体重計に乗ります。
数字がピタッと止まります。
「よし、今日はこの体重だ」と納得する——誰もが日常的にやっていることです。
しかし、ある理論が正しければ、その数字は本当の意味では「確定していない」のかもしれません。
原因はあなたの体ではありません。
あなたが立っている足元の「時空そのもの」が、ほんのわずかに、けれども根本的に「ゆらいでいる」からだ——というのです。
もちろん、そのゆらぎは現在の体重計では絶対に検出できないほど微小なものです。
しかしそれは測定器の性能の問題ではなく、この宇宙のルールそのものに刻まれた不確かさだといいます。
この大胆な仮説を提唱しているのは、イギリスのユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)のジョナサン・オッペンハイム教授らのグループです。
彼らはこの仮説を「面白い思いつき」にとどめず、きちんと計算できる理論として仕上げてきました。
しかもこの理論は、「シュレーディンガーの猫」でおなじみの”重ね合わせがなぜ一つに定まるのか”という謎——つまり「観測とは何か」という百年来の難問にまで、別のルールを付け足さずに答えを与えます。
その鍵になるのが、ほかならぬ「時空のゆらぎ」なのです。
今回は、この長年練り上げられてきた理論を紹介しつつ、それを支える新たに物理学のトップジャーナル『Physical Review X(PRX)』に受理された成果についても見ていきます。
目次
- 水と油の二大理論
- 重力は「知りすぎて」しまうのか?
- どうやって試すのか?
- 私たちにとって、これは何を意味するのか
水と油の二大理論

現代の物理学は、2つの大きな柱に支えられています。
1つは目に見えないほど小さな粒子を説明する量子力学です。
もう1つは時空の歪みが重力になるとするアインシュタインの作った一般相対性理論です。
この2つの理論はどちらも、それぞれの担当範囲では驚くほど正確に自然を説明し、実用化が進んでいます。
問題は、この2つが「水と油」のように混ざらないことです。
量子力学が最もうまく機能するのは、時空を固定された背景として扱える場合です。
劇場の床が動かないからこそ、小さな粒子の動きを正確に計算できるのです。
ところが重力を量子化して考えると、量子の性質を獲得した重力は「複数の値を同時にとる」という不確かな存在になってしまいます。
また重力の本質が「時空の歪み」ということは、重力の量子化に連動して時空の量子化も起こり得ます。
時空がゆらぎ、重ね合わさり、はっきりと決まらなくなる——そういう世界を受け入れる、という意味になります。
しかしこれが思いのほか困難でした。
この難所を超えるため、物理学は有力なアプローチに分かれました。
それが、昔から有名なひも理論と近年になって注目されているループ量子重力理論の2つです。
ひも理論は、物質も時空も、すべては目に見えないほど小さな「弦」の振動から生まれると考えます。
ループ量子重力理論は、なめらかに見える時空を、細かく編まれたループで作られた網の目と考える。
両者の隔たりは大きいですが、重力理論のほうを量子力学に合わせて書き換える「量子化」を行うという点は同じです。
そしてこれらは小さな世界(量子)と大きな世界(空間の歪み:重力)を統一する候補として、現在でも盛んに研究が行われています。
ただ両者には共通の弱点もありました。
理論が予測する現象が、現在の技術ではとても観測の手の届かないエネルギースケール(プランク長レベル)で起こるため、実験で確かめるのが極めて難しいのです。
そこで、UCLのオッペンハイム教授は切り口を変えました。
「みんな時空を書き換えて量子に寄せようとしている。でも逆に、量子論のほうを書き換えて時空に寄せたらどうだろう?」と。
このアプローチでは、重力は量子化しません。
代わりに、量子力学の側を修正して、時空と量子がケンカせずに共存できるようにするのです。
いわば、弦理論でもループ量子重力でもない「第三の道」と言えます。
重力は「知りすぎて」しまうのか?

