの研究者たちは、最新の設備を用いて芽殖孤虫のゲノムを分析し、その正体を探ることにしました。
結果、意外な事実が判明します。
「芽殖孤虫」は卵を産まず体を分裂させて増える
遺伝解析を行うにあたり、研究チームはまず、マウス体内で維持されてきた「芽殖孤虫(がしょくこちゅう)」と、日本のシマベビから採取した「マンソン裂頭条虫(れっとうじょうちゅう)」からDNAを抽出しました。
結果、芽殖孤虫のゲノムは6億5000万塩基対からなり、遺伝子総数は1万8919個であると判明。
これはヒトのゲノム(30億塩基対)と比べると小さいものの、エキノコックス(約1億500万塩基対)や回虫(2億7000万塩基対)など他の寄生虫よりはかなり大きな値です。
また芽殖孤虫のゲノムはマンソン裂頭条虫(8億塩基対)と似ている部分があったものの、塩基配列およびゲノム数からも明らかに別の生物であると判明します。
かつて芽殖孤虫はマンソン裂頭条虫の異常個体であるとする説がありましたが、今回の研究によって完全に否定されました。
ですがより興味深い発見は、個々の遺伝子解析によってみえてきました。
芽殖孤虫に含まれる遺伝子を調べた結果、卵から体を作るために必要な「個体発生」にかかわる遺伝子や有性生殖に必要な10個の遺伝子について重要度(選択圧)が低下していることが判明。
また神経系を作る遺伝子や体の前後を決める遺伝子(Hox1)など、体の正しい形成に重要な遺伝子のいくつかが失われていることも判明します。
この結果は芽殖孤虫は卵を産む成虫段階が存在せず、増殖がもっぱら出芽・分裂という無性生殖に依存していることを示します。
そしてこの無性的な増殖が芽殖孤虫の病原性の強さに直結していると考えられます。
ただ興味深いことに芽殖孤虫の全ての虫体が終末的な増殖を起こすわけではありませんでした。
「芽殖孤虫」は異なる2タイプがあったのです。
分裂が盛んなメデューサ型は未知のタンパク質を分泌している
研究チームが、マウスから取り出した虫体を観察していると、あるとき、盛んに出芽・分裂しているものと、出芽がみられない増殖度の遅いものがあることに気付きました。
そして増殖度が高いものを「メデューサ型」、低いものを「ワサビ型」と命名します。
次に研究チームは、これら2タイプでは何がどう違うかを顕微鏡レベルで調べることにしました。
結果、メデューサ型はワサビ型に比べて動きが活発で、とく発達した液胞を持っていることがわかりました。
さらに最新の機器で働いている遺伝子を比較した結果、メデューサ型ではタンパク質分解酵素、がん関連遺伝子の働きが大きく上昇していました。
特に発現量がワサビ型の200倍を超える遺伝子には、細胞外基質分解酵素(組織の侵入に使う)、神経伝達物質であるアセチルコリンの分解酵素、そして芽殖孤虫にのみ発見されている機能不明なタンパク質群が発見されました。
これら未知のタンパク質は構造的に、細胞外に出て働く分泌性タンパク質とよく似ており宿主免疫系に影響を与えると考えられます。
100年前の名医がサジを投げた伝説の奇病に挑む
今回の研究により芽殖孤虫のゲノムが明らかになりました。
現在、芽殖孤虫の感染に対しては有効な治療薬が存在せず、外科的な摘出手術のみが確実な治療法となっています。
しかしゲノムが解析されたことにより、標的とすべき芽殖孤虫の弱点も明らかになり、新薬開発につながると期待されます。
またゲノム解析は、芽殖孤虫がどのような過程をへて誕生したかという、進化的疑問を解決する第一歩になります。
伝説の奇病、芽殖孤虫の不思議が解き明かされる日は近いのかもしれません。
参考文献
謎の寄生虫「芽殖孤虫」のゲノムを解読 -謎に包まれた致死性の寄生虫症「芽殖孤虫症」の病原機構に迫る-
http://www.miyazaki-u.ac.jp/public-relations/20210531_01_press.pdf
元論文
Genome of the fatal tapeworm Sparganum proliferum uncovers mechanisms for cryptic life cycle and aberrant larval proliferation
https://www.nature.com/articles/s42003-021-02160-8
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
やまがしゅんいち: 高等学校での理科教員を経て、現職に就く。ナゾロジーにて「身近な科学」をテーマにディレクションを行っています。アニメ・ゲームなどのインドア系と、登山・サイクリングなどのアウトドア系の趣味を両方嗜むお天気屋。乗り物やワクワクするガジェットも大好き。専門は化学。将来の夢はマッドサイエンティスト……?