米国のカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)などで行われた治療により、最後の砦と言われた抗生物質すら効かなくなった耐性菌をほぼ壊滅させることに成功しました。
使われたのは、細菌だけに感染するウイルスです。
そしてそのウイルスには、本来は細菌がウイルスを撃退するために持っていたはずの武器が積み込まれていました。
論文では、投与後に採取された検体からは大腸菌が一度も検出されず、ウイルスに起因する有害な副作用も現れなかったと報告されています。
細菌が数十億年かけて磨いた武器は、なぜ細菌自身に牙を剥くことになったのでしょうか。
研究内容の詳細は2026年8月11日に『Clinical Infectious Diseases』にて発表されました。
目次
- 打つ手が尽きた腹部のかたまり
- 耐性菌にウイルスをぶつける
- 細菌の武器を奪い、細菌に向ける
- 抗生物質のあとの世界へ
打つ手が尽きた腹部のかたまり

「抗生物質を飲んだら感染症が治った」
細菌感染症に対する一般的な経験はだいたいそんなものです。
ところが今、その「飲めば治る」が通用しない薬剤耐性菌の脅威は年々深刻さを増しており、医療現場では「使える薬がない」という事態が現実に起き始めています。
今回報告された症例は、まさにその最悪のシナリオが一人の患者の体で展開されたケースでした。
患者は腎臓の移植を受けた65歳の男性でした。
移植された臓器を体が拒絶しないよう免疫の働きを抑える薬を飲み続ける必要があり、その分だけ細菌への抵抗力は落ちます。
案の定、男性は大腸菌による感染を何度も繰り返しました。
やがて男性の腹部に現れたのが巨大な塊でした。
この塊の正体は、菌を処理しきれなくなった免疫細胞を含む、炎症性のかたまりでした。
マラコプラキアと呼ばれる、めったに見られない病気です。
通常、免疫細胞は細菌を食べると内部で殺して分解しますが、男性を蝕む細菌は免疫細胞に食べられても殺しきれず、免疫細胞内に居座ったままだったのです。
結果的に、体は細菌を片づけようとして免疫細胞を集め続け、炎症性のかたまりをつくってしまったと考えられます。
どうやっても消えない火事に対して何万台、何億台もの消防車が駆け付けた状況とも言えるでしょう。
かたまりが現れたのは移植から7か月後のことでした。
そこからさらに1年ほどにわたって膨らみ続け、ついには腹部の皮膚を破って外へ盛り上がるまでになりました。
腹部には塞がらない傷口が開いたままになり、尿が本来の通り道から漏れ出す状態も続いていました。
医師たちは菌の性質を調べながら、何種類もの抗生物質を長期間投与し続けました。
しかしかたまりは縮むどころか大きくなる一方でした。
しかも菌は次第に薬への抵抗力を増していき、最終的には「最後の砦」と呼ばれるカルバペネム系の抗生物質すら効かなくなりました。
コラム:最後の砦「カルバペネム系」抗生物質
カルバペネム系が「最後の砦」と呼ばれてきたのは、あまりに優秀だったからです。副作用は比較的少なく、効く菌の範囲が極めて広く、細菌が薬を分解するために作る酵素にも壊されにくいものでした。それゆえに濫用を避けて温存されてきた切り札であり、ここが破られることは打つ手が残り少なくなったことを意味します。副作用の強い「コリスチン」のように忌避されてきたからではなく、優秀さゆえに予備選力として温存されてきたのです。
外科手術で切り取るという手も、この患者には使えませんでした。
かたまりが移植した腎臓の尿管を包み込むように広がり、血管のすぐそばまで達していたためです。
切除すれば、せっかく移植した腎臓を失いかねません。
薬も追いつかず、手術もできない、極めて厳しい状況です。
そこで研究者たちが選んだ手法は「ウイルスを使用した細菌退治」でした。
この病気にファージが使われた例は、報告されている限り世界で初めてでした。
耐性菌にウイルスをぶつける

治療に用いられたのはデンマークの会社が開発した「SNIPR001」という実験段階の薬でした。
中身は、細菌だけに感染するウイルス(バクテリオファージ)4種類を混ぜ合わせたもので、投与前の検査では、このうち2種類が男性の菌にきちんと働くことが確かめられていました。
ただし、薬をどう届けるかという問題が残っていました。
男性の腹部にあるかたまりのような組織は、内部まで血液が十分に巡っておらず、血流に乗せた薬が菌のいる場所まで染み込みにくいと考えられています。
そのため研究者たちは、物量で押し切ることにしました。
点滴で血液側から届け、露出した皮膚の病変には直接注いで15〜30分かけて染み込ませ、さらに超音波で位置を確認しながら、かたまりの内部へも針を刺して注射する。
血流から、表面から、そして内部から、三方向すべてから細菌を殺すファージウイルスを送り込んだのです。
期間もそれぞれ変えられており、点滴は1日2回を2週間、かたまりへの注射は週に1回のペースで8週間行い、皮膚への塗布は、傷が塞がるまで1日2回続けられました。
変化が現れたのは、ファージ投与が始まって1週間以内のことでした。
塞がらなかった腹部の皮膚の病変が明らかに改善し始め、4週目にはいくつかが完全に治癒します。
そして、かたまりそのものが縮み始めました。
ファージを加えた時点で744.6㏄ほどの体積があったかたまりは、8週後には373.4㏄とちょうど半分に減少。
さらに1年後の計測では82㏄、およそ鶏卵1個半ほどの大きさまで縮んでいました。
手術が必要と考えられていた尿漏れも、自然に解消しました。
実際、ファージ開始から88日後の尿からは問題となっていた大腸菌は検出されませんでした。
さらに161日後にかたまりから採った組織を調べても、大腸菌は検出されず、ウイルスに由来する副作用も確認されませんでした。
細菌の武器を奪い、細菌に向ける

