ギリシャのアテネ国立カポディストリアン大学(NKUA)の研究チームが、ペロポネソス半島の山あいに湧く小さな泉から、たった7匹の巻貝を拾い上げました。
いちばん大きな個体でも、殻の幅は1.46ミリ。ゴマ粒ほどの体は採れたてだとガラス細工のように透きとおり、色素も、目もありません。
研究チームは殻を割り、時計職人が使うような細い針とピンセットで、その透明な体を開いていきました。
そして突き当たったのは、この貝が既知のどのグループにも収まらないという事実です。
新しい種が1つ増えた、という話ではありません。この貝を置くべき棚そのものが、人類の分類の図書館に存在していなかったのです。
論文では、既知のいずれの属にも割り当てることはできず、新たな属を立てることが正当化される、と記述されています。
わずか1.46ミリの貝は、なぜここまで「どこにも似ていない」存在になれたのでしょうか?
研究内容の詳細は『Subterranean Biology』にて発表されました。
目次
- ギリシャの地下に住む生物たち
- 新種ではなく新属が発見された
- なぜユニークになれたのか?
- 研究者たちが「発見」したもの
ギリシャの地下に住む生物たち

ギリシャは、地面の下にもうひとつ国土を持っている国です。
その理由は国土の約41%を締める石灰岩の存在です。
石灰岩には水に溶ける性質があり、雨水が何万年、何十万年と降り注ぐうちに、岩はヒビに沿って少しずつ削られていきます。
隙間が広がれば、そこへまた水が入り込み、さらに岩を溶かします。
こうして長い時間をかけて地下につくられるのが、穴や管、空洞が複雑につながった、巨大なスポンジのような構造です。
ギリシャで確認されている洞窟の数だけでも1万を超えます。
そこにどんな生き物が住んでいるかまで調べられたのは、そのうち550ほどにすぎません。残りは、入口の位置がわかっているだけの状態です。
地下水の中だけで一生を終える生き物は、洞窟の壁を歩く生き物と違って、人間が立ち入れる場所にほとんど姿を見せません。
研究者が彼らに会えるのは、地下水が地上へこぼれ出す泉のような、ごく限られた接点だけです。
ある意味で未発見の新種の宝庫ともいえるでしょう。
しかし今回発見されたカタツムリの親戚は、特に異質なものでした。
カタツムリと聞いて多くの人が思い浮かべるのは、雨上がりの葉の上をゆっくり進む、あの姿だと思います。渦を巻いた殻を背負い、二本の触角の先には小さな目が乗っています。
ですが今回、ギリシャ南部の山あいで見つかったこの貝からは、そのほとんどが抜け落ちていました。
まず、色がありません。殻は薄く、採れたてのものはガラス細工のように透きとおっていて、中の身にも色素がなく、白っぽいクリーム色をしています。
また触角は生えているのに、目があるはずの根元には何もついていません。
また殻の幅は大きい個体でも1.46ミリほどで、米粒の3分の1程度しかありません。
このような特徴は、光が届かない地下で生活する多くの生物にみられる特徴です。
地下水の中は、場所が違っていても似たような条件にさらされているからです。
光が届かないためエサも乏しく、植物も育ちません。
生き物たちは、地上から流れ込んでくるわずかな有機物を頼りに暮らすことになります。
そんな「同じ問題」に、まったく血縁のない別々の家系が、それぞれ独立に取り組むことになります。
すると、別々の家系であるにもかかわらず、似たような答えにたどり着くことがあります。色素を作るのをやめ、目を作るのをやめ、体も小さくなるのです。
結果として、地下の巻貝は、家系がまるで違っていても、驚くほど似た姿をしていることがあります。
この世界では、多くの生物学者が頼りにしてきた「外見」が、身分証の役に立ちません。
実際、ギリシャの地下水性巻貝の中には、殻の形だけを根拠に名前をつけられた結果、分類学的な位置づけが未解決のまま宙づりになっている種がいくつもあります。
名前はあるのに、身元がわからない。
そういう状態が、いまも続いています。
新種ではなく新属が発見された

生き物の名前は、二段構えになっています。
たとえば私たちヒトは「ホモ・サピエンス」と呼ばれます。
前半の「ホモ」が属、後半の「サピエンス」が種です。
ネアンデルタール人の場合は「ホモ・ネアンデルターレンシス」です。
同じ本棚の中の異なる本の示すように、「ホモ」という属名の後ろに、種としての名前が並んでいるわけです。
あるいは住所のように、〇〇県の▲▲市のような関係とも言えるでしょう。
世界では毎年、何千という新種発見の報告がありますが、それらの新種にもこのルールに従って学術名があてがわれます。
ところが今回、研究チームが直面したのは、まったく別の事態でした。
2026年1月11日、石と砂利、沈んだ落ち葉、水に沈んだ枯れ木、そしてトビケラの巣のあいだから、7匹の貝が手で拾い上げられました。
内訳は成体6匹と幼体1匹で、見つかったのはそれだけでした。