弦理論でもループ量子重力でもない「第三の道」――そこに至る道は決して平坦ではありませんでした。
その理由は量子力学でおなじみの二重スリット実験とSF的な重力を使った観測でわかります。
たとえばSF映画などでは、エイリアンの宇宙船を重力センサーを使って突き止めるシーンが描かれていますが、これは原理的には正しい話です。
宇宙船には質量があり、質量は周囲の時空を歪ませます。
どんなに姿を隠しても、重力の「足跡」は消せないのです。
では、宇宙船ではなく、もっとずっと小さな「粒子」の場合はどうでしょう?
粒子にも質量があります。
ごくわずかですが、時空を歪ませています。
そのためもし粒子の生じさせる重力(空間の歪み)を精密に測定できるなら、原理的には、粒子の居場所を読み取れてしまうように見えます。
ここでその粒子に対して「二重スリット実験」を行うとどうなるでしょうか?
1つの粒子が両方の穴を通ったかのように振る舞い、何度も実験すると干渉縞が現れますが、重力の測定器では粒子の正確な位置が測定し続けられることになります。
これは深刻な矛盾です。
重力を古典的なものとして扱うと「知りすぎてしまう」ことになり、実際には起きているはずの量子の重ね合わせと、真正面から食い違ってしまうのです。
この矛盾を解く方法が、重力の量子化でした。
もし重力が量子的であれば、重力場の測定にも量子的な不確定性が入り込むので「正確な位置を測定し続ける」ことはできなくなり、量子の魔法は守られるでしょう。
だからこそ物理学者の大多数は、「重力は量子化されていなければならない」と結論してきました。
しかしこの「重力は量子的であるべき」という話には、ある前提がありました。
「粒子の位置が決まれば、時空の歪み方も決まる」というものです。
粒子は質量があり、質量が空間を歪ませ重力として働くのだから、この前提は当たり前すぎて疑う必要性もないように見えます。
しかしオッペンハイムはこの前提に抜け道があることに気づきます。
抜け道の鍵は、重力と粒子とのやりとりに、根本的なランダムさ(でたらめさ)を持ち込むことでした。
空間の歪みは粒子の存在にきっちり従って起こる精密な現象ではないとしたのです。
もちろん、粒子は重力を作り、粒子が集まってできる星も重力を作ります。
でも、そのへこみが粒子レベルの居場所を完全に捉えるほど精密でないとしたら、重力の観測を粒子に行っても、量子の重ね合わせは解けずに済みます。
オッペンハイム教授は、このアイデアを、厳密な数学で裏づけました。
するとそこからは、時間も空間も重さも、消すことのできないランダムなゆらぎを持つという興味深い世界が描かれました。
たとえば私たちはふだん、時間はきっちり等間隔で刻まれると思っています。
ところがこの理論では、言ってみれば、その一刻み一刻みの間隔が、目に見えないほど小さなスケールで、予測できない形でわずかに伸び縮みします。
時間の流れそのものが、細かく”ぐらついて”いるのです。
空間の歪みも同じように、絶えずランダムに揺らぎ、重力も時空に連動してゆらぎます。

そしてこの「ゆらぎ」を基本的な量子力学の計算に含めると、量子系で観察される不思議な現象も自然に導き出されました。
その中には、量子系が観測される際にどのように古典系に変化するかという法則も含まれます。
たとえば「シュレーディンガーの猫」は箱の中の猫が、量子力学的には「生きている状態」と「死んでいる状態」の重ね合わせにありますが、箱を開けることで状態が確定するとされています。
さらにこの理論には、思いがけないおまけが付いてきます。