細菌だけに感染するウイルス、ファージは決して珍しい存在ではありません。
それどころか、地球上で最も数の多い生物とも考えられているほどありふれています。
人間の体の内側にも外側にも大量に住みついていますが、狙う相手は細菌だけで、人間の細胞には感染しません。
ファージは細菌の表面に取りつくと、注射器のように自分の遺伝子を菌の内部へ送り込みます。
菌はそれを材料に大量のファージを作らされ、最後は内側から破裂して死んでいきます。
ウイルスが病気を引き起こすときの仕組みが、そっくりそのまま、細菌に対しては薬として働くわけです。
にもかかわらず、細菌感染症の治療にファージが使われる例はいまだにごくわずかにとどまってきました。
理由のひとつは、患者ごとに違う菌に合うファージを探し出し、薬として使える形に整えるまでに、多大な時間と費用がかかってきたからです。
既にファージウイルスは食中毒対策として広く使用されていますが、それは相手がサルモネラ菌やリステリア菌など決まった菌だからです。
ところが患者の体内にいる菌は一人ひとり違うため、既知のファージでは対抗できないことがあるのです。
そこで研究者たちが持ち出したのが、遺伝子を狙った位置で切断する道具として有名になったCRISPRです。
CRISPRは元々、細菌がウイルスの侵入を防ぐために進化させた細菌側の防御システムでウイルスの遺伝子を切断することで、ウイルス感染から守るためのものでした。
ですが今回研究者は細菌が対ウイルス用に磨き上げてきた武器をウイルスの側に積み込みました。
そして切断するターゲットを大腸菌が生きていくために欠かせない遺伝子に指定しました。
ファージが大腸菌に取りつくと、送り込まれた設計図をもとに遺伝子のハサミが菌の中で組み上がり、菌にとって欠かせない遺伝子を切断します。
探し当てるしかなかった刺客に、狙った菌のDNAを切る武器を積めるようになったわけです。
しかもこの方式には、抗生物質にはない利点が見込まれています。
抗生物質は効く範囲の菌を無差別になぎ倒すため、腸内などに住む有用な菌まで巻き込んでしまいますが、CRISPRは狙った配列を持つ菌の中でしか作動しません。
そもそもファージは取りつける相手が限られていますし、仮に入り込んでも、狙った配列がなければ遺伝子のハサミは働きません。
悪い菌だけを選んで倒し、善玉菌はそのまま残せる「標的型CRISPR搭載ウイルス」とも言うべき存在です。
では、なぜ改善したのか?
菌は抗生物質が染み込みにくい厚い膜(バイオフィルム)を作って身を守ることがあり、また免疫細胞の内部に潜り込んで薬の届かない場所に隠れることもあります。
研究者たちはファージがこうした「隠れ家」を突き崩し、抗生物質の効き目を底上げした可能性を指摘しています。
抗生物質のあとの世界へ

今回の報告により、最後の砦と言われる抗生物質にも耐性を持つ細菌に対して、細菌自身の武器を組み込んだウイルスを既存の治療に加えるという方法が、実際の患者で安全に実施でき、改善と結びついたことが示されました。
ただ研究者たちは、ファージウイルスの効果がどの程度であったかについては、まだ明言できないと言います。
ファージによる治療が始まる11日前から、男性は医師たちが選び直した3種類の抗菌薬に加え、高用量のビタミンCや排尿を助ける薬も投与されていたからです。
また細菌側の武器をウイルスに積み込んだことが、どれだけ効果があったかも、1件のケースからでは明言できません。
それでも、注目すべき事実は残ります。
この患者は、複数の抗生物質を長期間使い続けた1年あまりのあいだ、かたまりが膨らむのを止められませんでした。
そのかたまりが半分にまで縮んだのは、ファージが治療に加わっていた8週間のことだったのです。
現在、この男性に投与されたSNIPR001は、血液のがんで造血幹細胞の移植を控えた患者を対象に、腸内にひそむ薬の効きにくい大腸菌を減らし、血液に菌が入り込むリスクを下げられるかを確かめる臨床試験が進んでいます。
移植の前後は免疫が極端に落ち込むため、腸にいる大腸菌が血流へ入り込んで命に関わる感染を起こすことが知られています。
そこを先回りして潰そうという発想です。
現在開発元には、今回の症例と同じように「打つ手がなくなった患者に使わせてほしい」という要請が、すでに複数寄せられていると報じられています。
細菌が数十億年かけて築き上げた対ウイルス兵器は、いま人間の手で向きを変えられ、細菌そのものに突きつけられようとしています。
元論文
First-in-Human Adjunctive Bacteriophage Therapy for Malakoplakia
https://doi.org/10.1093/cid/ciag446
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部
