アメリカのハーバード大学(Harvard University)やニューメキシコ大学(UNM)などで行われた研究によって、古代マヤの洞窟で1人の女性の遺体を取り囲んでいた大量の歯は、山を越えて26.5km離れた墓にあったエリート一族の歯とDNAが一致していたことが明らかになりました。
同じ人の歯が、2つの場所に分けて納められていたのです。
なぜ一族は、わざわざ遠い洞窟まで歯を運んだのでしょうか。
研究内容の詳細は2026年6月10日にプレプリントサーバー『bioRxiv』にて発表されました。
古代マヤでは、ご先祖さまは「家の床下」に眠っていた

日本では、亡くなった家族は墓地のお墓に納められ、お盆やお彼岸になると、生きている家族がそこへ会いに行きます。
ご先祖さまは、ふだんの暮らしから少し離れた場所にいるわけです。
ところが古代マヤでは、こうした屋外の共同墓地が見つかっていません。
亡くなった家族は、自分たちが暮らす家の床下に葬られていたのです。

この習わしは、王から庶民まで、身分を問わず広がっていました。
マヤでは身分が家系と強く結びついていたため、ご先祖さまを足元に置いておくことは、「自分たちはこの家系の者だ」という証にもなりました。
しかもマヤの人々は、一度ふさいだ墓をあとから開けてご先祖さまの骨に手を加え、ときには骨の一部を取り出して別の場所へ移していました。

墓の中には、出入りするための入口や階段を備えたものまであります。
骨になったご先祖さまも、まだ家族の一員だったのです。
そんなマヤの人々が、家の床下と並んで特別な意味を持たせていた場所があります。
洞窟です。
洞窟は、死者やご先祖さまが住む世界「冥界」への入口であり、ご先祖さまと言葉を交わせる場所だと考えられていました。
ただし人が暮らす場所ではないため、洞窟に人を葬ることは、家の床下に比べるとずっとまれでした。
中米ベリーズ南部の険しいマヤ山地にある「バツブ洞窟(Bats’ub Cave)」は、そのまれな例の1つです。

小さな丘の中腹に口を開けた目立たない洞窟ですが、ここには西暦250〜400年ごろ、1人の大人の女性が葬られました。
女性の頭は取り外され、かわりに、ヒスイの玉を1粒入れた土器の底の部分が置かれていました。
女性自身のものかもしれない頭の骨のかけらは、骨盤のあたりから見つかっています。
そばに供えられた器には、仰向けに横たわる死者が描かれ、その頭はおなかの上に乗っていました。
ほかにも、カカオ豆5粒を入れて伏せた鉢や、マヤの神話で冥界の神々の持ち物とされる木製の小さな腰掛けが添えられていました。
どれも冥界の場面を思わせる品々で、彼女が王族にもふさわしい扱いで葬られたことを物語っています。

さらに奇妙なことに、女性の骨盤のまわりや首もとには、人間の歯がまとまって置かれていました。
散らばっていたものも合わせると、その数は226本にのぼります。
大人の歯は1人32本ほどですから、何人もの歯が集められていたことになります。
マヤの遺跡ではこうした歯の供え物がこれまでにも見つかっており、数百本に及ぶこともありました。
しかし歯の形を眺めるだけでは、持ち主が誰なのか、持ち主どうしがどんな関係だったのかまではわかりません。
女性を取り囲んでいた歯は、いったい誰のものだったのでしょうか。
洞窟の歯の持ち主の多くはエリート一族だった

226本の歯の持ち主は、どこの誰なのか?
答えを握っていたのは、歯の中に残っていたDNAでした。
歯は体の中でもとくに丈夫で、DNAがよく残ります。
DNAは一人ひとり違うので、2本の歯のDNAが一致すれば、同じ人の歯だとわかります。
DNAの似かたを比べれば、親子やきょうだい、遠い親戚といった血のつながりも読み取れます。
研究チームはこの方法で、洞窟の歯を含め、合わせて487点の歯や骨を調べました。

その大半は、洞窟から山を越えて26.5km離れた都市「ムクレバル・ツル(Muklebal Tzul)」の墓の歯です。
ムクレバル・ツルはマヤ山地の奥の谷にあった古典期(西暦250〜900年)の王国の都市で、中心の広場につながるエリート層の住まいの下に、一族の大きな墓が2つつくられていました。
そのうち「広場の墓(Plaza Tomb)」の歯をDNAで見分けると、少なくとも88人分あることがわかりました。
1つの墓から確認された人数としては、メソアメリカ(メキシコから中米にかけての地域)で過去最多です。

