お赤飯やあんこの主役として親しまれている赤い小豆(アズキ)。
実はこの小さな豆には、日本で誕生した歴史が隠されていました。
日本の農業・食品産業技術総合研究機構で行われた最新の大規模ゲノム解析により、アズキは縄文時代の日本で栽培化が始まり、そこで赤く大きな豆へと改良されたあと、中国大陸へと伝わっていったことが明らかになったのです。
従来は他の作物と同様に「中国から伝わった」と考えられていただけに、この発見は私たちの常識を覆す驚きの結果となりました。
研究内容の詳細は2025年05月29日に『Science』にて発表されました。
目次
- 大陸説vs日本説 決着のカギはDNA
- アズキの起源は日本にアリ
- 考古学×遺伝学が塗り替える農業史
大陸説vs日本説 決着のカギはDNA

アズキは日本の和菓子やお赤飯に欠かせない食材ですが、その起源については長年議論がありました。
お米や麦など多くの作物は弥生時代以降に大陸から日本に伝来したとされており、アズキも同じく中国原産だと考えられていたのです。
一般的に植物の遺伝的多様性(DNAのバリエーション)は起源地で最も高くなる傾向があり、過去のDNA解析では中国南部の栽培アズキの多様性が日本のものより高いことが報告されていました。
このため「アズキ大陸起源説」が有力視されていたのです。
しかし近年、日本国内の縄文時代の遺跡から大量のアズキの種子が出土しました。
特に約6000~4000年前(縄文時代後期)の日本の遺跡から見つかった種子は、同時期の中国や韓国の遺跡から出土したアズキよりもひと回り大きかったのです。
作物は人に栽培される過程で種子が大きくなる傾向があるため、これは「アズキ日本起源説」を支持する発見だとして注目されました。
とはいえ、種子の大きさは環境にも左右されやすく、この証拠だけでは決定打に欠けていました。
アズキが本当に日本で最初に栽培化されたのか、科学的に証明することが求められていたのです。
そこで登場したのがゲノム解析です。
農研機構(国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構)と台湾大学の共同研究グループは、アズキの起源を突き止めるため大規模なDNA分析に挑みました。
研究チームはアジア各地から集めた栽培アズキおよび野生のヤブツルアズキ(アズキの原種)合計693系統もの試料を網羅的に集め、全ゲノム(生物の全遺伝情報)の配列を比較したのです。
これは前例のない詳細な分析で、まさにアズキ版「ルーツ探し」とも言える壮大なプロジェクトでした。
アズキの起源は日本にアリ
研究チームはまず核DNA(細胞の核にあるDNA)と葉緑体DNA(植物が光合成を行う器官で母親から受け継がれるDNA)の両方を解析しました。
その結果、核ゲノムについては従来の通説どおり「中国南部の栽培アズキが最も多様性が高い」ことが確認され、一見すると大陸起源説を裏付けるように見えました。
ところが、葉緑体のDNAを調べてみると驚きの事実が判明します。
なんと日本、中国、ネパール、ブータンなど アジア各地で調べた栽培アズキ の葉緑体DNAは、すべて日本産の野生アズキと同じ型であり、中国の野生種とは明確に異なっていたのです。
調査範囲の栽培アズキが例外なく日本の野生型の葉緑体を持つということは、栽培化されたアズキの母親(起源)が日本にあることを強力に示す証拠です。
では、なぜ核ゲノムでは中国起源のように見えたのでしょうか。
その謎を解くため、研究グループは核DNAの配列をさらに詳しく分析しました。
すると、中国の栽培アズキの遺伝的多様性が高い理由は、中国に渡ったアズキが現地の野生種と交雑(交配)していたためだと考えられることがわかりました。
すなわち、アズキは日本で野生種から栽培化(domestication)され、その後に中国へ伝わったものの、そこで中国の野生アズキと交雑して遺伝的に多様化したというシナリオです。
この一連の結果は、日本起源説を支持する近年の考古学的知見とも見事に合致し、長年の論争に決着をつけるものとなりました。
研究チームは「今回の成果は考古学の最新研究とも一致しており、詳細なゲノム解析で作物進化の謎を解き明かした好例です」とコメントしています。

