暑い日に帰ってきて、冷蔵庫に入れたばかりの缶ビールを何度も触って確かめてしまう人は多いでしょう。
冷蔵庫ややかんがどれだけ早く仕事を終えるかは、ふつうは機械の性能しだいだと考えられています。
では、性能をどこまでも上げていけば、ビールは一瞬で冷え、湯は一瞬で沸くのでしょうか?
物理学者の間では以前から、そこには越えられない「最短の待ち時間」があるのではないかと考えられてきました。
この疑問に、スペインやオーストリア、スイスの研究チームが、量子力学の側から取り組みました。
研究の詳細は、スペインのバルセロナ自治大学らにより、2026年9月24日付で学術誌『Nature Physics』に掲載されました。
ビールと冷蔵庫を「温度をそろえる機械」として考える
物が周りと差し引きで熱をやりとりしなくなった状態を「熱平衡」と呼び、冷蔵庫の中のビールもいずれこの状態に落ち着きます。
この過程はいくらでも速くはできないのではないか、という疑いは以前からありました。
実験やコンピューターでの計算、数式による解析から、それをうかがわせる手がかりが出ていたのです。
しかし、どんな物やどんな装置にも当てはまる形で、その限界を導いた人はいませんでした。
そこで研究チームは、物を決まった温度の熱平衡へ運ぶ装置を、数学の言葉で「熱平衡化マシン」と定義しました。
冷蔵庫ややかんがマシンで、ビールや水がマシンにかけられる側の物、というイメージです。

ただし、ここには一つ落とし穴があります。
相手が特定の1杯だけなら、熱いコーヒーを、はじめから冷えているコーヒーとさっと入れ替える「機械」も考えられるのです。
これでは一瞬で冷えたことになり、限界の話が成り立ちません。
チームの一人でジュネーブ大学のパヴェル・セカツキさんは、こうしたやり方を「反則」だと話しています。
そこでチームは、砂糖やミルクの量が少し違うコーヒーでも、同じマシンが同じ手順で冷やせることを条件にしました。

物理の言葉では、物がとれるエネルギーを表す式(ハミルトニアン)が少し違う物も、まとめて熱平衡にできることです。
これで、特定の1杯に合わせた入れ替えの手は使えなくなります。
その一方で、マシンの大きさや、物とつながる強さには、いっさい制限を付けていません。
周りの環境もすべてマシンの一部とみなし、量子力学で許されることなら何をしてもよい、という広い前提です。
バルセロナ自治大学のマルティ・ペラルナウ=リョベさんも、「マシンへの制約は実はとても弱いものです」と話しています。
最短の待ち時間を決めていたのは何だったのか?
研究チームが導いたのは、熱平衡にかかる時間の下限です。
マシンが、どんなエネルギーの式の相手でも熱平衡にできることを求める場合、あるいは少なくとも、エネルギーの段差が温度に比べて小さく、十分に混ざり合った熱平衡の状態になる相手をどれも熱平衡にできることを求める場合、その時間はおよそ ℏ/(2kBT) より短くできません。
ℏ は量子力学に欠かせない換算プランク定数、kB は温度とエネルギーを結びつけるボルツマン定数、T は温度です。

一般の下限には、対象とする相手の範囲や許される誤差で変わる係数が付きますが、この条件のもとでは、下限は2つの自然界の定数と温度だけで書けるのです。
下限の2倍にあたる ℏ/(kBT) は「プランキアン時間」と呼ばれ、以前から熱平衡の速さを縛る目安だと予想されてきた時間です。
この「散逸のプランク尺度」という考えは、もともと物理学者のザーネンさんが、ある温度より上での超伝導体の電気の通しやすさに見られる共通のふるまいを説明するために言い出したものです。
熱平衡からのずれを少し許しても、下限はあまり縮みません。ずれが5%ほどでもプランキアン時間の約0.4倍、20%ほどでも約0.3倍の下限が残ります。
冷蔵庫の設計も、マシンの大きさも、物とのつながりの強さも、この下限には出てきません。
温度は式の分母にあるので、温度が半分になれば下限は2倍に延びます。

冷たい世界ほど、熱平衡にたどり着く最短時間が長くなる、ということです。
では、なぜこのような壁が生まれるのでしょうか?
鍵は、マシンが少しずつ違う相手を、それぞれの正しい熱平衡へ運ばなければならない点にあります。
エネルギーの式が違えば、たどり着くべき熱平衡の状態も少しずつ違います。
マシンは同じ手順を動かしながら、相手ごとに見分けのつく別々の状態を作り出さなければならないのです。
ところが量子力学では、エネルギーの式がわずかに違うだけの物どうしは、すぐには大きく違う状態へ分かれていけません。
どこまで分かれられるかには、かけた時間に比例する上限があるのです。
これは、量子の世界で物の性質を測るときの精度の限界「ハイゼンベルク限界」と、根は同じです。
研究チームは、誤差なく熱平衡にする場合については、熱平衡化マシンでもこのハイゼンベルク限界は破れない、という点から下限が導けることを示しました。
チームは、この課題が情報科学でよく調べられてきた2つの課題の中間にあると説明しています。
エネルギーの式が分かっていれば、それに合う熱平衡の状態を作る作業(ギブス状態サンプリング)は、いくらでも速くこなせます。
逆に、式を知らずに物を調べて式を突き止める作業(ハミルトニアン学習)には、かかる時間に下限があります。
今回の課題は、式は知らないが物は手元にあり、熱平衡の状態を作りたい、という立場です。
ウィーンの量子光学・量子情報研究所のパオロ・アビウソさんはこれを2つの中間の課題だと説明し、バルセロナの共著者ジョン・カルサミリアさんは、前者より難しく後者よりやさしい課題だと位置づけています。