これほど離れた2つの場所のつながりを示す手がかりは、それまでの発掘で何も見つかっておらず、研究チームも両者が結びつくとは考えていませんでした。
ところが洞窟の歯のDNAを調べると、持ち主として見分けられた30人のうち24人が、広場の墓にも歯を残していたのです。
同じ人の歯が、家の下の墓と、26.5km離れた山奥の洞窟に分けて納められていたことになります。
この重なりは、偶然ではとても説明できない多さでした。
26.5kmと聞くと、1日あれば歩いて行けそうな距離に思えます。

しかし2つの場所のあいだにはマヤ山地がそびえ、ぎざぎざの石灰岩の丘と深い陥没穴が続きます。
研究チームが地形から割り出した最も楽な道筋でも、休まず歩き通して6〜7時間かかる計算です。
荷物を背負い、疲れもたまる実際の旅なら、1日では着かない道のりでした。
しかもムクレバル・ツルのまわりには、もっと近い洞窟がたくさんありました。
一族は、わざわざこの洞窟を選んで歯を運んでいたのです。

一族がこの洞窟を選んだわけを知る手がかりは、DNAが描き出した家系図の中にありました。
広場の墓などに眠る人々を血のつながりでつないでいくと、6世代と8世代にわたる2つのエリート家系が組み上がり、長いほうは西暦400年ごろから、およそ360年も続いていました。
そして洞窟の女性は、この一族の遠いご先祖さまでした。

一族の人から見ると、ひいひいおばあさんの世代ほども上にいる人だったのです。
女性が生きていたのは、2つの家系のいちばん古い人物よりも100年ほど前のことです。
研究者たちはこの女性について「王族にふさわしい扱いで冥界の入口に葬られた人」と考えています。
子孫たちはその後何世紀にもわたって、このご先祖さまのもとへ一族の歯を届け続けていたとみられます。
遠い洞窟は、一族を「冥界」につなぐ入口だった

家の床下のご先祖さまだけでは、なぜ足りなかったのか?
研究チームは、この洞窟がムクレバル・ツルのエリートにとって、ご先祖さまに祈る場所であると同時に、一族の力を示す場所でもあったと考えています。
カギになるのは、マヤを含むメソアメリカの人々が思い描いていた冥界の姿です。
彼らは、山の内側には水をたたえた広大な冥界が広がり、そこに雨や実り、健康をつかさどる神々が住んでいると考えていました。
洞窟はその冥界への入口であり、神話の時代に人類が初めてこの世に現れ出た場所ともされていました。
そしてこの冥界は、王の権力とも深く結びついていました。
メソアメリカでは紀元前1000年ごろにはすでに、王たちが「冥界の神々と人間のあいだを取り持てる」ことを支配の根拠にしていました。

古典期の王たちも、自分の力は冥界で神となったご先祖さまから受け継いだものだと公言していました。洞窟のような場所でご先祖さまを呼び出し、自分の血をささげる王の姿は、石の彫刻や土器に数多く描かれました。
マヤの遺跡の中には、エリートの建物の下の岩盤をくりぬいて造った墓の壁に、その墓を「山の洞窟の内側」と記した文字が残る例まであります。
つまりマヤのエリートにとって、家の床下の墓も山奥の洞窟も、ご先祖さまに通じる場所でした。
研究チームは、ムクレバル・ツルのエリートが同じ人の歯を両方に納めることで、一族を家と冥界の入口の2か所に同時に根づかせようとしたと考えています。
冥界の入口に眠る偉大なご先祖さまのそばに一族の歯を置けば、雨や実りを願う人々の声を神々に届けられるのは自分たちだ、と示すこともできたのかもしれません。

一般の人々が、ご先祖さまとのつながりを家の中で保っていたのとは対照的です。
DNAの家系図は、エリートの家族のかたちも映し出していました。
一族の墓では、男性は父や祖父、息子や孫と一緒に眠っていることが多い一方、女性には、一族の血を引かず、結婚によって外から加わった人が目立ちました。
家は父から息子へと受け継がれ、妻は夫の家に入るしくみだったのです。