さらに研究チームは、「アズキの栽培化がいつ頃始まったのか?」という疑問にも挑戦しました。
カギを握ったのはアズキの赤い種皮です。
野生のヤブツルアズキの種子は黒っぽい色をしていますが、私たちが食べている栽培アズキの種皮は鮮やかな赤色をしています。
実はこの種皮の赤い背景色はVaANR1、黒い斑点を消す働きは VaPAP1 という 二つの遺伝子が組み合わさって生まれます。
このダブル変異によって、現在の「均一に赤いアズキ」が完成したと分かりました。
ところが、この赤い種皮への変化は自然界では一長一短でした。
色素が変化したことで種皮の透水性(硬さや水の通しやすさ)にも影響が生じ、野生環境では発芽や生存に不利になる可能性があったのです。
それでも赤い豆が生き残った背景には、人間の存在がありました。
赤い種皮型は水を通しやすい傾向があり、発芽が揃いやすくなる可能性が示唆されています。
(※何より人間にとって見た目が魅力的だった点もあるでしょう)
こうした理由から、人々は好んで赤いアズキを選んで栽培し続けたと考えられます。
この仮説を裏付けるため、研究者たちは多数のアズキ試料のゲノムデータを使い、過去に遡って赤い種皮を持つ遺伝子(変異型ANR1)の頻度(割合)の変化を推定しました。
その結果、赤い種子を生む VaANR1 という変異は約1万3000年前(±5000年)から少しずつ増え始めており、約3000〜5000年前(縄文後期) に日本で本格的にアズキが作物として育てられるようになったことがわかりました。
(※アズキは1年草なので1万世代でおよそ1万年と換算できます)
つまり、初期の「弱い選抜」と後の「栽培化」は別の段階として考える必要があったのです。
実際、栽培アズキ集団における赤い種の割合はその頃から増加をスタートし、現代ではほとんどが赤いアズキになっています。
さらにこの結果は、縄文人たちの農業の歴史においても重要な意味があります。
日本で稲作が始まったのは今から約3000年前と考えられており、一方でアズキ栽培が3000~5000年前ということは、日本では稲作が始まるよりも以前からアズキ栽培が行われていた可能性が出てくるからです。
加えてサヤが自然にはじけにくくなる VaMYB26 変異も同時期に増加しており、収穫効率の向上に一役買ったと解析されています。
まさに日本の縄文時代に「赤い豆の奇跡」が起きていたといえるでしょう。
考古学×遺伝学が塗り替える農業史

今回のゲノム解析によって、アズキの起源に関する長年の謎が解明されました。
従来定説だった「大陸から伝わった作物」というイメージは覆り、アズキはれっきとした「日本生まれの作物」である可能性が極めて高くなったのです。
この発見は、日本の縄文時代の人々が想像以上に植物の栽培・改良を行っていたことを示唆しています。
縄文人は狩猟採集だけでなく、小さな赤い豆をコツコツ育て上げていたのかもしれない──そう考えると、私たちが普段食べている餡子やお赤飯にも歴史を感じずにはいられません。
また、本研究は考古学と遺伝学の橋渡しとなる成果でもあります。
考古学者たちが提示していた「縄文時代の日本でアズキが栽培化された可能性」という仮説に対し、ゲノムデータという異なるアプローチから強力な裏付けが得られました。
このように異分野の知見が合流することで、過去の人類と作物の関わりに新たな光が当てられています。
研究の応用面にも注目です。
今回の研究では700近いアズキやその野生種のゲノム情報が得られましたが、これは今後の品種改良や農業研究にとって貴重な財産になります。
例えば野生アズキが持つ多様な遺伝子の中には、耐寒性や耐塩性、病害虫抵抗性など有用な形質が眠れている可能性があります。
作物の起源地や進化の歴史を解き明かすことは、現在利用されていない遺伝資源(遺伝子)の活用につながるのです。
研究チームも「アズキで得られた知見は他の作物にも応用でき、未活用の有用遺伝子の活用が進むことが期待される」と述べています。
今回明らかになったアズキの「日本生まれ」の物語は、過去を解明するだけでなく、未来の農業と食卓にも新たな可能性をもたらしてくれるでしょう。
参考文献
アズキの栽培化が日本で始まったことをゲノム解析で明らかに
https://www.naro.go.jp/publicity_report/press/laboratory/ngrc/169242.html
元論文
A single domestication origin of adzuki bean in Japan and the evolution of domestication genes
https://doi.org/10.1126/science.ads2871
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部