ドイツのケルン大学(UoC)で行われた研究によって、既存の2種類の薬を組み合わせて与えるだけで、実験マウスの寿命が約30%伸び、しかも高齢期の健康状態まで向上する――そんな研究結果が報告されました。
使用されたのは臓器移植後の免疫抑制に広く用いられるラパマイシンとメラノーマ治療薬トラメチニブという2種類の薬剤で、老化そのものに薬で介入できる可能性を示す成果として注目されています。
研究者たちは「“栄養たっぷり、成長せよ”という細胞への号令」を伝える経路の2か所を同時に絞り、細胞の暴走にブレーキをかけた点がポイントだとしています。
この戦略によって老化のペースが緩み、マウスで寿命と健康寿命の両方が大きく伸びたのです。
この“抗老化カクテル”は、ヒトの健康寿命を塗り替える切り札となり得るのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年5月28日に『Nature Aging』にて発表されました。
目次
- 老化を進める「栄養シグナル網」とは何か?
- マウスが“+30%”長生きした決定打はたった2錠
- ヒトでも効く? 次の壁は副作用と用量設計
老化を進める「栄養シグナル網」とは何か?

生物が老いていくスピードには、「栄養や成長のシグナル」が深く関わっています。
例えば充分な食べ物がある環境では、体内の細胞は「栄養豊富だからどんどん成長・繁殖せよ!」という信号を受け取ります。
この信号系はインスリンや成長因子、さらにはmTORやRas–MEK–ERKといった分子経路から成り、「栄養センサー&成長スイッチ」のネットワークを構成しています。
若い頃は成長シグナルが重要ですが、加齢に伴い過剰な成長モードが持続すると細胞にダメージが蓄積し、老化やがんのリスクを高めることが分かってきました。
このため近年の老化研究では、栄養・成長シグナルを適度に抑制して“細胞のメンテナンスモード”を促すと寿命が延びる現象が数多く報告されています。
実際、インスリンやmTOR経路を遺伝的あるいは薬理的に弱めると、酵母・線虫・ハエ・マウスなど幅広い生物種で寿命延長効果が確認されています。
ラパマイシンは、こうした老化研究でたびたび脚光を浴びてきた代表的な薬剤で、mTORC1というタンパク質の働きを阻害することで細胞の成長シグナルを遮断し、モデル動物の寿命を延ばす効果が知られています。
マウスにラパマイシンを与える実験では、オス・メスともに寿命が15~20%ほど延びたとの報告があります。
一方、トラメチニブは MEK1/2 を阻害して ERK 活性を低下させる抗がん剤です。
この薬はもともと皮膚がんの一種(メラノーマ)の治療薬ですが、ショウジョウバエの実験で寿命延長効果を示すことが報告され、老化抑制薬(ジェロプロテクター)となり得る候補として注目されていました。
ただしマウスなど哺乳類でトラメチニブが寿命に影響を与えるかは未検証だったため、今回の研究ではラパマイシンとトラメチニブを併用したら加算的効果(足し算)が得られるかを検証することが最大の目的となりました。
特に両薬剤が作用する経路は互いに密接に関連しており、同時に2か所を抑えることで「片方だけ抑えても別ルートで補われてしまう」という代償反応を封じ込め、老化抑制効果を高められる可能性があります。
実際、ショウジョウバエの研究ではラパマイシン+トラメチニブにリチウムを加えた“三種の抗老化カクテル”によって、ハエの寿命が48%も延びたとの報告もあり、複数の経路をまとめて狙い撃ちするアプローチの有効性が示唆されていました。
マウスが“+30%”長生きした決定打はたった2錠

