気候変動によってサンゴ礁が白化・死滅し失われていくことは地球環境にとって大きな損失です。
しかしフランスのソルボンヌ大学(SU)で行われた研究によって、世界中のサンゴ礁が消滅すると海の二酸化炭素吸収量が増加することが示されました。
具体的にはサンゴ礁の消滅は海の二酸化炭素吸収量を2100年までに累積で1〜5%、2300年までに最大13%も多くすると試算されたのです。
これは現在のイギリスの年間排出量(約0.3 Gt CO₂)の約5倍、オーストラリアの約4倍弱に当たる規模であり、気候モデルで考慮すべきほど大きい問題となりました。
この皮肉な利点は、私たちの温暖化対策をどのように揺さぶるのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年6月2日に『PNAS』にて発表されました。
目次
- サンゴ礁消滅で海はどう変わる?
- サンゴ礁消滅で二酸化炭素がより多く海に溶ける
- 「皮肉な利点」に甘えてはならない
サンゴ礁消滅で海はどう変わる?

地球温暖化に伴い海水温の上昇と海洋酸性化が進むと、サンゴが石灰質の骨格(炭酸カルシウム:CaCO₃)を作り維持することが難しくなり、やがてサンゴ礁そのものが溶けて崩壊し始める可能性があるといわれています。
サンゴ礁は海洋生態系の宝庫であり、その消失は生物多様性や沿岸地域社会に深刻な影響を及ぼすため、保全が急務です。
しかし一方で、サンゴが骨格を形成する「石灰化」の過程では水中の総アルカリ度(Alk)と無機炭素(DIC)が2:1で減り、結果として海水のpCO₂が上がりCO₂が放出されるという事実はあまり一般に知られていません。
このため、活発に石灰化するサンゴ礁は炭素をCaCO₃として海底に固定しつつも、同時に一定量のCO₂を海水中に放出し大気へ戻す要因にもなり得るのです。
では、気候変動でサンゴ礁が衰退し石灰化が減少したら、そのCO₂放出はどうなるのでしょうか。
さらに深刻な場合、サンゴ礁の骨格が溶け出す「溶解」が起これば総アルカリ度と無機炭素が増え、海水のpCO₂が下がるため、大気からのCO₂吸収が促進されます。
つまり、サンゴ礁が失われ石灰化が止まれば、海洋からのCO₂放出が減り、場合によっては海が大気中のCO₂を今まで以上に吸収するようになる可能性があるのです。
サンゴ礁が消えることを「利点」と捉えることに拒否感を持つ人もいるかもしれません。
しかし特定の生物種消滅の影響は単純なものではありません。
サンゴ礁消滅に対する正負両面の影響を理解することは、より正確な気候変化の予測において必要不可欠なのです。
そこで今回研究者たちはこのようなサンゴ礁消失による気候への「皮肉な利点」に着目し、その影響の大きさを定量的に評価することにしました。
サンゴ礁消滅で二酸化炭素がより多く海に溶ける

