私たちは毎日、食事をしたり、音楽を聴いたり、動画を見たりと、さまざまな「楽しい体験」をしています。
しかし、同じ曲を何度も聴けば飽きますし、好きな料理でも慌ただしく食べれば、あまり味わった気がしないことがあります。
では、体験そのものを変えずに、その楽しさだけを少し増やすことはできるのでしょうか?
その方法は意外にも、1つの体験を「複数のことを同時にしている」と考えることかもしれません。
たとえば音楽を「1曲聴いている」と捉えるのではなく、「ギターを聴きながら、同時にサックスも聴いている」と考えるのです。
フィンランド・アールト大学スクール・オブ・ビジネス(Aalto University School of Business)は、このような捉え方を「マルチ・エクスペリエンス・フレーミング」と呼びます。
チームは、食事や音楽、動画、絵画、ゲームなどを使った計12の研究から、同じ体験でも楽しさが高まる可能性を示しました。
目次
- 1つのサンドイッチを「複数の体験」として食べる
- 楽しさを増やした正体は「注意」だった
1つのサンドイッチを「複数の体験」として食べる
この方法のポイントは、よく言われる「マルチタスク」とは少し違います。
テレビを見ながらスマートフォンを触るように、まったく別のことを同時にすると、注意が分散して体験を楽しめなくなる場合があります。
今回研究されたのは、1つの体験を構成する複数の要素を「同時に経験している」と意識する方法です。
たとえばハムとチーズのサンドイッチなら、「サンドイッチを食べる」という1つの体験として考えることもできます。
一方で、「パンを食べる」「ハムを食べる」「チーズを食べる」という複数の体験を同時にしている、と考えることもできます。
もちろん、どちらも食べているものは同じです。
しかし大学の食堂で行われた研究では、昼食を複数の体験として捉えるよう促された学生のほうが、その食事をより楽しんだと回答しました。
最終的に分析された323人では、楽しさを10点満点で評価した平均値が、通常の捉え方をした人の7.11に対し、複数の体験として捉えた人では7.47となりました。
より厳密に条件をそろえた実験でも、同じ傾向が確認されています。
研究者らは406人の参加者に、まったく同じ15分間のジャズコンサート映像を見せました。
一方には「ギターとサックスが登場する曲を聴く」と説明し、もう一方には「ギターを聴くことと、サックスを聴くことを同時に行う」と説明しました。
流れる曲も映像も同じなのに、楽しさの平均値は前者の65.53点に対し、後者では71.89点と高くなったのです。
つまり、体験を豪華にしたり、新しい刺激を加えたりしなくても、「自分はいま複数のものを同時に味わっている」と捉えるだけで、同じ体験の感じ方が変わる可能性があります。
楽しさを増やした正体は「注意」だった
では、なぜ言葉の捉え方を少し変えるだけで楽しさが増えるのでしょうか?
研究者らが注目したのは「注意」です。
人は、1つのことをしていると思うより、複数のことを同時にしていると思ったとき、その体験を少し複雑で、より注意が必要なものだと予想します。
その結果、実際に目の前の体験へ向ける注意も増えると考えられます。
これは、音楽を何となく聞き流している状態と、「いまドラムは何をしているだろう」「ギターはどう重なっているだろう」と意識して聴く状態の違いに近いでしょう。
研究では、絵画と音楽を組み合わせた動画でも、複数の体験として捉えた人ほど体験全体への注意が高まり、それが楽しさの増加につながることが示されました。
さらに研究者らは、この説明が本当に正しいのかを別の方法でも検証しています。
参加者に「あとで記憶テストを行い、成績が良ければ報酬がある」と伝え、最初から注意深く音楽を聴くよう促すと、複数の体験として捉えることによる楽しさの上乗せは見られなくなりました。
つまり、このテクニックの効果は「複数に分けて考えること自体」が魔法のように楽しさを生むのではなく、それによって注意が目の前の体験へ引き戻されることにあるようです。
効果がない場合も?
ただし、どんな体験でも楽しくなるわけではありません。
別の実験では、「スムーズに動くテトリスと心地よい音楽による楽しい体験」と、「壊れたように動くテトリスと不快な音楽による嫌な体験」が比較されました。
その結果、楽しい条件では複数の体験として捉えることで楽しさが高まりましたが、不快な条件では同じ効果は確認されませんでした。
むしろこの方法は、もともと楽しい体験の中に存在する細かな魅力を、注意を向けることでより多く拾い上げるための方法と考えたほうがよさそうです。
また研究では、複数の体験として音楽を聴いた参加者の55.45%がそのまま同じ音楽を聴き続けることを選んだのに対し、通常の捉え方をした人では36.36%でした。
単に「楽しかった」と答えるだけでなく、実際にその体験を続ける行動にも違いが現れたのです。
次に好きな曲を聴くとき、「音楽を聴く」とだけ考えるのではなく、ボーカル、ベース、ドラムを同時に聴いていると意識してみるのもいいでしょう。
料理なら、香り、味、食感をそれぞれ別の体験として味わってみることもできます。
私たちは楽しさが足りないと感じると、もっと面白い動画、もっとおいしい料理、もっと新しいゲームを探しがちです。
しかし今回の研究が示しているのは、新しいものを加えなくても、すでに目の前にある体験の「見方」を変えるだけで、そこから拾える楽しさが増えるかもしれないということです。
何気ない日常が少し退屈に感じたとき、必要なのは新しい刺激ではなく、1つに見えていた体験の中に隠れている「複数の楽しみ」に気づくことなのかもしれません。
参考文献
Want More Joy? Turn One Experience Into Many
https://www.psychologytoday.com/us/blog/beneath-the-surface/202608/want-more-joy-turn-one-experience-into-many
元論文
Multi-Experience Framing: The Mere Perception of Experiencing Multiple Stimuli Increases Enjoyment
https://doi.org/10.1093/jcr/ucag017
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部
