休日にVRゲームに夢中になり、ゴーグルを外した瞬間に首の付け根がずっしり重く感じる。
VRのゴーグルは年々映像がきれいになってきましたが、解像度を上げ、視野を広げ、処理の力を高めるほど、機器は重く大きくなりがちです。
映像の質とかけ心地を両立させる工夫はいろいろ提案されてきたものの、「頭に装置を着ける」ことが前提である限り、この板挟みはなかなか解けませんでした。
そこで九州大学の研究者は、装置を軽くするのではなく、「そもそも何かを身に着ける必要があるのか」と問い直しました。
ゴーグルを着けずに、どうやって立体の仮想世界を目の前に映し出すのでしょうか?
九州大学の研究者が、座るだけで仮想世界に入れるという一脚のいすを論文で発表しています。
研究の詳細は、日本の九州大学らにより、2026年6月24日付で『Proceedings of the Special Interest Group on Computer Graphics and Interactive Techniques Conference Emerging Technologies』に掲載されました。
目次
- 没入型VRの形は主に「部屋」か「ゴーグル」の2つだった
- ゴーグルなしで両目に別々の映像を届ける仕組みとは?
- ゴーグルを手放した代わりに残った課題
没入型VRの形は主に「部屋」か「ゴーグル」の2つだった

VRのゴーグルが景色に奥行きを感じさせるのは、左右の目にほんの少しずつ違う映像を見せているからです。
ゴーグルの場合は、顔のすぐ前に置いたレンズを通して、それぞれの目に別の映像を届けています。
これまで没入型のVRには、大きく分けて「投影ルーム」と「ゴーグル」という2つの形がありました。
ドーム型の投影ルームは周りをスクリーンで囲むので何も身に着けずに済みますが、映像の奥行きは部屋の大きさに縛られます。
一方のゴーグルは映像を好きな距離に置けるので景色に入り込んだ感覚を生めますが、その代わりに頭へ重さを背負わせます。
つまり2つの形は、片方の弱点をもう片方が補う関係だったのです。
今回の研究のきっかけは、ある学生のこぼした悩みでした。
論文の著者である九州大学の准教授は「日によっては、VRの外より中にいる時間のほうが長い学生でした」と振り返ります。
その学生はゴーグルを着けたまま眠ろうとさえしましたが、装置のせいで楽な姿勢が取れなかったといいます。
今のVR機器は短い時間の利用を前提に作られていて、仮想世界で暮らすように過ごす人には向いていません。
視野を広げ、映像を細かくし、処理の力を上げるたびに部品が増え、頭と首への重さと圧迫が増していくからです。
そこで研究室が選んだのは、光を扱う部品と計算する部品を頭から降ろし、周りの環境のほうへ移すという道でした。
ゴーグルなしで両目に別々の映像を届ける仕組みとは?

研究チームが使ったのは、「空中結像」と呼ばれる光学の技術です。
これは、映像を画面の上にとどめるのではなく、何もない空間にふわりと浮かんでいるように見せる技術です。
この技術を使い、左右の目に向けた立体のVR映像を、座った人の目の前の空中に映し出したのです。
ゴーグルではレンズが両目に違う映像を見せていましたが、このいすでは「マイクロミラーアレイ」という部品が同じ役目を果たします。
これは小さな鏡をたくさん並べた板で、それぞれの目に別々の映像を送り分けられます。
こうして、肘掛けいすほどの大きさの座席から、映画館のような立体の眺めが広がるといいます。
ただし、この種の鏡の板そのものは目新しいものではなく、論文によれば2006年ごろから開発が続けられてきました。
今回の新しさは、それを実際に座って周りを見回せるシステムとして組み上げた点にあります。
光学の部品はいすに取り付けられ、回転を感じ取るセンサーである「ジャイロスコープ」が、いすの向きの変化をリアルタイムで追いかけます。
実際の画像はこちら
体ごと向きを変えれば立体の景色も一緒に回り、面倒な調整もいりません。
研究者によると、このいすは映像の奥行きではドーム型の投影ルームに、かけ心地と入りやすさではゴーグルに勝るといいます。
いわば、投影ルームの「何も着けなくていい安定した環境」と、ゴーグルの「自分だけの視点」を合わせた、第3の道というわけです。
著者の准教授はさらに、「私たちのシステムには、将来VR酔いを減らせる可能性もあります」と話します。
「ゴーグルという設計上の縛りがないので、より大きな光学部品や動く仕組みを自由に組み込めるのです」
そうした工夫によって、目に見えているものと体が感じているもののズレを和らげられるかもしれないというのです。
ゴーグルを手放した代わりに残った課題

もちろん、ゴーグルを手放したことには代償もあります。
鏡の板が光の一部を吸収してしまうため、とても明るいディスプレイが必要になります。
さらに板の大きさによって、見渡せる範囲がおおむね決まってしまいます。
論文自体も視野が限られていることを認めており、比較の表では視野の広さと持ち運びやすさを「条件付きで対応」としか評価していません。
また論文が示しているのは、いすの回転に合わせて景色が回る動きだけで、あらゆる方向を360度見渡せるとまでは言っていません。
視野の数値や、没入感を測った利用者のテストも示されておらず、視野が狭いことで没入感が損なわれるのかどうかはまだ分かっていません。
視野を広げる方法として、論文は鏡の板の上下と左右に平らな鏡を置くことを提案しており、理論上は実質の画面を最大6倍まで広げられるとしています。
試作機の実演では、この方法で視野が広がることが示されましたが、測定値は報告されていません。
研究チームは現在、車の中の作業スペースや体験型の博物館展示、建設機械の遠隔操作、災害対応ロボットといった使い道に向けて、企業の協力相手を探しています。
さらにその先には、ドラえもんの「どこでもドア」のように、2人が1つの仮想の景色を共有できるものを作りたいという夢もあるそうです。
仮想世界の入り口は、頭にかぶる装置から、腰を下ろす一脚のいすへと移ろうとしているのかもしれません。
いつも何気なく座っている肘掛けいすも、別の世界への扉の候補だと思うと、少し違って見えてきます。
ただし座ったまま仮想世界に入り浸りすぎると、今度は首ではなく腰が悲鳴を上げることになりそうです。
参考文献
VR chair offers a new way into virtual worlds without a headset (New Atlas)
https://newatlas.com/vr/kyushu-university-chair-virtual-worlds/
元論文
Mountless Aerial HMDs: Designing Non-Wearable HMD Experiences Based on Aerial Imaging Optics
https://doi.org/10.1145/3799826.3812427
ライター
天道銀河: 科学、歴史、心理、宇宙、生き物、テクノロジーなど、気になるものにはジャンルを問わず首を突っ込む雑食系ライターです。ひとつの分野を深く極めるというより、さまざまな知識を広く集め、意外なつながりを見つけるのが好きです。専門家ほど深くはなくても、好奇心の広さなら負けません。「こんな世界もあるのか」と思えるような、面白くてわかりやすい話題を届けていきます。
編集者
ナゾロジー 編集部