調査にあたってはまず、サンゴ礁の石灰化速度低下に関するこれまでの知見を総合し、現在知られている世界中のサンゴ礁の分布データと組み合わせて、石灰化減少に伴う海水のアルカリ度や無機炭素の変化量を見積もりました。
そして、それらの変化が海洋の炭素吸収に与える影響をシミュレートするために、地球規模の海洋生物地球化学モデルPISCES(基盤にNEMO海洋モデル)を用い、今世紀およびその先の複数の温室効果ガス排出シナリオで計算を行いました。
結果、サンゴ礁の炭酸カルシウム生産(石灰化)が今後低下していくことで、海洋による人為起源CO₂の吸収速度が大きく増加し得ることが明らかになりました。
サンゴ礁消滅は地球温暖化をどの程度押しとどめるか?
モデル計算によると、石灰化の減少により海洋が 2100 年までに累積で 1〜5 %、2300 年までには最大 13 % 多く CO₂ を取り込むことが示されました。
またサンゴ礁壊滅に伴うCO₂の吸収増加を単純に気候モデルに組み込んだ場合、2100年では最大で約0.07℃(0.02~0.07℃)、2300年では最大で0.18℃(0.08~0.18℃)ほど温暖化を抑制する効力があると推測されます。
より具体的には、現在の中〜高排出シナリオでは、今世紀半ば(2050年前後)には石灰化低下による海洋のCO₂吸収量の増加が最大で年間0.44ペタグラム(PgC)に達する可能性があります。
これはCO₂の質量に換算すると約1.6ギガトン(Gt)に相当し、人間活動による年間排出量の数%に匹敵する規模です。
平均的な予測では増加幅は0.13 PgC/年程度(CO₂に換算して約0.48 Gt)と見積もられましたが、それでも決して無視できない量です。
海洋のCO₂吸収量増加は、その後も長期にわたり持続すると予想されています。
石灰化の減少による海水の化学的変化(アルカリ度の増加など)はすぐには元に戻らないため、海と大気の炭素ガス交換に影響を与え続けるからです。
シミュレーションでは、2100年頃には海洋が毎年追加で最大約0.4 PgC(炭素換算、CO₂約1.5 Gt)を余分に吸収しうると推計されました。
研究チームはさらに遠い将来まで計算を行い、2300年までに海洋が累積で最大110 PgC(約400 GtのCO₂)多く大気から吸収する可能性も示しています。
仮に110 PgCもの炭素が大気中から追加吸収されれば、気温上昇を抑制する上で相当な効果があります(参考までに、人類が産業革命以降に排出した炭素は累積で約650 PgCと推定されています)。
中央値シナリオの場合、2300年までの追加吸収量は約46 PgC(CO₂約170 Gt)と見積もられています。
いずれにせよ、サンゴ礁の消失がもたらす海洋のCO₂吸収増強効果は、気候システム上無視できない規模であることが初めて明確に示されたと言えます。
この効果の大きさを他の気候フィードバックと比べると、興味深い点が浮かび上がります。
研究によれば、21世紀中に予想されるサンゴ礁消失による炭素吸収増加量は、北方のタイガ(寒帯林)の大規模枯死がもたらす炭素放出量に匹敵する規模ですが、方向は逆であるといいます。
タイガの森林枯死は気温上昇で森林が衰退しCO₂が放出される「正のフィードバック」(気候をさらに温暖化させる方向の効果)ですが、サンゴ礁の場合は逆にCO₂を減らす「負のフィードバック」として作用する点で対照的です。
「皮肉な利点」に甘えてはならない

「サンゴ礁の喪失が気候変動をわずかに緩和する可能性がある」というのは皮肉な結果ですが、研究者たちは決して「サンゴ礁が無くなっても良い」と主張しているわけではありません。
むしろこの研究は、炭素循環と生態系保全の関係がいかに複雑であるかを示す事例と言えます。
研究チームはこの状況を「重大なパラドックス(逆説)」だと表現しています。
炭素の観点だけで見ればサンゴ礁が衰退した方が大気中のCO₂濃度抑制には有利に働くかもしれません。
しかし当然ながらサンゴ礁には気候調節以上の価値があり、そこで暮らす莫大な生物多様性や沿岸地域への恩恵を犠牲にしてまで得るべき利点ではありません。
筆頭著者のレスター・クフィアトコウスキー氏(ソルボンヌ大学)は「大気中のCO₂に限れば利点に見えるかもしれませんが、生態系が被る損失は計り知れません」と指摘しています(コメントは筆者訳)。
一方、今回の研究には気候変動の専門家からも注目が集まっています。
本研究に関与していないスイス・ETHチューリヒ(スイス連邦工科大学)の生物地球化学者イェンス・ダニエル・ミューラー氏は、「しばしば気候システムでは、プロセスが不安定化を招く正のフィードバックに注目が集まりますが、これは気候を安定化させるフィードバックであり非常に興味深い」と評価しています。
その上でミューラー氏は、「だからといって、この現象を理由に人間が温室効果ガスの排出削減を怠ってよいことにはなりません」とも強調し、今回の結果を気候変動対策の楽観材料と誤解すべきでないと警告しています。
では、この知見を我々はどのように活かすべきでしょうか。
研究者らはまず、気候モデルや将来予測にサンゴ礁消失によるCO₂吸収フィードバックを組み込むことで、より精緻な炭素収支の評価が可能になると述べています。
たとえば産業革命以降に人類が排出できるCO₂の「残り予算(カーボンバジェット)」試算も、サンゴ礁の劣化を考慮すれば若干ながら上方修正される可能性があります。
言い換えれば、将来サンゴ礁が大規模に失われてしまった場合、気候変動の進行はわずかに減速し、人類が「ネットゼロ」(排出量実質ゼロ)を達成しやすくなる方向に働くかもしれないということです。
もっともこの「利点」は、気候変動への十分な対策が取られず最悪の事態に陥った場合に得られる皮肉な副産物にすぎず、積極的に望ましいものではありません。
むしろサンゴ礁が健全に存続できるよう温暖化ガス排出を削減し、海洋環境を保護することが、人類と地球全体にとって最善の道であることに変わりはないと研究者らは強調しています。
元論文
Declining coral calcification to enhance twenty-first-century ocean carbon uptake by gigatonnes
https://doi.org/10.1073/pnas.2501562122
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部