約束したはずのお小遣いの話を持ち出したら、親に「そんなこと一言も言ってない」と言い切られ、だんだん自分の記憶のほうが怪しく思えてくることがあります。
相手に自分の記憶や感じ方、現実の受け止め方を疑わせるように仕向ける心理操作は、「ガスライティング」と呼ばれています。
これまでは主に恋人どうしや、職場の上司と部下の間で調べられてきました。
しかし、力の差がとても大きい親と子の間でも起こりうると考えられています。
では、親からガスライティングを受けた若者は、自分を責めたり、うつになりやすくなったりするのでしょうか。
今回、中国の上海師範大学などの研究チームは、中国の若者606人を対象に、この疑問を確かめる研究を行いました。
研究の詳細は、2026年4月1日付で学術誌『Journal of Management』に掲載されました。
目次
- 親子の間で起こる「ガスライティング」とは
- 親に心を揺さぶられた若者は、うつになっていたのか?
親子の間で起こる「ガスライティング」とは

ガスライティングとは、ある人が相手に、自分の現実のとらえ方や記憶、感情を疑わせるように仕向ける、心理的な虐待や操作のことです。
心理学者たちは、ガスライティングは力の差がある関係で起こりやすく、たいていは力の強い側が弱い側に仕掛けると指摘してきました。
そこで注目されるのが、親と子の関係です。
親は誰にとっても大切な相手であり、子どものうちは、親と子の力の差がとても大きい関係でもあります。
ところが、親子の間のガスライティングは調べるのが特に難しく、研究はまだほとんど進んでいませんでした。
研究チームは、中国の文化では親子関係が「道徳的な秩序や親孝行、親の権威を重んじる仕組み」に深く組み込まれているため、親によるガスライティングが社会の中で受け入れられやすいかもしれないと考えています。
さらにチームは、ガスライティングには、相手の記憶や感情を揺さぶるだけでなく、関係のこじれを相手自身のせいだと思い込ませる面もあると指摘しています。
この「自分のせいだと思い込む」面は、1996年に出たセオドア・ドーパット氏のガスライティングの本でも、くわしく取り上げられていました。
これまでの研究でも、ガスライティングを受けた経験とうつの症状とのつながりが報告されています。
そこでチームは、ガスライティングがうつにつながる理由の一つは、関係がぎくしゃくした原因を相手ではなく自分のふるまいに求めてしまう「自責」にあるのではないかと考えました。
親からの心理操作は、本当に子どもを自責へ、そしてうつへと向かわせているのでしょうか。
親に心を揺さぶられた若者は、うつになっていたのか?

チームはまず、ターガー=シャフリル氏らが作った、ガスライティングを受けた経験を測る質問票(GREI)を中国語に訳しました。
そして、訳した質問票が測りたいものをきちんと測れているかをテストで確かめ、使える水準だと確認しています。
そのうえで、中国の若者606人を対象に、同じ人たちを時間をおいて調べる縦断研究(時間の流れに沿って変化を追う調査)を行いました。
若者たちには、親からのガスライティングの経験に加えて、親子関係のこじれを自分のせいだと考える度合いと、うつの症状についても答えてもらいました。
その結果、親からガスライティングを受けていた若者ほど、親子関係がうまくいかないのは自分のせいだと考える傾向が強いことが分かりました。
ガスライティングと、関係のこじれを自分のせいにする考え方とのつながりを示したのは、この研究が初めてです。
一方で、意外な結果も出ています。
親からのガスライティングとうつの症状とのつながりは、統計的にはっきりした差とまでは言えませんでした。
「ガスライティングが自責を通じてうつにつながる」という道すじも、偶然では片づけられないほどはっきりとは確かめられませんでした。
論文の著者たちは、自責が親のガスライティングと子どものうつの間をつなぐ「控えめな仲立ち役」としてはたらいていたと述べています。
しかし、この研究を紹介した海外の心理学の解説記事は、この書き方は分かりにくく、多くの心理学者は「仮説は確かめられなかった」と判断するだろうと指摘しています。
心理学では、本当はつながりが無いのに偶然その結果が出る確率が5%未満かどうかを、はっきりした差かどうかの目安にするのが一般的だからです。
それでも解説記事は、この研究には多くの長所があると評価しています。
親子の間のガスライティングを調べた最初期の研究の一つであり、質問票を中国の若者向けに整える手間もかけているからです。
また、一つの研究だけで結論が決まることはなく、今回はっきりしたつながりが出なかったからといって、ガスライティングが決してうつにつながらないという意味ではありません。
少なくとも、親からの心理操作が、子どもの「自分が悪い」という思い込みと結びついていたことは、見過ごせない手がかりと言えるでしょう。
今夜「言った・言わない」でもめたら、自分を責める前に、まずはスマホのメモ帳を開いてみるのが平和への近道かもしれません。
参考文献
Gaslighting, Self-Blame, and Depression Among Chinese Youth (Psychology Today)
https://www.psychologytoday.com/us/blog/gaslighting-attachment-and-reality/202610/gaslighting-self-blame-and-depression-among-chinese
元論文
Is My Boss Gaslighting Me? Uncovering the Nomological Network of Gaslighting In Leader-Employee Relationships
https://doi.org/10.1177/01492063261426014
ライター
山下 浩介: むずかしい研究を、なるべく分かりやすく伝えたい。専門の言葉はふだんの言葉に置きかえて、身近な例で例える。それで「わかった」「楽しかった」と言ってもらえたら嬉しいです。
好きなのは、通学路や台所や日常の中にある科学。眠っているあいだに記憶が整理される話や、虫の鳴き方に意味がある話のように、読み終わったあとに誰かへ話したくなる研究を探しています。
編集者
ナゾロジー 編集部
