旅先のホテルや引っ越したばかりの部屋で、なぜか寝つきが悪くなる。
そんな経験をしたことがある人は多いはずです。
実はこの「環境が変わると眠れなくなる」現象は、単なる気のせいではなく、生物が生き延びるために備えてきたれっきとした脳の仕組みだと考えられています。
最近、名古屋大学の研究グループが、この身近な現象の裏側にある脳の回路を動物実験で突き止めました。
脳はどのように「ここは初めての場所だ」と察知し、あえて眠らない状態を作り出しているのでしょうか。
目次
- 新しい環境では「眠らないほうが有利」だった?
- 「眠るな」と指令を出す脳内回路を発見!
新しい環境では「眠らないほうが有利」だった?
睡眠は心身の回復に欠かせない重要な生理機能です。
しかし、動物は常に眠っていられるわけではありません。
捕食者がいるかもしれない場所や、危険が潜んでいるかもしれない状況では、眠るよりも周囲を警戒するほうが生存に有利です。
人間でも、新しい環境に置かれると覚醒度が高まることが知られています。
ホテルに泊まった初日の夜に眠りが浅くなる「初日効果」は、その代表例です。
これは脳が怠けているのではなく、安全が確認できるまで覚醒を保とうとする適応的な反応だと考えられています。
ただし、これまでの研究では、「環境の新しさ」という情報を、脳がどのように処理し、覚醒を維持する行動につなげているのかは、はっきり分かっていませんでした。
そこで研究チームは今回、マウスを新しい環境に置いたときに、どの脳領域が特に活発になるのかを詳しく調査。
その結果、情動やストレス反応に関わる拡張扁桃体(恐怖や不安などの「負の情動」やストレス反応を制御する重要な脳領域)の一部が、新奇環境で強く活動することが分かりました。
「眠るな」と指令を出す脳内回路を発見!
チームが注目したのは、拡張扁桃体に含まれるIPACLと呼ばれる領域です。
ここに存在するCRF(コルチコトロピン放出因子)を作る神経細胞は、新しい環境に置かれたマウスで特に活性化していました。
この神経細胞の働きを人工的に操作すると、はっきりした変化が起きました。
活性化させるとマウスは長く起き続け、逆に抑制すると、新しい環境でも早く眠ってしまったのです。
つまり、IPACLの神経細胞は「新しい環境では眠らない」という反応を支える中枢だと考えられます。
さらに研究を進めると、これらの神経細胞がニューロテンシンという神経ペプチドを使い、中脳のある領域(黒質網様部)へ情報を送っていることが分かりました。
ニューロテンシンが放出されることで、覚醒が維持されやすくなります。
この経路をまとめると、
新しい環境 → 拡張扁桃体IPACLのCRF神経が活動 → ニューロテンシンを放出 → 覚醒が持続
という流れになっていました。
このように、脳は「環境がまだよく分からない」という不確実な情報を、眠らないという行動へと変換していたのです。
今回の研究は、「環境が変わると眠れなくなる」という日常的な体験が、脳の不具合ではなく、生存を支える合理的な仕組みであることを示しました。
この仕組みが過剰に働くと、不眠症やストレス関連の睡眠障害につながる可能性があります。
そのため、拡張扁桃体やニューロテンシンを標的とした新しい治療法の手がかりになることも期待されています。
知らない場所で眠れない夜は、脳が「あなたを守ろう」と必死に働いている証拠なのかもしれません。
参考文献
新しい環境では「眠れない」のはなぜか?生存を支える覚醒回路を解明、睡眠障害の病態理解に新たな視点
https://www.u-presscenter.jp/article/120328
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部

