ケガで裂けたタコの腕が再生して“9本目”になり、次第に通常通り使われるようになった——そんな驚きの観察結果が報告されました。
スペイン・イビサ島本島の浅い入り江で見つかった1匹のマダコは、捕食者との遭遇で失った腕の一つの先端部が二股に枝分かれして再生し、合計9本の腕を持つことになりました。
スペイン国立研究会議(CSIC)の研究チームがこのタコを数か月にわたり見守ったところ、新しい腕は当初こそ控えめに使われていましたが、やがて当初の限定的な使い方が減り、他の腕と同等レベルで活躍する場面が増えました。
人間ならば3本目の腕があっても、元の腕と同等レベルに使いこなすことは困難でしょう。
果たしてこの追加された腕はいかにして慎重派から冒険家へと変貌を遂げたのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年04月3日に『Animals』にて発表されました。
目次
- “もう一本”増えたらタコは混乱するのか
- 裂けた腕が“第9の意志”に変わる瞬間
- 再生医療とロボット工学に湧く“タコ式ハック”
“もう一本”増えたらタコは混乱するのか

タコは腕を失っても再生できる優れた再生能力を持つことで知られています。
ときには再生の過程で腕の先端が分かれて一本の腕が二本に枝分かれする「二股の腕」の例も報告されています。
ふつうタコが腕を失うと、切り口(断面)の細胞がまずかさぶた状に閉じ、その下で組織が少しずつ盛り上がり、数週間から数か月かけて“子どもの腕”のような短い突起が現れ、そこから本来の長さへゆっくり伸びていきます。
いわば切り株から新芽が伸びるイメージです。
ところが「二股の腕」と呼ばれる再生はまったく別のプロセスで、最初にできた再生芽の先端が途中で分かれてしまい、1本だったはずの腕がY字に二つに裂けて成長します。
見た目は枝分かれした木の枝に近く、根元は1本なのに先端だけが2本に増えるため、タコ全体としては9本、場合によっては10本以上の腕を持つ状態になります。
しかしこうした分岐型の再生が生きた状態で観察されることは極めてまれで、追加の腕がタコの行動にどんな影響を与えるかはほとんど分かっていません。
あえて人間で例えれば、左腕が傷つくと、傷ついた部分から新たな腕がはえてきて、先端が2本になる状態と言えるでしょう。
元となる左腕はそのままなので、実質的に腕の本数は1本多い3本となります。
さらにタコの場合、神経構造がこの問題をさらに複雑にしています。
タコの全身には約4.5〜5億個のニューロン(神経細胞)があり、その実に3分の2以上が腕や胴体側に集中しています。
つまりタコの腕は脳に頼らずとも自律的に情報処理し動くことができ、極端に言えば「8つの小さな脳」が腕それぞれにあるようなものなのです。
こうした分散制御の仕組みによって、もし腕が一本増えた場合でもタコはそれを巧みに動かせるのか?それとも制御が追いつかず不自由さが生じるのか?
そういった疑問があったのです。
そこで今回、この疑問に答えるため、研究チームは野外で偶然見つかった“9本腕”のタコを詳細に調べることにしました。
裂けた腕が“第9の意志”に変わる瞬間

