長い距離を走ったあと、気分の高まりや不安の軽さ、痛みの和らぎを感じる人がいます。
この状態は「ランナーズハイ」と呼ばれ、かつては体がつくる鎮痛物質(エンドルフィン)の働きだと考えられてきました。
ところが近年、別の候補として、体が自前でつくる「大麻に似た物質」が注目されています。
ただ、これまで人で調べた研究は1時間に満たない運動がほとんどで、何時間も走るときのことは分かっていませんでした。
そこでドイツの研究チームは、フルマラソンと最長230kmのウルトラマラソンを走る人たちの血液を調べました。
何時間も走り続ける体の中で、この物質はどう動いていたのでしょうか?
研究の詳細は、独デュースブルク=エッセン大学らにより、2026年9月1日付で学術誌『BMC Medicine』に掲載されました。
エンドルフィン説の弱点と「体内の大麻」

エンドルフィン説には、ひとつ弱点がありました。
エンドルフィンは大きくて水に溶けやすい分子で、血液から脳へ入る関門を十分に越えるという確かな証拠が無いのです。
代わりに浮上したのが、細胞の膜から必要なときにつくられる「体内の大麻」(内因性カンナビノイド)です。
小さく脂に溶けやすいので関門を越えられ、大麻の主な成分(THC)と同じ受け手(受容体)に働きます。
よく調べられているのは、アナンダミドと2-AGという2つの物質です。
研究チームの責任者ヨハネス・フス氏らは、2015年にマウスで手がかりをつかんでいました。
回し車を走ったマウスで不安や痛みが和らぐ仕組みは、エンドルフィンでなく大麻に似た物質の受け手に頼っていたのです。
2021年には人でも、薬でエンドルフィンの受け手をふさいだランナーが、それでもいつもどおりの落ち着きや高揚感を報告しました。

筆頭著者のミヒャエル・ジーバース氏は、何時間も、時には何日も走れる人の体でこの仕組みがどう動くか知りたかったと語ります。
1つ目の調査には、マラソンを走り切れる19人が参加しました。
舞台はドイツ・エッセンのバルデナイ湖で、1周14kmのコースを3周します。
血液はスタート時と1周ごと、そしてゴールから45分休んだ後に採りました。
1〜2カ月後には同じ人たちが同じコースを、マラソンにかかったのと同じ時間だけ歩きました。
時間になると合図が鳴って折り返し、採血のタイミングも走った日とそろえています。
こうすれば、同じ人たちで、同じ時間だけ「走る」と「歩く」を比べられます。
湖を3周するあいだ、血液の中で何が増えていたのか?

まず、走った日と歩いた日では、体にかかる負担がはっきり違いました。
心拍数は、走った日が平均で1分あたり約145回、歩いた日は約102回です。
年齢から推定した最大心拍数と比べると、走った日は約83%、歩いた日は約58%にあたります。
ペースも、走った日は1kmあたり平均約7分、歩いた日は約12分でした。
そのうえで血液を調べると、アナンダミドは走り始めから少しずつ上がり、ゴールまで増え続けていました。
1周目の後は歩いた日より高めという傾向にとどまりましたが、2周目を終えた中盤からは、はっきり差が開きました。
歩いた日にも少しずつ増えてはいたものの、その変化は小さなものでした。
目を引くのは、ゴールした後です。
シャワーを浴びて軽食をとる45分の休憩を挟んでも、アナンダミドは歩いた日より高いままでした。

これまでの研究では、持久運動の後、この種の物質はすぐに下がると考えられていました。
ところが今回は、マラソン後の45分間で、ゆっくりとしか下がらなかったのです。
研究チームは、走り終えた後も、この物質が鎮静のような作用をもたらしている可能性があるとみています。
もう1つの物質、2-AGは別の動きを見せました。
走り始めのころは、むしろ歩いた日の方が2-AGは高めでした。
ところがレース後半で逆転し、ゴール後の回復期にかけて、走った日の方が高くなったのです。
研究チームは採血のたびに、高揚感・不安・痛みの強さを、線の上に印をつける方法で答えてもらっていました。
マラソン中の高揚感は、いくつかの時点で歩いた日より高くなりました。

ただし、「壁にぶつかる」とよく言われる28km地点では、歩いた日との差は認められませんでした。
痛みは28kmを過ぎてから強まり、不安はゴールに近づくにつれ、歩いた日より低くなっていきました。
つまり、アナンダミドは走っているあいだずっと積み上がり、走り終えてもすぐには引かなかったのです。
230kmでも増えていた、カギは「長さ」より「強さ」?

