人は感情を顔に映す生き物です。
嬉しければ笑い、悲しければ泣く。
そんな当たり前の感情表現ができなくなるとしたら、どうでしょうか?
「笑いたいのに笑顔が作れない」「泣きたいのに顔が動かない」
そうした症状を抱える非常にまれな先天性の神経疾患、それが「メビウス症候群(Moebius syndrome)」です。
メビウス症候群はどのような仕組みで起こるのでしょうか?
また治療は可能なのでしょうか?
目次
- メビウス症候群はどんな病気?
- メビウス症候群が起きる「原因」とは何なのか?
メビウス症候群はどんな病気?
この稀な疾患は、1888年にドイツの神経学者パウル・メビウスによって初めて報告されました。
メビウス症候群の最も顕著な特徴は「顔が動かないこと」です。
もっと正確に言えば、顔の表情を作る筋肉や、目を左右に動かす筋肉が機能しないという症状です。
医学的には、外転神経(第6脳神経)と顔面神経(第7脳神経)の欠如や発達不全が主な原因とされており、これにより表情筋や眼球運動筋が麻痺状態に陥ります。

たとえば、メビウス症候群の乳児は泣いていても顔に表情が現れず、筋肉が緩むことで斜視やよだれが多いなどの特徴が見られます。
物を目で追うときには、視線を動かせないために首ごと動かして追視するといった行動が現れます。
また、吸う力や飲み込む力が弱く、授乳に困難を伴うケースも多く報告されています。
成長しても、表情が乏しいために他人から「感情がない」「無愛想」だと誤解されがちです。
しかし知的発達に遅れがあるわけではなく、感情は内面にしっかりと存在しています。
ただ、それを「顔」で伝えることができないだけなのです。
症状の程度は個人差があり、一部の患者では顎が小さい、舌が短い、聴力障害、手足の奇形(合指症や内反足など)も併発することがあります。
また、運動発達の遅れがみられることもありますが、多くは成長とともに改善します。
過去には自閉スペクトラム症(ASD)との関連が指摘されたこともありますが、現在では誤診の可能性が高いと考えられています。
これは表情が出ないことや発語の遅れが、対人関係の困難として誤認された結果だと推察されています。
メビウス症候群が起きる「原因」とは何なのか?
では、なぜこのような神経異常が起こるのでしょうか?
実は、メビウス症候群の正確な原因はいまだ解明されていません。
多くのケースは「散発的」、つまり家族にも病歴のない偶発的な発症であり、遺伝的な関連は少ないと考えられています。
一部の研究では、胎児期の脳幹への血流障害が原因である可能性が示唆されています。
脳の発達初期に必要な酸素や栄養が十分に届かなかったことで、神経の発達に支障が出たのではないかという仮説です。
また、妊娠中の特定の薬物や化学物質の曝露もリスク因子として指摘されています。
具体的には、アルコール、コカイン、ベンゾジアゼピン系薬剤、免疫抑制剤サリドマイド、そして片頭痛治療薬エルゴタミンなどが挙げられます。
遺伝子の変異もわずかに関連しており、PLXND1やREV3Lといった胎児期の脳の形成やDNA修復に関わる遺伝子の異常が一部の症例で確認されています。

治療法については、今のところ根本的な治療は存在しません。
しかし患者の症状に合わせた対症療法が多くの場面で効果を上げています。
たとえば、顔面の筋肉の動きを回復させるために、他の部位からの神経や筋肉の移植手術が行われることがあります。
これにより、まばたき、笑顔、咀嚼などの機能がある程度回復する場合もあります。
幼児期には、摂食障害に対応するために経管栄養チューブを使うこともあり、目が乾きやすいことに対しては点眼薬やサングラスでの保護が推奨されます。
さらに斜視を矯正する手術や言語療法、理学療法、義肢・装具の使用など、多分野にわたるリハビリや支援が患者の生活の質(QOL)を大きく改善しています。
また日本ではこの病気は「指定難病」に認定されており、医療費の助成を含めた公的支援を受けることが可能です。
参考文献
Moebius syndrome: The rare condition that makes people unable to smile
https://www.livescience.com/health/moebius-syndrome-the-rare-condition-that-makes-people-unable-to-smile
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部