オーストラリアのモナシュ大学(Monash University)などで行われた研究によって、認知症の予防には効かないと判定ずみだったアスピリンが、ある遺伝的な特徴を持つ人たちでは、偽薬を飲んだ人に比べて認知症の発症を3分の1以下に減らしていたことが明らかになりました。
ただし同じ人たちでは、脳の出血を含む重い出血が、偽薬を飲んだ人の約2倍に増えていました。
1848通りの遺伝的な点数を総当たりでふるいにかけた末に残ったのは、アスピリンが作用する「血を止める血小板」の因子だったのです。
筆頭著者のピーター・フランスケ氏は「特に興味深いのは、この手掛かりがアルツハイマー病や認知症の既知の遺伝的リスク要因とは結びつかなかったことです。むしろ血小板の生物学へと私たちを導き、新しい研究の道筋を示してくれました」と述べています。
研究内容の詳細は2026年9月24日に『Alzheimer’s &Dementia』にて発表されました。
目次
- アスピリンは認知症に効かない薬とされていた
- 1848通りでふるいにかけたら、血小板が残った
- 「なりやすさの遺伝子」は、効く人を見分けられなかった
アスピリンは認知症に効かない薬とされていた

物忘れが増えてきた親に、何か飲ませられるものはないか。
そう思って調べた人は、たいてい同じ結論にたどり着きます。
認知症を防ぐ薬は、いまのところ一つも承認されていません。
だからこそ、すでに世の中にある安くて手に入りやすい薬が使えないかと、繰り返し試されてきました。
その筆頭がアスピリンです。
100年以上前から熱や痛みを抑える薬として使われ、いまでは心臓発作や脳梗塞を防ぐために毎日少量を飲み続けている高齢者が世界中に大勢います。
血管が傷ついたときに集まって傷口をふさぐ小さな粒(血小板)どうしが、固まりにくくなるからです。
炎症を抑える働きもあるとみられ、脳の細い血管を守ってくれるのではないかという期待は以前からありました。
それを確かめたのが、ASPREEという大規模な試験です。
オーストラリアと米国に住む、おもに70歳以上の健康な高齢者1万9114人を集め、半分には低用量のアスピリン(100ミリグラム)を1日1錠、残りの半分には見分けのつかない偽薬を配り、5年近く追いかけました。
結果、認知症と診断された人の数は、両方のグループでほとんど変わらず、アスピリンは認知症の予防には使えないと判断されました。
ただ、この「差なし」は、飲んだ全員の平均と、飲まなかった全員の平均を比べたものです。
クラスのテストの平均点が去年と同じでも、何人かが大きく伸び、何人かが落ちていれば、平均は動きません。
もし10人のうち2人にだけ強く効き、残りの8人には何も起きない薬があったとしたら、全員をひとまとめにして平均した瞬間、その2人分の変化は薄まって見えにくくなります。
そして薬は「効かない薬」として棚から下ろされます。
モナシュ大学の研究チームが目を付けたのは、ASPREEの参加者がDNAを提供していたことでした。
誰がアスピリンを飲み、誰が認知症になったかという記録と、1万3541人分の遺伝情報が、ひもづいたまま残っていたのです。
「全員の平均では効かない」は、「誰にも効かない」と同じなのでしょうか。
1848通りでふるいにかけたら、血小板が残った