量子の世界では、原子は右と左を同時に通れるのに観測すると、必ず片方に定まって見えるという現象がつきまといます。
粒子だけを見ていても、答えを一つに決める仕掛けがどこにもないからです。
そこでこれまでの量子論は、この現象を「二階建て」で説明するしかありませんでした。
ふだん原子は、誰にも触れられず重ね合わせのまま漂う「第一階」と「観測」という特別なイベントが起きると、そこだけ別ルールが発動して、パチンと一つに定まる「第二階」です。
ただなぜ、観測するとこうなるのかについては、根本的な部分で不明でした。
問題は、その「観測」の中身を、誰もきちんと言えなかったことでした。
人間が見たら観測なのか。
機械が触れたら観測なのか。
どこからが「特別な観測」で、どこまでが「ただの相互作用」なのか。
その線引きが原理的にあいまいなまま、およそ百年ものあいだ棚上げにされてきたのです。
では、その「観測」とは、そもそも何なのでしょうか。
オッペンハイム流の理論は、この謎に、別ルールを付け足さずに迫ろうとします。
カギは、たった一つの問いでした。
「その原子が右にいるか左にいるかで、周りの世界は、どれだけ違う反応をするか?」
これだけです。
原子は、右にいるか左にいるかで、周りの時空にほんの少し違う跡を残します。
そして——周りの世界が「右の原子」と「左の原子」にまるで違う反応を返すほど、重ね合わせは速くほどけて、一つに決まる。
反応の違いが小さいほど、原子はゆっくりとしか崩れず、長いあいだ「両方」のまま漂っていられる。
この物差しで、二つの場面を見比べてみましょう。
まず誰も見ていない原子は右にいても左にいても、周りの世界はほとんど同じ反応しか返しません。
違いがごくわずかなので、崩れはとてもゆっくり。
原子は長いあいだ、右と左の重ね合わせのまま漂っていられます。
いつか崩れるときが来ても、それは遠い未来の話です。
しかもこの理論では、どんなに外界から隔離しても、時空とのやりとりだけは消せません。
だから重ね合わせのほどけは、原理的にゼロにはならないのです。
次は測定器にかけた原子です。
測定器とは、そもそも「原子が右なら針を右へ、左なら針を左へ」と、原子の居場所しだいでまるで違う姿に変わるよう作られた機械です。
しかも測定器は、目に見えるほど巨大な、無数の原子のかたまり。
だから「右のときの姿」と「左のときの姿」の違いは、途方もなく大きくなる。
世界が返す反応が、これ以上ないほどはっきり食い違うのです。
こうなると、原子の「右の顔」と「左の顔」は、もう同時には保てません。
世界じゅうにまるで違う跡を残してしまうから。
だから重ね合わせは一瞬でほどけ、パッと一つに決まります。
つまり——「観測」だけが特別なのではありません。
観測とは、時空とのやりとりがとりわけ強くなり、大きく増幅された状況につけられた”呼び名”にすぎないのです。
風を思い浮かべてください。
そよ風には、いちいち名前などありません。
けれど同じ風でも、冷たく激しく吹きつければ「木枯らし」や「北風」と呼ばれ、人はその訪れをはっきり意識します。
でも、名前がついたからといって、正体が変わったわけではない。
木枯らしも、そよ風も、同じ「風」です。
原子と時空のやりとりも、これとまったく同じ。
弱くて増幅もされないうちは、名前もつかず、ただ静かに続いているだけ。
ところが、そのやりとりが激しくなり、測定器という巨大な塊にくっきりと映し出されたとき、私たちはようやくそれに気づき、「観測」という名前を与える。
特別な出来事が起きたのではなく、いつものやりとりが、名前がつくほど強く現れた——それだけのことだったのです。
どうやって試すのか?