では、もっと長い距離を走ったら、どうなるのでしょうか?
2つ目の調査では、ドイツ中部のルール川沿いを止まらずに走る大会で、36人のランナーを追いました。
平均年齢は約50歳で、これまでにマラソンを平均57回、ウルトラマラソンを平均41回走り切ってきたベテランぞろいです。
短い部は100km、中くらいの部は160kmです。
最も長い部は230kmに及びます。
血液はレース前と、ゴールしてお祝いを終えた直後に採りました。
測定の時刻は、実際の大会の都合で、人や距離ごとにばらついています。
その結果、どの距離でも、ゴール後のアナンダミドと2-AGはレース前より高くなっていました。
2-AGは短い距離ほど高めに出ていましたが、距離によって増え方が違うとまでは言えませんでした。
これらの物質は、細胞の膜に含まれる脂質を材料に、必要なときにその場でつくられます。

研究チームは、この材料の蓄えが、24時間を超えて走り続けても尽きないことを示せたとしています。
一方で、意外な結果もありました。
補足として行った比較では、走り終えた後のアナンダミドは、マラソンの方がウルトラマラソンよりほぼ2倍高かったのです。
研究チームは、その理由のひとつとして、走る強さの違いを挙げています。
マラソンはかなり高い強さで走るのに対し、ウルトラマラソンはずっと続けられる低い強さで走るのが普通です。
強さの低い歩きで増え方が小さかったことも、この見方と合います。
長いレースでの疲れの蓄積やエネルギー不足、ペース配分が影響した可能性もあります。
ただし、これは補足の比較で強さを直接そろえておらず、研究チームも慎重に受け止めるべきだとしています。
気分の面では、ウルトラマラソンの後は痛みが増して不安が減りましたが、高揚感ははっきりとは変わりませんでした。

では、ランナー自身はランナーズハイを感じていたのでしょうか?
マラソンについて振り返ってもらうと、「感じた」と答えたのは19人中3人だけでした。
残りは「感じなかった」が8人、「わからない」が8人です。
ふだんの走りについて聞いても、ランナーズハイを「いつも感じる」という人は一人もおらず、「一度も感じたことがない」という人も3人いました。
ランナーズハイの定義は伝えず、答えは一人ひとりの受け止め方に任されていました。
また、この研究は物質と気分の変化が同時に起きると示したもので、一方が他方を引き起こすかは確かめていません。
それでも、長く走り続けると、体内の大麻に似た物質が時間とともにはっきり変わることは確かめられました。
湖を3周するランナーの血液では、大麻に似た物質のひとつアナンダミドがゴールまで増え続け、シャワーの後もまだ高いままだったのです。
写真で見るランナーたちと調査の舞台の湖





参考文献
Your body makes its own cannabis-like chemicals as you run, and neuroscience research finds they keep rising all the way to the marathon finish line, a possible clue to the runner’s high (PsyPost)
https://www.psypost.org/your-body-makes-its-own-cannabis-like-chemicals-as-you-run-and-neuroscience-research-finds-they-keep-rising-all-the-way-to-the-marathon-finish-line-a-possible-clue-to-the-runners-high/
元論文
Endocannabinoid dynamics across marathon and ultramarathon running: evidence from two field studies
https://doi.org/10.1186/s12916-026-05186-z
ライター
山下 浩介: むずかしい研究を、なるべく分かりやすく伝えたい。専門の言葉はふだんの言葉に置きかえて、身近な例で例える。それで「わかった」「楽しかった」と言ってもらえたら嬉しいです。
好きなのは、通学路や台所や日常の中にある科学。眠っているあいだに記憶が整理される話や、虫の鳴き方に意味がある話のように、読み終わったあとに誰かへ話したくなる研究を探しています。
編集者
ナゾロジー 編集部
