「タバコは健康に悪い」
これは耳にタコができるほど聞かされてきた話です。
肺がんや心筋梗塞、慢性閉塞性肺疾患(COPD)など、喫煙は数々の重い病気の原因になります。
禁煙を進めるキャンペーンが世界中で展開されているのも当然でしょう。
ところが、そんなタバコが「逆に症状をやわらげる病気」が存在するのをご存じでしょうか。
しかもその病気は、日本でも増加している原因不明の難病「潰瘍性大腸炎」です。
理化学研究所のチームはこのほど、「なぜ喫煙が潰瘍性大腸炎をやわらげるのか」という長年の謎を解き明かしました。
タバコが腸にどう作用しているのか、その意外すぎるメカニズムが明らかになったのです。
研究の詳細は2025年8月25日付で科学雑誌『Gut』に掲載されています。
目次
- なぜタバコで大腸炎が軽くなるのか?
- 口の中の細菌が炎症を抑える?
なぜタバコで大腸炎が軽くなるのか?
潰瘍性大腸炎は、大腸の粘膜に慢性的な炎症が起こる病気です。
激しい下痢や血便が続き、日常生活に大きな支障をきたす難病で、患者数は年々増えています。
原因ははっきり分かっていませんが、免疫のバランスの乱れや腸内環境の変化が関係していると考えられています。
不思議なことに、昔から「喫煙者は潰瘍性大腸炎になりにくい」「禁煙すると症状が悪化する」という現象が知られていました。
健康に悪いはずのタバコが、この病気に関しては“保護的”に働くのです。
しかし、その理由は長い間わかりませんでした。
今回、研究チームは潰瘍性大腸炎の患者84人から便や唾液、腸の粘膜サンプルを集め、さらに病気を再現したモデルマウスを使って詳しく調べました。
その結果、驚くべきことが分かりました。
まず、喫煙者の便には「芳香族化合物」と呼ばれる成分が多く含まれていました。
これはヒドロキノンやカテコールといった物質で、タバコの煙にも含まれている成分です。
この芳香族化合物が腸内に入ると、腸の細菌バランスを変える働きがあることが判明しました。
特に変化したのが、大腸の粘膜に直接付着している細菌たちです。
喫煙者の腸では、なんと「口の中に住んでいる細菌」が大腸に増えていたのです。
普段は口腔内にしかいないはずの細菌が、大腸に居場所を広げていたのです。
この一見奇妙な現象が、病気の症状をやわらげるカギになっていました。
口の中の細菌が炎症を抑える?
研究チームはさらに詳しく調べました。
すると、芳香族化合物によって増えた口腔内細菌、特にストレプトコッカス(Streptococcus)という菌が腸の免疫システムに作用していることが分かったのです。
実験で、このストレプトコッカスを潰瘍性大腸炎のモデルマウスに投与すると、マウスの腸では「Th1細胞」と呼ばれる免疫細胞が増えました。
Th1細胞は炎症を引き起こす免疫細胞の一種ですが、同時に潰瘍性大腸炎の原因とされる「Th2型免疫応答」を抑える働きがあります。
つまり、喫煙によって腸に持ち込まれた口腔内細菌が、免疫のバランスを調整し、過剰な炎症を和らげていたのです。
結果として、大腸の炎症が抑えられ、潰瘍性大腸炎の症状が軽くなるという仕組みが解明されました。

もちろん、タバコそのものが体に良いわけではありません。
肺や心臓にとって喫煙は大きな害であり、むしろ潰瘍性大腸炎以外の多くの病気のリスクを高めます。
今回の発見が意味するのは「タバコを吸った方が良い」ということではなく、「タバコに含まれる物質や細菌の変化をヒントに、新しい治療法を開発できるかもしれない」という点にあります。
例えば、タバコの煙に含まれる有害物質を使わずに、腸内細菌や代謝産物を調整する方法が開発されれば、禁煙後に症状が悪化する患者を助けられる可能性があります。
さらに、この知見は潰瘍性大腸炎だけでなく、他の腸の病気や免疫系の病気にも応用できるかもしれません。
参考文献
喫煙による潰瘍性大腸炎の症状緩和の成因を解明-喫煙が腸内環境に与える影響を明らかに-
https://www.riken.jp/press/2025/20250826_1/index.html
元論文
Smoking affects gut immune system of patients with inflammatory bowel diseases by modulating metabolomic profiles and mucosal microbiota
https://doi.org/10.1136/gutjnl-2025-334922
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部