ここまでがオッペンハイム教授が2023年に発表した理論の骨格です。
今回PRXに受理された新しい論文は、この研究プログラムを発展させる大きな2つの改良がありました。
1つは相対論と握手できる形にしたことです。
相対論のいちばん大切な作法は、「誰から見ても、どんな座標で測っても、法則の形が変わらない」という美しい対称性です。
今回の論文では理論を、新たな計算術(経路積分)で展開し、相対論の対称性を、理論に最初から自然に組み込めるようになりました。
もう1つは、この新しい書き方の力を借りた証明でした。
それは——この理論の枠組みでは、古典的な重力を介しては、離れた二つの物体を「量子もつれ」の関係にできない、という結論です。
量子もつれとは、二つの粒子が、どんなに離れていても互いの状態を瞬時に”知っている”かのように結びつく、量子論ならではの深い繋がりのことです。
じつは物理学者たちは近年、「重力を通じて二つの物体がもつれるかどうかを、実験で確かめよう」という挑戦を計画しています。
もし本当にもつれが起きたなら、それは重力が古典的ではありえない——重力もまた量子的だ——という強い証拠になります。
そうなれば、少なくともこの種の局所的な古典重力モデルには厳しい結果になります。
一方で、この試みが本当にダメだった場合、つまりちょっとした技術的な問題ではなく、根本的に無理だった場合には古典的な時空を考える別ルートを、真剣に検討する余地が広がります。
物理学者にとっては自らの理論がかかった勝負ですが、人類にとってはどっちの結果でも科学の進歩という果実が得られます。
他にもこの理論を試す方法はあります。
「時空は避けようもなく揺れている」という予言を、正面から突くやり方です。
もし時空がこの理論の言うとおりに小さく揺れているなら、その揺れは重力の揺れとなり、関連する研究では、物の重さのわずかなブレとして顔を出す可能性があるとされています。
つまり——ある物体の重さを、これ以上ないほど精密に量り続けたとき、答えがぴたりと一点に定まらず、どうしても消えないブレが残る。
もしそんなブレが見つかれば、それは「時空は古典的だ」という側の、強力な証拠になります。
そしてこれが見つかれば、オッペンハイムたちの理論を強く後押しする結果になります。
では、すぐにやってみればいいじゃないか——と、はやる気持ちも湧いてきます。
しかし実行するには、物体の重さを、とてつもなく高い精度で測らなければならないのです。
それでも、この賭けに挑む価値を信じる研究者は少なくありません。
理論が発表された2023年、重力を通じたもつれ実験を最初に提案した一人、UCLのソウガト・ボーズ教授は「時空の本性を確かめる実験は大がかりな挑戦になるが、自然の根本法則を理解するうえで計り知れない意味を持つ。手は届く範囲にあり、予測は難しいものの、おそらく今後20年のうちに答えが分かるだろう」と述べていました。
私たちにとって、これは何を意味するのか

私たちはこれまで、量子論の奇妙さ——重ね合わせや、観測した途端に答えが一つに定まる不思議——を、この世界のいちばん根っこにある、動かしがたい性質だと思ってきました。
だから重力のほうを、その奇妙さに合わせて量子として解釈しようとしてきました。
ところがオッペンハイム教授たちの描く世界では、順番が逆転します。
根っこにあるのは、値の定まった古典的な時空のほう。
そして「シュレーディンガーの猫」のような量子の奇妙さの一部は、その古典的な時空と触れ合うことから生まれる、いわば”二次的な産物”だというのです。
観測すると答えが一つに定まる不思議な現象も、世界に組み込まれた事前設定ルールではなく、時空との対話が生む自然な帰結になるでしょう。
何が根源で、何が派生かという、世界の見取り図そのものが引っくり返るわけです。
そして何より心を打つのは、この理論が「もし私が間違っていたら、この実験でそれが分かる」という、自らを否定するための道具まで、自分の手で差し出している点にあります。
もちろん、キッチンの秤では測れません。
それでも言ってみれば——極限まで精密な秤を作れたなら、その最後の一点に、時空のゆらぎが顔を出すのかもしれません。
参考文献
New theory seeks to unite Einstein’s gravity with quantum mechanics
https://www.ucl.ac.uk/news/2023/dec/new-theory-seeks-unite-einsteins-gravity-quantum-mechanics
元論文
Covariant path integrals for quantum fields backreacting on classical space-time
https://doi.org/10.1103/2rcd-dzcf
A Postquantum Theory of Classical Gravity?
https://doi.org/10.1103/PhysRevX.13.041040
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部