研究者たちは7匹を生きたまま、採集地の水とともに瓶に入れて持ち帰りました。
そこから先の調査方法は、拍子抜けするほど古典的でした。成体4匹の殻を割り、中から出てきた透明な体を細いピンセットと針で開き、体のつくりを一つずつ確かめていったのです。
そうして得られた結果を、バルカン半島から地中海地域にかけての地下水から知られている23の属と突き合わせました。
殻の形、生まれたての殻に残る表面模様、へその開き具合、フタの巻き方と裏側の突起、直腸が描くカーブ、そして体の奥にある繁殖のための器官の形まで、20を超える項目を一つずつ照合していきます。
その結果、新たな巻貝は、既知の23属のどれにも当てはまらず、この巻貝1種のためだけの新しい属が設けられることになりました(これを専門的には単型属と呼びます)。
本でたとえるなら、内容が独特すぎて既存のどのジャンルの棚にも収まらず、この一冊のためだけに新しい棚が用意された状態だと言えるでしょう。
なかでも決め手になったのは、殻を割らないかぎり見えない部分でした。
この貝のオスの生殖器官は、頭の大きさに対して不釣り合いなほど大きく、途中から丸い突起がひとつだけ横に突き出す、独特の形をしています。
メスの側には、洋梨の形をした袋がひとつと、大きくいびつな受け皿がひとつ。
殻を外から眺めているだけでは、この違いは見えませんでした。殻を割って、初めて出てきたのです。
では、いったいなぜ、この貝はここまで「どこにも似ていない」存在になれたのでしょうか。
答えの手がかりは、この貝の「住所」にありました。
なぜユニークになれたのか?

研究者たちが手がかりとして注目したのは、この貝の生息域が極端に狭いことでした。
研究チームは、コリントス地方の一帯をかなり広く調査しました。
にもかかわらず、この貝が見つかったのは、あの泉ただ一か所だけです。生息が確認できた範囲はわずか4平方キロメートル、2キロメートル四方にすぎません。
大人の足なら、端から端まで25分ほどで歩き切れてしまいます。
一方、この泉に水を送り込んでいる地下水路網は、面積216平方キロメートルのスティンファリア盆地の地下に広がっています。
さきほどの「徒歩25分の正方形」が、54個入る広さです。
しかも、地下水はそこで終わりません。
水に色をつけて流れを追う調査によって、この地下水系が山を越えた向こう側、遠く離れた平野や湾のほうまでつながっていることが確認されています。
石灰岩に刻まれた水路は、この貝の住所の何十倍という広さで地面の下を走り、さらに遠くへとつながっているのです。
それでも疑問が残ります。なぜこの貝は、これほど広い地下の道を前にして、たった一つの泉のまわりにとどまっているのでしょうか。
研究者たちが目を向けたのは、あの殻の形でした。
地下の生き物が移動するときに通るのは、人が歩けるような洞窟ではなく、砂粒と砂粒のあいだや岩のヒビ、砂利の隙間といった極細の通路です。
地下水は、その微細な網目をじわじわと浸透していきます。
小さな貝にとって、こうした隙間は高速道路になり得ます。ただし、この高速道路には「車幅制限」があります。
背が高く、細長く、縦にすらりと巻いた殻を持つ貝なら、この隙間を通り抜けられます。
細い管を進むには、細い体が有利だからです。
実際、そうした形の貝は、地下水の中で比較的広い範囲に分布しています。
一方、この貝のように、低く平たく、へその大きく開いた円盤のような殻では、そうはいきません。
細い管に、平べったい円盤を押し込もうとするようなものです。
だからこの形をした地下の貝たちは、広い水路網とつながっていても、極端に狭い範囲にしか分布できないと考えられています。
実際、近縁のKerkia(ケルキア)という仲間でも、多くの種が驚くほど狭い範囲に閉じ込められていることが報告されています。
世界中のどの分類にも当てはまらないほど独自だと聞けば、私たちはつい、それだけ特別で優れた進化を遂げたのだろう、と思いたくなります。
しかし今回の場合は、おそらくその逆でした。
この貝が「どこにも似ていない」存在になれたのは、優れていたからではなく、動けなかったからかもしれません。
外の世界へ行けず、交わる相手も限られ、たった一つの水系の中に閉じたまま、少しずつ、少しずつ、他の誰とも違う姿になっていった。
そして気がつけば、人類が用意したどの棚にも入らないほどになっていました。
この貝の「新しさ」は、旅した結果ではありません。
旅できなかった結果なのです。
しかも、この貝を狭い場所にとどめているのは、外からやってきた障害だけではありません。
自分の殻です。
平たく広がった殻は、おそらく地下水で暮らすための答えとして残った形でしょう。
ところが、その同じ形が、この貝から外の世界へ出ていく手段を取り上げていました。
閉じ込められることが、新しさを作る。
独自性は、自由からではなく、不自由から生まれることがある。
私たちは、そうした現象にすでに名前をつけています。