研究対象となったマダコ(Octopus vulgaris)の写真では、負傷した前方右腕の先端が再生過程で二股に裂け、結果として合計9本の腕が確認されました。
このタコはスペイン・イビサ島本島の浅い入り江で発見され、2022年に約5か月間にわたって野生下で観察されました。
研究者たちはスキューバダイビングなどによる水中映像記録(市民科学の協力も含む)を解析し、このタコの日常行動と腕の使い方を継続的に追跡しました。
観察の当初、新しく二股に分かれた2本の腕(“9本目”にあたる部分の腕)はもっぱら体の下で行うUnder-web動作やごく近距離での操作に使われていました。
例えば当初は体の下で支えたり物を操作する Under Web 動作が大半でした。
しかしやがてタコが成長し慣れてくると、これらの新しい腕はエサ探しや周囲の探索、さらには獲物に飛びかかるといったリスクの高い行動にも積極的に参加し始めたことが映像解析から分かりました。
具体的には、捕食者による攻撃で複数の腕を失っていたタコにおいて、そのうちの1本(R1)が二股に分かれてR1aとR1bという2本の新しい腕になったのです。
両方の腕は時間とともに成長し、R1aは主にエサを食べる際(捕食行動)に、R1bは探索行動の際にと、それぞれ役割を分けて使われていました。
実際、観察によってR1aが獲物を捕らえて口元に運ぶのによく使われ、R1bは巣穴の偵察や周囲の様子を探る動きに使われる場面が多く記録されました。
このように左右の腕や各腕ごとに動作の分担が見られたことは、タコの運動神経系のもつ驚くべき柔軟性(運動可塑性)を示すものだと研究者らは指摘しています。
また、リスクの高い状況では負傷歴のある腕をあまり使わなくなるという興味深い傾向も観察されました。
例えば外敵に襲われそうになったり、硬い殻を持つ獲物と格闘したりする場面では、このタコは以前ケガを負った腕(再生した腕を含む)を使う頻度を抑え、安全行動での使用を増やしていました。
研究チームはこれを「痛みの記憶」や学習効果による無意識の防御反応ではないかと考察しています。
言い換えれば、過去のケガの経験がタコの行動選択に影響を与え、危険な場面では再生腕を守ろうとする慎重さにつながっている可能性があるということです。
この長期観察の結果、二股に分かれた腕は最終的に追加の腕として日常行動に組み込まれましたが、R1aとR1bの「捕食寄り」「探索寄り」という役割差は最後まで残りました。
こうした再生腕の適応的な使いこなしが野生環境で詳細に記録・分析されたのは世界でも初めてのことだったと研究者たちは強調しています。
再生医療とロボット工学に湧く“タコ式ハック”

タコの腕が「勝手に動く」ように見えることは、実はその神経構造に由来します。
先述のとおりタコは脳以外にも大量のニューロンが腕に存在し、各腕が独自の“判断”で動きを制御することができます。
このため、腕は必ずしも脳からの命令を待たずに反射的・自主的に動く場合があり、それが人間には「腕が意思を持っている」ように映るのです。
実際、タコの腕は切り離された後もしばらく動き続けることがあり、襲ってきた捕食者の気をそらす「デコイ(囮)」の役割を果たすことも知られています。
今回の観察でも、新しく二股に分かれた腕は脳の指令を待たず腕が自主的に動くタコ特有の挙動が見られました。
しかし時間の経過とともに、タコの中枢神経と腕の末梢神経系がうまく情報をやり取りし始め、追加の腕も含めた9本の腕全体で協調した動きができるようになったと考えられます。
また研究では2本に分かれたうち1本(R1a)は捕食動作、もう1本(R1b)は探索動作を多く担うなど、腕ごとの“個性”とも言える使い分けが確認されています。
タコ類ではエサ捕獲時に特定の腕を優先する「利き腕」傾向が報告されますが、本個体はそれが極端な形で現れた例と言えるでしょう。
少なくともタコの運動神経系が柔軟に再構成され、各腕の役割分担を最適化したことは確かです。
この発見はタコの生態だけでなく、再生医療やロボット工学への応用という点でも注目されています。
タコが損傷から回復し新たな腕を神経系に統合する仕組みを解明すれば、動物や人間の神経再生・義手制御の研究に新たな手がかりを与える可能性があります。
ロボット工学でも、タコの腕のように柔軟で自律的に動くアーム設計に今回の知見が役立つと期待されています。
研究者らは「タコが腕の使い方を機能的に再編成した事実は、複雑な神経メカニズムの存在を示唆し、再生医療やロボット工学に新たな応用の可能性をもたらす」と述べています。
なお本研究は単一個体の長期観察に基づくため、一般化には追加のデータが必要です。
それでも、傷ついた腕を再生し使いこなすタコの適応力は、海洋生物の秘めた能力と医学・工学へのアイデアを同時に提示してくれます。
元論文
The Persistence of Memory: Behavioral Analysis and Arm Usage of a Nine-Armed Octopus vulgaris
https://doi.org/10.3390/ani15071034
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部