スウェーデンの古遺伝学センター(CPG)などで行われた研究によって、氷河期の人類の遺跡に積み上がったケナガマンモスの骨は、その7割がメスだったことが明らかになりました。
自然のなりゆきで死んだ場合、発掘される骨の3分の2がオスになりますが、人間のいた場所でだけ、その比率が反転していたのです。
研究者たちは「あの骨の集積を作った主な要因が人間の活動だったと推定できる」と述べています。
なぜ人間は、メスばかりを選んでいたのでしょうか。
研究内容の詳細は2026年7月30日に『Current Biology』にて発表されました。
目次
- 自然環境ではオスマンモスの骨のほうが残りやすい
- 人類は群れに守られたはずのメスマンモスを狩っていた
- なぜメスばかりが狩られていたのか?
自然環境ではオスマンモスの骨のほうが残りやすい

絶滅した動物のなかで、マンモスは骨がとびきりよく見つかる動物です。
シベリアの川岸や溶けはじめた凍土からは、いまも牙や臼歯が掘り出されます。
博物館で全身の骨格と対面できる機会も、めずらしくありません。
ところがマンモスには、そうしたきれいな1体としてではなく、一か所に何十頭分もの骨がまとまって出てくる場所があります。
たとえばポーランドのクラクフ・スパジスタ遺跡では少なくとも113頭分、チェコのプシェドモスティI遺跡にいたっては1000頭分を超えると見積もられています。
そうした骨の山のそばには、たき火の跡や人が暮らした跡の層が残っていることが少なくありません。
骨そのものからも、切り傷や、砕かれた跡や、刺さったままの石の穂先が見つかることがあります。
そのためこのような場所は人類による「貝塚ならぬマンモス塚」的なものであるとする説が唱えられています。
しかし、本当に人類によるマンモス塚なのかどうかは決め手に欠けていました。
実際、もともと自然に骨が溜まっていた場所に人間があとから住み着き、材料として拾っていたという可能性も提示されています。
本研究の責任著者の一人であるダビド・ディエス・デル・モリノ氏も「この巨大なマンモスの骨の集積が自然にできたものか、人間の狩りによるものかは、何十年も議論されてきました」と述べています。
そこで研究チームが選んだのは、骨から性別を読み取るという方法でした。
手がかりは、マンモスの暮らし方にあります。
マンモスは現代のゾウとよく似た社会を持っていたと考えられています。
ゾウのメスは母親や姉妹、その子どもたちと群れをつくり、一生をその中で過ごします。
一方オスは、13歳から15歳ごろになると群れを離れ、そこから先はほとんど一頭で暮らします。
そして一頭で歩くオスは、危ない場所にも入り込みます。
遠くまで歩き、争いも辞さないオスのほうが、結果として多くの子を残せるからです。
その結果、陥没穴、崖崩れ、泥沼、タールの池といった「はまったら出られない場所」で死ぬのは、大きくオスに偏ります。
ですがこの「はまったら出られない場所」は骨が残りやすい場所でもありました。
泥や土砂に早く埋もれた骨は、野生の肉食獣に食い荒らされたり風雨で風化したりすることなく、そのまま何万年も土の中で保たれることがあるからです。
一方で群れ生活の中で死んだ場合、骨は食い荒らされたり風化したりで残りにくくなります。
つまり化石として出てくるマンモスは、一人歩きの末に危ない死に方をしたオスマンモスの比率が高いと考えられます。
実際、研究者たちが人間の痕跡とは無関係な場所でばらばらに見つかった421頭のマンモスのDNAを分析したところ、およそ3分の2(66.5%)がオスでした。
また北米、ヨーロッパ、シベリアと地域を分けて数え直しても、この偏りは同じままでした。
シベリアだけにオスが死にやすい沼地があった、というわけではないのです。
同様の傾向は、他の種でも確認されており、ステップバイソンやヒグマの化石でも、オスが多いことが知られています。
つまり「人間が介在しない自然な環境の場合、骨の3分の2はオス」というパターンがあるということです。
そこで研究者たちは、このパターンがマンモス塚に当てはまるかを調べてみることにしました。
もし「3分の2がオス」という結果が出たなら、マンモス塚もまた自然にできた骨の山だった可能性が高くなります。
人類は群れに守られたはずのメスマンモスを狩っていた

人間の痕跡と隣り合って見つかる骨の山はどうだったのか?
研究チームは、約3万年前から2万年前にかけての11か所の遺跡から出た100頭を、同じ方法で判定しました。
その結果、100頭のうち70頭がメスでした。
先にも述べたように、自然の罠にはまった動物が溜まった場所なら、「3分の2がオス」になるはずです。
洪水などで、あちこちで死んだマンモスの骨が一か所に流れ着いただけなら、オスとメスの比率は半々になるはずです。
7割がメスという結果は、そのどちらでもありません。
しかもこの偏りは、大規模な人類遺跡だけのはなしではありませんでした。
6頭以上のマンモスが調べられた遺跡は、すべてメスに偏っていたのです。
最も多くの個体を調べたポーランドのクラクフ・スパジスタ遺跡でも、26頭のうちメスが大きく上回り、たまたまとは考えられない差が出ています。
こうなると残る説明は、選んで集めた者がいた、というものだけです。
さらに、これらのマンモス塚では以前の発掘で、石器の先端が刺さった骨や、肩甲骨に槍先の破片が食い込んだ骨も見つかっています。
一方で、これらの骨の山に肉食獣がかじった跡がほとんど残っていないことも、以前から知られていました。
巨大な死体が野ざらしになっていれば、ふつうは肉食獣が群がりますが、それがなく石器の痕跡が残っていたのです。
これらの結果は、マンモス塚に眠る大量のメスのマンモスたちが、人類の手で集められたものであることを示しています。
なぜメスばかりが狩られていたのか?

なぜメスだったのか。
いちばん素直な答えは「メスのほうが小さいから」です。
オスのマンモスは成体になるとメスよりひとまわり大きく、立ち向かう危険も相応に大きくなります。
けれども研究チームは、その説明に慎重です。
「狩る側が、成体のオスより小さいメスを狙ったと考えたくなりますが、実際はもっと複雑だったかもしれません。マンモスが現代のゾウのようにふるまっていたとすれば、メスと子どもの群れで暮らす個体は集団で身を守っていたかもしれず、群れとの遭遇は同じくらい、あるいはもっと危険だったことになります」と、筆頭著者のハンナ・M・ムーツ氏は述べています。
そこでチームがもう一つの説明として挙げるのは、群れの動きの読みやすさです。
メスと子どもの群れは、決まった季節に決まった道筋を通ります。
群れを離れたオスは、いつどこに現れるか分かりません。
バス停で待っていれば時刻表どおりに来るバスと、いつどの道を走っているか分からないタクシー。
待ち伏せするなら、狙うのは前者です。
子連れのメスは動きも遅く、近づきやすい相手でもありました。
もっとも、人類がメスを意識的に狙ったのか、待ち伏せをしていたら結果的にメスが多く獲れたのか、あるいは死んだ群れから肉や骨をもらい受けていたのかまではわかりません。
それでも今回の結果は、氷河期の人々がマンモスと出会うたびに行き当たりばったりで手を出していたのではなく、同じ相手を、同じやり方で、何度も利用していたことを示しています。
研究者たちは、骨から死んだときの年齢も読み取れば、マンモス塚のマンモスたちが母親と子どもの群れ(母系)だったのかを確かめられるだろうと述べています。
元論文
Paleogenomic sex inference of mammoth remains sheds light on the anthropogenic nature of bone accumulations
https://doi.org/10.1016/j.cub.2026.07.023
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部
