イギリスの西イングランド大学(UWE)のアンディ・アダマツキー氏が行った研究によって、ありふれたコケの群落が、速さの異なる複数の電気の波を自発的に出し続けていたことが明らかになりました。
研究ではコケの塊に16本の極細の針を刺し、178時間 ── 7日以上にわたって、一度も止めずに記録を取り続けました。
結果、その中には時間スケールは極めてゆっくりだったものの、かたちの上では神経の活動とよく似たパターンも含まれていました。
神経や維管束のような専用の配線を持たないコケの中で、いったい何が起きていたのでしょうか?
研究内容の詳細は2026年7月22日に『Royal Society Open Science』にて発表されました。
目次
- コケに電気の通り道はあるのか
- コケの内部には複雑な電気のパターンが走っている
- コケにニューロン様のスパイク列も観察された
コケに電気の通り道はあるのか

コケ植物は、化石記録に現れる最も古い植物のグループのひとつです。
そして今も、その体はヒマワリや稲といった私たちが見慣れた植物とは、まるで違う作りをしています。
まず、水や栄養を吸い上げるための根がありません。
持っているのは「仮根」と呼ばれる、糸のように細い構造だけです。
これは、本物の根のように水や養分を体内へ運ぶ器官ではなく、主に石や土や樹皮に体を固定するためのものです。
葉のように見える部分も、多くの場合、細胞1個分の厚さしかありません。
一枚の紙よりも薄い膜が、茎に直接ついているようなものです。
そして体内には、普通の植物が持っている「維管束」という管の仕組みもありません。
維管束は、根が吸い上げた水を上へ運び、葉が作った養分を下へ配るための配管です。
高い木が何十メートルもの高さまで水を届けられるのは、この配管を持っているからにほかなりません。
そのため、多くのコケは数センチ程度の高さにとどまります。
そしてこれまでの研究により、植物の中で電気がよく通るルートは、たいていこの維管束に沿っているということも知られていました。
維管束は、液体を運ぶだけでなく電気の通り道でもあったのです。
では、配管を持たないコケはどうなのでしょうか。
素直に考えれば、維管束という通り道がないのだから「遠くへ電気を送る手段はない」と思うでしょう。
実際、これまでコケの電気活動を調べた研究は、細胞1個ずつを相手にする「微小電極」での測定が中心でした。
つまり、ごく狭い範囲を、ごく短い時間だけのぞく方法です。
しかも電気の反応を引き出すには、光を当てる、温度を変える、メントールをかける、グルタミン酸を与えるなど、様々な刺激を与えていました。
写真でたとえるなら、これまでの研究は「驚かせたときのアップ」だけを撮ってきたものだと言えるでしょう。
ですが今回アダマツキー氏は「センチメートル規模かつ複数日」という、それまで誰もやっていなかったスケールでの電気活動の観測を行うことにしました。
しかもその手段は、極めてシンプルでした。
イギリス南西部の屋外から、アオギヌゴケの仲間(Brachythecium rutabulum)の群落をクッションごと採ってきて、2本1組にした電極を、8か所に分けて刺して、その状態のまま、7日と10時間(178時間)にわたり電気活動のデータを集めたのです。
結果、驚くべきことに3種類の異なる電気信号が観測されました。
ひとつめは、数十秒おきに現れる速いスパイク。
ふたつめは、数十分から1時間ほどの周期でゆったり上下する中速のリズム。
みっつめは、数時間かけて電位がじわじわ動く、非常に遅い脱分極の波。
イメージとしては、時計の文字盤に近いかもしれません。
秒針、分針、時針。
速さがまるで違う3本が、同じ1枚の盤の上を、同時に回っているように、全部が並行して動いている状態です。
論文の表現を借りれば、コケは「素早い電気イベントと、遅い統合プロセスを同時に走らせている」のです。
しかもそれが、外からの刺激に反応したのではなく、コケが自分から出し続けていたものでした。
これまでのコケの電気生理学は、光を当てる、低温にさらす、薬品を加えるといった刺激を与えたときの一瞬の反応を、微小な電極で細胞レベルから測るものでした。
しかしアダマツキー氏による観測によって、空間的にも時間的にも、まったく異なるスケールで動くコケの電気活動がみえてきました。
コケの内部には複雑な電気のパターンが走っている

