チープなポリゴンもリアルに感じられるかもしれません。
イギリスのユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)で行われた研究によって、脳には「想像による信号」と「知覚による信号」を足し合わせた「信号の強さ」を一種の現実性メーターとして使用しており、そのメーターがある値(閾値)を突破すると、脳は「本物だ!」と判定することがわかりました。
逆に言えば、『頭の中のリンゴ』と『目の前のリンゴ』を分けるものは信号の強さ(太さ)の違いに過ぎないということになります。
このメカニズムのおかげで普段は想像と現実を混同せずに済んでいますが、裏を返すと実際の視覚信号がゼロでも想像があまりにも鮮明になりすぎた場合、脳はまるで自作のCG映像をライブの現実映像と誤認してしまう恐れもあるといいます。
こうした知見は、幻覚が起こる仕組みの解明や最新のVR(仮想現実)技術への応用にもつながる可能性があります。
研究内容の詳細は2025年06月05日に『Neuron』にて発表されました。
目次
- 脳の“現実メーター”仮説を検証せよ
- 頭の中の映像を「本物」に変える脳の裏ルール
- “現実を分ける線”は動く――医療とVRが狙う次の一手
脳の“現実メーター”仮説を検証せよ
人は日常的に頭の中でイメージを思い浮かべます。
たとえば「リンゴを思い浮かべて下さい」と言われたとき、人々は目の前にリンゴがないにも関わらず、頭の中にリンゴの姿を思い浮かべることができます。
しかし多くの場合、私たちはそれを現実のリンゴと取り違えることはありません。
「そんなの当たり前だ」と思うかもしれませんが、実はそうでもありません。
夢の中で見るリンゴには視覚で確認することはできなくても、私たちは一定のリアリティーを感じます。
つまり、夢では頭の中のリンゴを現実のリンゴであると錯覚するのです。
同様の現象は現実でも起こり得ます。
暗闇の中で想像力が刺激されると、枯れた花や風に揺れる柳を幽霊に見間違えることもあります。
これも同様に頭の中の想像が現実と錯覚された一例です。

では脳はいったいどのようにして「頭の中の映像」と「現実世界の映像」を見分けているのでしょうか?
この疑問に対する鍵を握る仕組みが最新の研究によって明らかになりました。
神経科学の研究では、実際に目で見ている時と想像している時とで脳内に非常によく似た活動パターンが現れることが分かってきました。
同じ脳の回路が使われるにもかかわらず、通常は私たちが想像と現実を取り違えないのはなぜなのでしょうか。
この疑問は長らく明確な答えが出ていませんでした。
従来、一つの考え方として「脳は自分で作り出したイメージには“内部生成”だとわかるタグを付けて管理しているのではないか」という仮説もありました。
しかし、もし脳内で発生した信号にタグ付けだけで現実との混同を防いでいるのだとしたら、想像のイメージが知覚体験に与える影響はごく限定的にとどまるはずです。
ところが近年の研究から、想像した映像が現実の知覚に足し算的に影響しうることが示唆されていました。
つまり脳は想像の信号を完全には無視せず、場合によっては現実の知覚信号に上乗せしてしまうのです。
そこで今回の研究グループは、脳が想像と現実を見分ける仕組みを改めて検証するため、「想像+知覚」の信号強度を手がかりに現実を判断しているというモデルをテストしました。
このモデルは「現実しきい値モデル」と呼ばれ、想像による内部信号と実際の感覚信号が同じ脳内回路で統合され、その合計の強さ(=現実信号)が一定のしきい値を超えるかどうかで脳が現実か否かを判断するという仮説です。
もしこの仮説が正しければ、想像と現実の信号が混ざり合って曖昧になる場面でも、脳内の活動パターンを分析することで「現実信号」の存在と役割が確認できるはずです。
研究チームはこの予測を確かめるため、あえて被験者に想像と知覚を同時に行わせて両者の境界を曖昧にする実験を行いました。
頭の中の映像を「本物」に変える脳の裏ルール