「全員の平均では効かない」の中に、効いている人が隠れていないか。
その答えを探すために、研究チームはまず、公開データベースから5182通りの遺伝的な点数をダウンロードし、参加者一人ひとりについて計算しました。
身長、コレステロールの値、さまざまな病気のなりやすさ。
こうした体質は、一つの遺伝子を持っているかどうかでは決まりません。
何十万もの小さな遺伝子の違いを少しずつ足し合わせ、その人がどちらへ傾きやすいかを1つの数字にしたものが、遺伝的な点数(ポリジェニックスコア)です。
世界中の研究者が作ってきたそうした点数が、公開データベースに並んでいます。
研究チームはこのうち、計算の精度が保てる1848通りを取り出し、片端から同じことを調べました。
その点数が高い人と低い人とで、アスピリンの効き方が違っていないか。
ふるいに残ったのは、血小板に関わる点数でした。
脳の病気の手掛かりを探していたはずが、出てきたのは血液の成分だったのです。
1848通りのうち、血小板に関わるものはたった24通りしかありません。
それなのに、最初のふるいを通った112通りのうち18通りが血小板関連でした。
全体ではごく少数派の点数が、ふるいの中では大きな一角を占めていたのです。
偶然なら、1つか2つ混じる程度のはずでした。
最後まで残った3つの点数は互いにそっくりで、実質的には1つの信号を別の角度から見たものでした。
いちばん多くの遺伝情報を使っている1つを代表に選び、その点数で1万3541人を高い順に5つのグループへ分け直すと、1つのグループだけが、ほかとまったく違う動き方をしていました。
上位20%にあたる2708人は、偽薬の側とアスピリンの側に、ほぼ半々に分かれていました。
そして偽薬の側では3.3%(46人)が認知症と診断され、アスピリンの側では1.0%(13人)となりました。
残りの4つのグループでは、こうした差はどこにも出ていません。
むしろ点数がいちばん低いグループでは、アスピリンを飲んだ側のほうが認知症がやや多く出ていました(統計的に意味のある差ではありません)。
アスピリンを飲んだ全員と、飲まなかった全員。
その2つの数字だけを見ているかぎり、5つのうち1つだけで起きていたことは、決して表に出てきません。
ASPREEが最初に出した「差なし」も、全員を足し合わせた数字でした。
上位20%で認知症になった人の割合を時間で追うと、2つの線はしばらく並んで進み、2〜3年目から離れ始めます。
ただし、これが薬の効き始めた時期だとは限りません。
ASPREEの認知機能の検査は1年目のあと2年おきに行われていたので、差が見えるようになった時期が検査の間隔に引きずられた可能性もあります。
そしてもう一つ、同じ2708人の中で起きていたことがあります。
重い出血です。
脳の出血や、入院や輸血などが必要になるほどの出血が、偽薬の側では2.1%、アスピリンの側では4.4%に起きていました。
減った認知症と、増えた出血は、同じ大きさでした。
どちらも100人あたり2人あまりです。
著者らの見積もりでは、44人が5年近くアスピリンを飲めば、認知症が1件減り、重い出血が1件増える計算になります。
なお、この2708人の中で、亡くなった人の数には差がありませんでした。
効く人を見つけることと、勧められることは、別の話でした。
では、なぜ血を止める血小板の点数が、脳の病気への薬の効き方を分けていたのでしょうか。
「なりやすさの遺伝子」は、効く人を見分けられなかった

なぜ、認知症のなりやすさを示す点数ではなく、血小板の点数だったのでしょうか。
研究チームは比較のために、認知症のなりやすさで最もよく知られた遺伝子(APOE)と、認知症・アルツハイマー病・パーキンソン病に関係する点数も、まったく同じふるいにかけています。
どれ一つとして、アスピリンの効き方とは結びつきませんでした。
APOEが認知症のなりやすさと強く結びつくことは、今回のデータでも変わっていません。
それでも、アスピリンが効くかどうかを分けてはいなかったのです。
「認知症になりやすい人」を見分ける遺伝情報と、「この薬が効く人」を見分ける遺伝情報は、同じではないのかもしれません。
では血小板のほうは、何をしているのでしょうか。
アスピリンが抑えているのは、血小板が集まって固まる働きです。
血の塊を防ぐ作用と、出血しやすくなる作用は、同じ一つの働きの裏表にあたります。
血小板は血を止めるだけでなく、炎症や血管の老化にも関わり、脳の細い血管の傷みとの関連も報告されてきました。
ただし今回の研究は、参加者の血小板そのものを一度も測っていません。
調べたのは遺伝子の点数だけで、点数の高い人の血液で実際に何が起きていたのかは、まだ誰も見ていないのです。
この結果は、1848通りを総当たりで調べて、いちばん強く光った信号を拾い上げたものです。
効果の大きさは、本来より大きく見えている可能性があります。
別の集団での再現も、まだありません。
それでも、アスピリンで認知症が減る遺伝的な集団を見つけたと報告した研究は、これが初めてです。
フランスケ氏は「特に重篤な出血のリスクが高まることを考えると、この結果をもとに、医師に相談せずに認知症予防のためにアスピリンを飲み始めるべきではありません」と念を押しています。
上位20%という線は、効く人と効かない人の境界ではありません。
今回の解析で引いた目盛りの一つです。
また、これは心臓や血管のためにすでにアスピリンを処方されている人に、やめるよう勧める話でもありません。
研究チームが次にやるべきだとしているのは、点数の高い人の血小板を実際に測り、脳の血管に何が起きているのかを確かめることです。
そのうえで、同じ遺伝的特徴を持つ人だけを集めた試験で、認知症を防ぐ利益が出血の害を上回るかを見ます。
「もしこの結果が確かなものなら、アスピリンがすでに安く、どこでも手に入るという事実は、個別化された認知症予防を現実的なものにするかもしれません」とフランスケ氏は述べています。
すでに棚にある古い薬について「誰に使うか」を問い直すことも、新しい薬を見つけるのと同じだけの前進になりえます。
アスピリンの可能性を引き出す鍵は、薬そのものではなく、飲む人の側にあるのかもしれません。
参考文献
One of The World’s Most Used Drugs May Lower Dementia Risk – But There’s a Catch
https://www.sciencealert.com/one-of-the-worlds-most-used-drugs-may-lower-dementia-risk-but-theres-a-catch
元論文
Platelet count polygenic scores may modify the effect of aspirin in primary prevention of dementia
https://doi.org/10.1002/alz.71817
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部