3つの時間スケールの発見だけでも十分に驚きですが、話はここで終わりません。
先ほどの16本の電極は、2本1組で8か所に分かれており間隔はおよそ2センチでした。
彼はこの8組を、28通りすべての組み合わせで突き合わせました。
ある場所で電位が動いたとき、別の場所ではどうなっていたか。
ずれはあるのか、ないのか。
すると、同じような電気の動きが、少しずつ時間をずらしてそれぞれの電極に現れていたのです。
たとえば、ある電極ペアの活動が、2センチ離れた別のペアよりも約86秒先に現れていました。
速度にすれば、およそ秒速0.2ミリメートルになります。
1センチ進むのに、およそ50秒かかる計算です。
しかも面白いのは、この移動速度も3種類に分かれていたことでした。
速い群れ:秒速およそ0.2ミリ
中間の群れ:秒速およそ0.02ミリ
遅い群れ:秒速0.005ミリ未満
そしてそれが、先ほどの3つの時間スケールと対応していました。
速い信号は速く進み、遅い波は遅く広がっていたのです。
コケには、神経や維管束のような専用の配線がないため端と端は、電気的には無関係のはずでしたが、電気が現れる順番があったのです。
アダマツキー氏はこの結果から、コケのクッションは孤立した細胞の寄せ集めではなく、ひとつながりの、興奮する媒体として振る舞っている可能性があると考えました。
より専門的な言い方をすれば、「空間的に分布した興奮系」ということになります。
では、配線もないのに、どうやって2センチ先まで届いているのでしょうか。
アダマツキー氏は3つの仮説を提示しています。
細胞と細胞のあいだの隙間を通っている。
水の連続性を通っている。
あるいは組織を介したイオンのやりとりで結ばれている。
というものでした。
言ってみれば、配管がないなら、濡れた体そのものが配線になっているのではないか、という発想です。
コケにニューロン様のスパイク列も観察された

論文には、生物の「興奮する系」を並べた1枚のグラフがあります。
横軸がスパイクの時間スケール、縦軸が伝わる速さ。
人間の脳、神経の培養細胞、高等植物、その他の生物。
そしてコケは、他のどれからも大きく離れて、右下の隅にぽつんと座っています。
横軸は右へ行くほどゆっくり、縦軸は下へ行くほど遅い。
つまりコケは、「いちばん時間がかかって、いちばん進まない」場所にいます。
人間の有髄神経は、最大で秒速約100メートル。コケは秒速0.2ミリメートル。
約50万倍の開きです。
また電気の波立ちにはさらに大きな差がありました。
人間の活動電位は1〜2ミリ秒で終わります。
一方コケでは、活動電位によく似た大きなスパイクの場合、電位が上がりきるまでに6.2時間かかった例が記録されています。
桁にして、およそ1000万倍の違いです。
普通なら「桁が違いすぎるので別物です」で終わる話でしょう。
ところがアダマツキー氏は、ミリ秒で動く神経と、時間単位で動くコケのあいだに、共通して現れる形を見出しました。
スパイクが群れになって現れること、速さの違うリズムが階層をなすこと、時間とともに性質そのものが移り変わっていくこと、空間に広がるパターンを持つこと。
速度という要素をいったん脇に置くと、この骨格だけが残ります。
さらにアダマツキー氏は「コケは、単に縮小されたニューロンではない」とも述べています。
神経系は、ミリ秒単位のスパイクのタイミングに情報を載せています。
しかしコケが情報を載せているのは、数時間かけた遅い波、数十時間にわたる興奮しやすさの増減、あるいは速い成分と遅い成分の掛け合わせた複雑さをもつかもしれないのです。
そしてコケの信号には、情報を運べる信号に共通してみられる特性もありました。
それは「規則的でもなく、乱雑でもない」という点です。
たとえばモールス信号が全て規則的でも、全くの乱雑でも情報を運べないことからもわかるでしょう。
情報を運ぶ信号は、そういった規則と乱雑さの間にあります。
コケの電気信号が伝わる速度は確かに遅いですが、そういった意味では、情報を運んでいないとは言い切れないのです。
実際アダマツキー氏は「コケはゆっくりした波、長期的な興奮性の変動、あるいは速い成分と遅い成分の相互作用に、情報を符号化しているかもしれない」と述べています。
もっとも、今回の研究をもって「コケが考えている」「コケが電気で会話している」というのが確定したわけではありません。
また湿ったものに金属の針を7日間刺しておけば、電極そのものの変化や、湿り具合の変動によっても電圧は動きます。
それでも彼が「単なるノイズではない」と考える理由は、シンプルです。
もし部屋の温度変化や電気的なノイズが原因なら、8か所の電極はほぼ同時に、同じように動くはずだからです。
しかし実際にはそうではなく、3タイプのズレをみせました。
しかもそのずれ方は、何度も繰り返し現れたのです。
アダマツキー氏は、コケを海綿や菌類、細菌のバイオフィルムといった「脳を持たないのに電気の波を出す生き物たち」と同じ土俵に並べています。
そしてコケの位置づけを、粘菌や菌糸ネットワークといった非従来型の計算基質に近いものとして論じています。
どれも脳を持ちません。
そのなかでも、コケはとびきり遅い。
それでも、何かをやっているかもしれないのです。
元論文
Multi-scale electrical activity and signal propagation in the moss Brachythecium rutabulum
https://doi.org/10.1098/rsos.252341
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部
