好きになった相手が、どう考えても簡単には手の届かない人だった。
相手が既婚者だったり、有名人だったり、あまりに社会的立場が違いすぎる相手だったり…
世の中には「好きになっても関係が進みそうにない人」がいます。
こうした恋は、一見すると苦しいだけのものに思えるかもしれません。
しかし心理学の考え方をたどっていくと、現実には結ばれない相手への思いが、必ずしも無意味とは限らないことが見えてきます。
むしろ空想との付き合い方によっては、「自分は何を望んでいるのか」「どんな人間になりたいのか」を考えるきっかけになり、現実の行動を変える力さえ持つ可能性があるのです。
では、なぜ「手の届かない相手」への恋が、人を成長させることがあるのでしょうか。
目次
- 手に入らないからこそ、恋は「可能性」の中にとどまる
- 「あの人のようになりたい」が現実の自分を成長させる
- 「答えが出ない状態」に耐えることにも意味がある
手に入らないからこそ、恋は「可能性」の中にとどまる
簡単には結ばれない相手が、いつまでも魅力的に見えるのには理由があります。
実際の恋愛関係が始まれば、私たちは相手の長所だけでなく、短所や生活習慣、価値観の違いなどにも直面します。
しかし、関係が始まらなければ、そのような「現実によるテスト」はなかなか訪れません。
そのため相手は、自分の期待や理想を投影できる存在であり続けます。
「もしもっと早く出会っていたら」
「もし立場が違っていたら」
「もしあのとき気持ちを伝えていたら」
そんな可能性を、いつまでも想像できてしまうのです。
イギリスの精神分析家、ドナルド・ウィニコット(Donald Winnicott)氏は、人には現実と空想のあいだに「潜在空間(potential space)」と呼べる領域があると考えました。
子どもの遊びや芸術、小説や映画への没頭なども、この現実と想像の中間にある空間で起こります。
私たちは物語が現実ではないことを知りながら、その世界に入り込み、感情を動かされます。
「手の届かない相手」への恋も、似た状態を作ることがあります。
現実には何も始まっていない。
それでも「もしかしたら」という可能性だけは残されています。
だからこそ私たちは、その関係について考え続け、そこに新しい意味を与え続けることができるのです。
そして、この「まだ何者にも決まっていない未来」そのものが、人を強く惹きつけることがあります。
「あの人のようになりたい」が現実の自分を成長させる
ただし、空想という言葉にはあまり良いイメージを持たない人もいるでしょう。
確かに空想が現実逃避に使われることはあります。
現実の問題から目をそらし、「いつか理想の自分になれる」と想像するだけで何も行動しなければ、かえって成長を妨げる可能性もあります。
しかし重要なのは、「空想すること」そのものではなく、空想と現実との関係です。
たとえば医学部を目指している高校生が、将来自分が白衣を着いて働く姿を想像したとします。
若い研究者が、いつか国際学会の壇上に立つ自分を思い描く場合もあります。
これらは現実から逃げていることを意味しません。
むしろ未来の自分を想像することで、「そこへ近づくために今何をすればいいのか」が見えてくることがあります。
恋愛感情にも同じことが起こりえます。
たとえば、新入社員が、尊敬する先輩に好意を抱いたとします。
その関係が実際の恋愛に発展することは、職業倫理上の境界などから適切ではない場合があります。
しかし、恋心そのものまで無意味になるわけではありません。
「あの人のようになりたい」と思ったことで仕事に力が入るかもしれません。
あるいは「自分は知的な人に惹かれるのだ」「こういう生き方を尊敬しているのだ」と、自分自身の価値観に気づくこともあります。
つまり、相手を手に入れることだけが恋の結果ではないのです。
手の届かない相手への憧れによって、まだ存在していない「未来の自分」が見えてくる場合があります。
空想が現実から人を遠ざけるのではなく、現実が進む方向を与えているのです。
「答えが出ない状態」に耐えることにも意味がある
そして「手の届かない相手」への恋には、もう1つ特徴があります。
なかなか答えが出ないことです。
誰かを好きになると、多くの人は早く結論を知りたくなります。
「相手も自分を好きなのか」
「付き合える可能性はあるのか」
「告白するべきなのか」
曖昧な状態は落ち着かないため、できるだけ早く白黒をつけたくなるのです。
しかしイギリスの精神分析家、ウィルフレッド・ビオン(Wilfred Bion)氏が重視したのは、むしろ「分からない状態」に耐える能力でした。
ここでは詩人ジョン・キーツ(John Keats)が唱えた「ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)」という考え方も関係しています。
これは簡単にいえば、すぐに答えを決めつけず、矛盾や不確実さを抱えたまま考え続ける力です。
「あの人とはどうなっていたのだろう」
という問いには、永遠に答えが出ないかもしれません。
しかし答えがないからこそ、
「自分はなぜあの人に惹かれたのか」
「本当はどんな関係を求めているのか」
「自分はこれからどんな人になりたいのか」
と考え続ける余地が残ります。
つまり「未完の恋」は、不快なだけの宙ぶらりんな状態ではなく、自分について考えるための空間にもなりうるのです。
もちろん、だからといって苦しい片思いをいつまでも続けるべきだという話ではありません。
生活が手につかなくなったり、相手の境界を越えて追いかけたり、現実の人間関係をすべて犠牲にしたりするのであれば、空想はもはや成長を助けるものとは言いにくくなります。
大切なのは、欲望と現実の境界を同時に保つことです。
誰かを好きになることと、その相手との関係を実現しなければならないことは別なのです。
まとめ:「叶わない恋」に残るものとは?
「手の届かない相手」に惹かれる心理を考えると、そこには少し不思議な逆説があります。
普通なら、手に入らないものほど諦めたほうが楽なはずです。
ところが、関係が始まらなかったからこそ、その人はいつまでも「別の未来がありえたかもしれない存在」として心に残ることがあります。
そして、その未完の可能性を考える中で、私たちは自分自身についても考えます。
どんな人を尊敬するのか。
どんな人生に憧れているのか。
どんな人間になりたいのか。
そう考えると、叶わなかった恋から最後に残るものは、必ずしも「手の届かなかった相手」ではないのかもしれません。
その人によって自分の中に生まれた、「こんな未来もありえる」という可能性なのです。
恋は必ずしも、相手と結ばれることでしか意味を持たないわけではありません。
現実との境界を守りながら空想を空想として抱えておくことができれば、手の届かなかった誰かへの思いが、自分の未来へ進むための小さな方向指示器になることもあるのです。
参考文献
When “Almost Unavailable” Becomes Something More
https://www.psychologytoday.com/us/blog/what-hurts-what-helps/202607/when-almost-unavailable-becomes-something-more
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部