現実と想像をどうやって区別するのか?
この疑問を解決するには、影法師のように存在しない映像をあると思い込むときに脳内で起こる現象を確かめる必要があります。
そこで研究ではまず、健康な成人26名が被験者が集められ、画面に表示される砂嵐状のノイズの中から、左または右に傾いた薄い縞模様(グレーティング)を探すよう指示されました。
ただ実際にごく薄いパターンが紛れ込まされるのは試行の半分だけで、残り半分は何も提示されません。
一方で参加者は常に、頭の中であるパターンを想像するよう求められます。
想像するパターンはブロックごとに「探している模様と同じ向き」(一致状況)か「直交する別の向き」(不一致況)になるよう設定されました。
各試行の後、参加者には実際にパターンが「見えたかどうか」(現実だと思ったか)と、想像したイメージの鮮明さ(vividness)が報告されます。
結果は研究者の予想どおりでした。
同一パターンを想像している場合には、「頭の中の映像」が非常に鮮明だと報告した試行で、本当は何も提示されていないにもかかわらず「見えた!」と誤答するケースが多発したのです。
言い換えれば、参加者は自分の心に思い描いたイメージを現実の映像だと取り違えてしまったことになります。
この間、被験者の脳活動を機能的MRI装置(fMRI)で記録し、想像と現実を区別する手がかりとなる脳内の部位を特定しました。
解析の結果、側頭葉の下部に位置する「紡錘状回(ふくすいじょうかい, fusiform gyrus)」という視覚野の一部がカギを握ることが分かりました。
この領域の活動の強さを調べると、紡錘状回が強く活動している試行ほど参加者は「パターンが本当に見えた」と判断しやすく、逆に活動が弱い時には「見えなかった」と判断していたのです。
興味深いことに、実際にパターンが提示されたか否かにかかわらず、この脳活動の強さで参加者の現実判断を予測できてしまいました。
通常、紡錘状回の活動は「何かを想像している時」の方が「実際に見ている時」よりも弱く、このおかげで脳は内部の想像と外界の現実を区別できています。
しかし本研究では、想像上のイメージが極めて鮮明になると紡錘状回の活動が知覚時と同程度に強まってしまい、その結果、参加者が自分の想像を現実と混同する現象が観察されました。
要するに、脳内の「現実信号」(紡錘状回の活動の強さ)が通常よりも高くなりすぎると、存在しないものがあたかも存在するかのように感じられてしまうのです。
では脳はどのようにこの「現実信号」を読み取っているのでしょうか。
脳全体のネットワークを解析したところ、紡錘状回に加え、意思決定を担う前部島皮質などの前方脳領域も関与していることが判明しました。
前部島皮質は、意思決定や自己モニタリングなど「メタ認知」的な働きに寄与する領域として知られています。
実験では、参加者が「今見えているものは本物だ」と判断したときにこの前部島皮質が強く活動し、しかも紡錘状回との間で顕著な機能的結合が認められました。
紡錘状回で生じた連続的な「信号の強さ」の情報(現実信号)を前部島皮質が読み取り、それがしきい値を超えたかどうかを基準に「本物かどうか」を二分的に判定する仕組みだと考えられます。
つまり本物かどうかを脳が判断する時には「知覚からの信号+想像からの信号」が一定以上を超えなければならないのです。
そして知覚からの信号が無くても、想像から十分な信号が発せられれば、存在しないはずの薄い画像が存在すると判定されるわけです。
これら前頭葉の領域はメタ認知、つまり自分の心を客観視する働きに関与すると以前から考えられてきました。今回の結果は同じ領域が『何が現実か』を判断することにも関わっていることを示しています。
なお研究チームは、行動実験の結果がこの「現実しきい値モデル」でうまく説明できることを計算機シミュレーションで確認しています。
モデルの予測どおり、一致状況では想像の鮮明さと「見えた/見えない」の判断結果が強く連動し、不一致況では両者の連動が消失することも示されました。
このように脳内で実際に「現実信号」が検出されたことで、研究者らは想像と現実を見分ける神経メカニズムを掘り下げて議論できるようになりました。
“現実を分ける線”は動く――医療とVRが狙う次の一手

以上の実験から、脳は視覚信号の強度(=想像+知覚の合計値)を現実かどうかの基準として利用していることが示唆されます。
ダイクストラ博士(研究主導者)は「我々の発見は、脳が想像と現実を区別する際に感覚信号の強さを利用していることを示しています」とコメントしています。
この仕組みにより、普段は想像上のイメージ(信号は弱い)と現実の知覚(信号が強い)を混同せずに済んでいるわけです。
一方で今回の結果は、なぜ人はときに現実と想像を取り違えてしまうのかという謎にも光を当てます。
脳が現実を見極めるネットワーク(紡錘状回と前部島皮質を中心とする回路)が正常に機能しない場合、現実と空想の境界が崩れてしまう可能性があります。
例えば紡錘状回が本来より過剰に活動してしまうと(いわば“メーターの誤作動”が起これば)、存在しないはずのものが鮮明に感じられて幻覚につながるかもしれません(想像の信号が強すぎる場合)。
また逆に、前部島皮質など「現実かどうか」を判断する側の見落とし(判定を行う閾値システムがガバガバになる場合)によって内部信号を遮断し損ねても、やはり想像が現実のように紛れ込んでしまう可能性があります。
実際、統合失調症などでは自分の頭の中の声が他人の声に聞こえてしまう現象(幻聴)が知られており、今回特定された前頭前野ネットワークの機能不全がそうした現実検討の失敗に関与している可能性があります。
研究者らは、この発見が「何が現実で何が非現実か」を見極める脳内プロセスの理解を深め、将来的には精神疾患の診断・治療法の進展につながることを期待しています。
さらに本研究の知見は、仮想現実(VR)技術の改良にも役立つ可能性があります。
人間の脳が「想像」を「現実」と錯覚しないギリギリの境界ラインがどこにあるのかが分かれば、VR体験の没入感を高めつつ現実との区別は保てるような絶妙なコンテンツ設計が可能になるかもしれません。
実際、フレミング教授は2023 年の関連研究でのコメントにおいて「近い将来、脳への刺激やVR技術が非常に強力な感覚信号を生み出すようになれば、現実と非現実を見分けることは我々が思うより困難になるかもしれない」と指摘しています。
現実と仮想の境界を超えない範囲でどれだけ内部信号を増強できるか――今回明らかになった「現実メーター」のしきい値は、今後のVR研究開発にとって貴重な指標となるでしょう。
最後に、今回の研究は「想像」と「現実」のあいまいな関係を脳全体の活動マップとして示し、中位視覚野に“強度メーター”があることを詳細に実証しました。
脳の中位視覚野で検出される現実信号と、前頭前野で下される現実/非現実の判定……この二段構えのシステムこそが、私たちが日々「頭の中のリンゴ」と「目の前のリンゴ」を混同せずに済んでいる理由なのです。
一方でこのシステムが揺らいだとき、人は自分の内部のイメージを現実のものと錯覚してしまう――そんな想像と現実のあいまいさを生み出す脳内メカニズムが、今回つまびらかに描き出されました。
今後この発見を足がかりに、人間の脳に備わる「現実モニタリング装置」の全容がさらに解明されていくことでしょう。
元論文
A neural basis for distinguishing imagination from reality
https://doi.org/10.1016/j.neuron.2025.05.015
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部