「ガラパゴス化」です。
私たちはこの言葉を、外の世界の流れに乗れず、その場に取り残されてしまったものへの、少し皮肉めいた呼び名として使ってきました。
たとえば、日本独自に進化した携帯電話、いわゆる「ガラケー」や、世界標準から外れた規格などです。
けれど、それは単なる比喩ではなかったのかもしれません。
本物のガラパゴス諸島で、ゾウガメやフィンチが独自の姿になっていったのと、根は同じ話だからです。
海に隔てられた島の生き物ほど独自になり、山や谷で隔てられた集団ほど独自の言葉――方言を持つようになります。
流通の悪い土地に独自の食文化が残るのも、似た構図だと言えるでしょう。
適応し、その結果として動けなくなり、独自になる。
この順番は、貝でも、言葉でも、産業でも、変わらないように見えます。
研究者たちが「発見」したもの

新たに発見された貝の学名は、Cyllena hermes(キュレナ・ヘルメス)と名付けられました。
新しく作られた属の名キュレナは、ギリシャ神話に登場するキリニ山のニンフの名です。
彼女は、ある神を育てた養い親でした。
そして種名の「ヘルメス」は、彼女が育てたその神、オリンポス十二神の一柱に由来します。
ヘルメスはキリニ山の洞窟で生まれたと伝えられており、この貝が採集された泉は、まさにそのキリニ山の斜面から湧いています。
育てた者の名を属に、育てられた者の名を種に置くことで、山の神話をそのまま分類の階層に写し取ったような命名になっています。
ただ、ヘルメスがどんな神だったかを思い出すと、この名前は少しばかり皮肉に響きます。
ヘルメスは神々の伝令であり、翼のついたサンダルを履いて、天と地と冥界のあいだを自在に行き来する、移動と旅の守護神でした。
ギリシャ神話の登場人物の中で、彼ほど「どこへでも行ける」存在はいません。
その名前を与えられた貝は、自分の殻の形にはばまれて、知られているかぎり、ひとつの泉のまわりから出ていません。
翼のサンダルを履いた神の名を背負って、この貝は、山の内側の暗闇のほんの一角にとどまっているのです。
そして現在、確認されている唯一の住所が脅かされています。
スティンファリア盆地では、長引く干ばつが繰り返し襲い、さらに周辺地域への水の供給や農業用水のために地下水が汲み上げられてきました。
その結果、近くのスティンファリア湖は、近年はっきりと縮んでいます。
広大な地下水脈の中で、生息場所が一か所しか確認されていない生き物にとっては、地下水の量が減ったり、流れ方が少し変わったりするだけでも、種そのものが消える危険につながります。
逃げ場も、予備の集団もないからです。
そのため研究チームは予防的な立場から、この貝を国際自然保護連合(IUCN)の基準に照らして「危急」――絶滅の危険が高まっている状態にあたると評価しました。
(※IUCNによる公式認定はまだ行われていません)
もっとも、「ここにしかいない」という言葉が、この貝の性質を指しているのか、それとも私たちの側の事情を指しているのかは、まだ決めきれないところがあります。
ギリシャにある1万を超える洞窟のうち、どんな生き物が住んでいるかまで調べられたのは550ほど。足の下に広がる水路の大半を、人間はまだ覗いていないのです。
それでも、この貝が本当にユニークであるならば、そこから見えてくることは少なくありません。
この貝を狭い場所にとどめていたのは、地下水の届かなさでも、山の高さでもありませんでした。
自分の殻の形です。
そしてその同じ形が、この貝を、世界のどこにもいない存在にしていました。
それを「狭い場所を極めた専門家」と呼ぶか、「逃げ場のない絶滅危惧種」と呼ぶか。
おそらく、どちらも正しいのだと思います。
同じ一つの形が、片側では独自性を、もう片側では脆さを生んでいる。切り離すことはできません。
ヘルメスの名を与えられたこの貝は、翼のサンダルを持たないかわりに、世界に一つだけの姿を手に入れました。
逆に言えば、どこへでも行けるものは、どこにでもいるものになってしまうのかもしれません。
キリニ山の泉には、今日も水が湧いています。
参考文献
Cave-dwelling snail discovered in Greece, named for Hermes and the nymph who nurtured him
https://www.eurekalert.org/news-releases/1136343
元論文
From the dark to the light: A new genus and species of stygobiont hydrobiid (Caenogastropoda, Truncatelloidea) from southern Greece
https://doi.org/10.3897/subtbiol.57.189090
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部