また、量子力学を外してすべてを古典力学で扱えると仮定すると、この最短時間はゼロになってしまうといいます。
どんな装置でも越えられない最後の壁は、量子力学そのものが作っていたのです。
絶対零度の近くでは、別の物差しが限界を決める
ただし、この下限がそのまま当てはまるのは、温度が絶対零度から十分に離れている場合です。
絶対零度の近くでは、物がとれる最も低いエネルギーの状態(基底状態)と、その1つ上の状態とのエネルギー差が主役になります。
このエネルギー差が、温度の代わりに最短時間を決めるのです。
最も低い状態まで冷やすだけの装置なら、最短時間の目安は ℏ をこのエネルギー差で割った値になります。
これは、高い温度での下限よりもゆるい縛りです。
この目安は、条件をゆっくり変えて物を目的の状態へ導く「断熱的」なやり方の、最適な手順とも合っていました。
では、この下限は、実際に迫ることのできる壁なのでしょうか?
研究チームは、フェルミオン(電子の仲間にあたる種類の粒子)1個を、同じ種類の粒子がたくさん集まった「浴」につなぐ模型で確かめました。
まず、エネルギーの式が違う2通りの粒子を、同じ初期状態から、同じ手順で同時に熱平衡へ運ぶ場合を考えます。
このとき、下限より短い時間のうちに一方を目標の状態に近づけすぎると、もう一方は目標から離れざるをえません。
粒子のエネルギーの段差を0とkBTに選んだ例では、こうした「入れない範囲」は始めの時点で最も広く、時間とともに狭まり、プランキアン時間の半分ほどで消えました。
そのうえで、粒子と浴をつなぐ強さを、時間とともに弱めていく形で変えて計算しました。
すると粒子の状態は、入れない範囲を避けながら、限界の近くまで速く熱平衡に近づいたのです。
うまく調整した装置なら、この下限にかなり迫れることが、模型の上で示されたことになります。
一方で、まだ分かっていないことも残っています。
たくさんの粒子からなる系で、量子もつれ(粒子どうしの状態が切り離せなくなる量子特有のつながり)がこの下限にどう関わるのか、系がとても大きくなるとどうなるのかは、今回の範囲の外です。
現実の熱浴がどこまでこの下限に近づけるのかも、これからの課題とされています。
また研究チームは、この下限が当てはまる範囲で、温度が低いほど下限が長くなる性質は、絶対零度にまつわる「熱力学第三法則」を思わせると述べています。
ウィーン工科大学のアルベルト・ロランディさんは、この方法から熱力学の第二法則や第三法則の限界について何が分かるか、いま調べていると話しています。
冷蔵庫がどれほど高性能でも、エネルギーの段差が温度に比べて小さい、さまざまなビールをどれも冷やせる装置である限り、温度と2つの定数で決まる時間より速くは冷やせないのです。
冷蔵庫の扉を何度開けて確かめても相手は量子力学なので、ここはつまみでも作りながら大人しく待つのが賢明でしょう。
ここからは、熱力学的平衡をもっと知りたい人へ
熱平衡とは、外と熱や物のやりとりをしない物を長く放っておいた時に行き着く、見た目にはもう変化が起きない状態です

熱平衡は、物の中に熱などの流れがどこにも無くなり、落ち着いた状態のことです。
外と熱も力も物質もやりとりしない物は、十分に長く放っておけば、必ずこの状態になります。
物理学では、温度は大きな物の熱平衡の状態を表す量だとされています。
熱平衡どうしの関係には、AとB、BとCがそれぞれ熱平衡にあればAとCも熱平衡にある、という決まりがあり、熱力学の第0法則と呼ばれています。
なお、物どうしが押し合ったり物質を出し入れしたりできる場合は、温度が等しいだけでなく、力がつり合うことも熱平衡の条件になります。
この言葉は地球全体の話でも使われ、天文学や地球物理学では、地球と大気が太陽から受ける電磁波の放射と、地球と大気が出す放射とのつり合いを熱平衡と呼びます。
体温の熱平衡を考える例では、人が1日に使うエネルギーを2300kcalとすると、仕事に回るのはせいぜい20%で、大部分は熱になります。
写真で見るビール

参考文献
Your beer can only cool so fast. Blame quantum mechanics (Physics World)
https://physicsworld.com/a/your-beer-can-only-cool-so-fast-blame-quantum-mechanics/
熱平衡(コトバンク)
https://kotobank.jp/word/%E7%86%B1%E5%B9%B3%E8%A1%A1-111435
元論文
An information-theoretic proof of the Planckian bound for thermalization
https://doi.org/10.1038/s41567-026-03397-y
ライター
山下 浩介: むずかしい研究を、なるべく分かりやすく伝えたい。専門の言葉はふだんの言葉に置きかえて、身近な例で例える。それで「わかった」「楽しかった」と言ってもらえたら嬉しいです。
好きなのは、通学路や台所や日常の中にある科学。眠っているあいだに記憶が整理される話や、虫の鳴き方に意味がある話のように、読み終わったあとに誰かへ話したくなる研究を探しています。
編集者
ナゾロジー 編集部