研究チームは今回の結果を、古典期マヤのエリートの家族のしくみを遺伝子で示した初めての証拠だとしています。
そんな男系の一族が洞窟で祀っていたのは、女性のご先祖さまでした。
一族の女性たちの歯も、男性の歯と同じように、彼女のもとへ届けられていたのです。
ただ、これほど手の込んだ埋葬が明らかになっても、歯の持ち主の大半について、体のほかの部分がどこに葬られたのかは、まだわかっていません。
マヤ山地にはまだ調べられていない遺跡が数多くあり、研究チームは、同じ人の骨がさらに別の場所に眠っている可能性もあるとしています。
それでも、同じ人の歯が山を越えた2つの場所に分けて葬られていたことは、DNAが1人ずつ突き止めています。
骨になっても家族だったマヤのエリートたちは、家の床下と冥界の入口という2つの居場所を持っていたのです。
専門家向けの補足
本研究の強みは、ばらばらの歯を個人ごとに結び直し、その人物の血縁と埋葬場所を重ね合わせた点にあります。
研究チームは古代DNAの複数の指標で個人の一致と血縁関係を調べ、年代測定や出土状況と組み合わせて解釈しました。
注目したいのは、墓と洞窟の結びつきの偏りです。
バツブ洞窟で十分なDNA情報を得て識別した30人のうち24人は、ムクレバル・ツルの住居の下にある「広場の墓」にも見つかりました。
一方、広場の墓の少なくとも88人のうち、洞窟にもいたのは一部です。
著者らは統計解析も踏まえ、広場の墓を一族の中心、洞窟をその一部の人々の歯を納める儀礼の場と解釈しています。
従来の考古学では、家の墓は家系や地域の資源への権利を支え、洞窟は冥界の祖先と結びつく場と解釈されてきました。
同じ人物の歯を両方に納めることには、一族と祖先との結びつきを、家と洞窟の両方に根づかせる意味があったのかもしれません。
これはDNAと当時の信仰についての考古学的知見を組み合わせた解釈であり、政治的な意図そのものを遺伝子から読み取ったわけではありません。
血縁関係と「祖先としての地位」を分けて考える
洞窟の歯の集まりの中心に葬られた女性には、墓の複数の人物との遠い血縁が認められます。
ただし、女性がその人々の直系の祖先だったかどうかは確定していません。
論文は、実際の祖先か、祖先に準じる親族として祀られた可能性を示しています。
DNAが示す生物学的なつながりと、誰を共通の祖先として扱うかという社会的な関係を分けて読む必要があります。
父方の血筋を中心に一族が続いたという推定も、埋葬された人々の構成に基づきます。
墓では男性が父や息子などとともに納められる傾向があり、母から子へ伝わるミトコンドリアDNAの型にも、家系の枝に応じた偏りがありました。
著者らはこれを、女性が婚姻で一族に加わり、夫側で暮らしたことを支持する結果としています。
ただし、生前の居住や婚姻制度を直接確かめたものではありません。
その一族が祖先として祀ったとみられる中心人物は女性で、男女双方の歯が供えられていました。
家系をたどる基準と、祭祀で重んじる祖先の性別は、別の問題だとわかります。
年代と調査範囲が残す限界
放射性炭素による歯の年代測定は、洞窟へ運ばれた時期を直接示しません。
古い歯を保管し、後世にまとめて納めた可能性があるためです。
著者らは、女性の背骨や肋骨が本来の位置関係を保つことから、女性は死後まもなくその場に葬られたとみています。
洞窟の木炭やたいまつ片も、後代の歯より古い年代を示します。
これらを合わせ、女性の埋葬後に歯が追加された説明を有力としていますが、奉納の回数や間隔はわかりません。
また、調査した一般の墓の18人には、洞窟と共通する人物が見つかりませんでした。
試料の数をそろえた比較でもエリートへの偏りは残りますが、未調査の墓や洞窟も多く、古代マヤ全体で庶民に禁じられた習慣だったとは言えません。
保存状態や分析可能なDNAの量によって、復元できる人物・家系にも限界があります。
歯を誰が運んだかも、持ち主の大半の体がどこにあるかも未解明です。
その段階を踏まえても、血縁の復元と歯や骨の配置を結びつけ、祖先との関係が家の外へどう広がったかを検討できるようにした点に、この研究の意義があります。
元論文
Buried in two places: Lineages from elite Maya tombs also found in distant caves
https://doi.org/10.64898/2026.06.07.724338
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部