研究チームはマウス雌100匹・雄120匹規模(×4群で総計880匹)の大規模コホートを用意し、出生後6か月齢(人間に換算するとヒトの30歳前後の成人に相当)の時点からエサに薬剤を混ぜて投与し始めました。
投与群は(1) ラパマイシン単独、(2) トラメチニブ単独、(3) ラパマイシン+トラメチニブ併用の3条件で、さらに(4) 薬剤を入れない対照群と比較することで効果を検証しました。
マウスは加齢に伴う健康状態の変化についても経時的にモニターされ、寿命が尽きるまで長期の追跡が行われました。
この2種類の薬を組み合わせて投与することで、細胞内の2つの成長スイッチに同時にブレーキをかけ、老化現象を抑え込む狙いがあります。
実際、本研究ではこの「薬剤カクテル」の投与によってマウスの中央値寿命が約30%延び、さらに健康面の指標も軒並み改善することが確認されました。
ラパマイシン単独では中央値寿命が雌で約17%、雄で約17%延び、トラメチニブ単剤では雌で約7%、雄で約10%の寿命延長効果が見られました。
そして両者を併用したマウスでは、寿命延長効果がほぼ加算的(足し算)に増大し、対照群と比べて中央値寿命が約30%長くなったのです。
具体的にはメスで+約35%、オスで+約27%という劇的な延長幅で、老化研究の文脈では「異例」と言えるほど大きな効果が得られました。
さらに注目すべきは、単に寿命が伸びただけでなく高齢期の健康状態が大きく改善された点です。
併用治療を受けたマウスでは慢性的な炎症が全身の組織(脳・腎臓・脾臓・筋肉など)で顕著に抑制され、血中の炎症性サイトカイン(免疫シグナル物質)のレベルも低下していました。
また肝臓ではオス・メスとも腫瘍発生が遅れ、脾臓では雄のみでしたが有意な減少が認められました。
加えて、脳では高齢になると過剰になるグルコース取り込みが、併用群で抑えられました。
他にも高齢期の心機能低下が遅れるといった変化もみられました。
さらにラパマイシン単剤および併用群では体重が低めに保たれた、活動的に動き回る、といった全身の若々しさ維持につながる変化も観察されています。
要するにこの薬剤カクテルは、寿命と「健康寿命」を同時に押し上げたことになります。
ヒトでも効く? 次の壁は副作用と用量設計

では、なぜ2つの経路を同時に抑えるとこれほど老化を抑制できたのでしょうか?
著者らはそのメカニズムの手がかりとして、併用投与したマウスの遺伝子発現パターンを詳細に解析しました。
その結果、併用治療だからこそ現れる特有の変化が各組織で見られたといいます。
単剤投与では現れなかった発現量が大きく変化する遺伝子が数多く検出され、老化や代謝に関わる経路の調節が一層強力かつ広範囲に及んでいたことが示唆されました。
これは「効果が倍量になるだけの単純な足し算ではなく、質的に新しい作用が加わった可能性がある」ことを意味します。
さらに重要な点として、2剤併用によるラパマイシン既知の副作用(肝脂肪変性・高血糖など)は残存したが、新たな毒性は加わらなかったことも報告されています。
通常、薬を複数使えば副作用リスクも増す懸念がありますが、適切な用量設定のもとでは少なくともマウスでは有害な影響が増えなかったのです。
今回の成果は、既存の医薬品を用いて老化そのものを制御しようとする戦略の可能性を示しました。
ただしマウスで見られた「寿命30%延長」という劇的効果が、そのまま人間にも再現できるとは限らないと研究チームは強調しています。
共著者のリンダ・パートリッジ教授は「ヒトでマウスと同じ寿命延長が得られるとは期待していません。むしろ今回調べた薬によって、高齢期をより健康に過ごせるようになることを望んでいます」とコメントしています。
ラパマイシンおよびトラメチニブはいずれもすでにヒトに承認・使用されている薬剤のため、その意味では臨床応用へのハードルは全くの新薬と比較して低いと言えるでしょう。
実際、研究グループは今後トラメチニブの最適な投与量や投与経路を検討し、人で副作用を最小限に抑えつつ効果を最大化する方法を探る計画です。
筆頭著者のセバスチャン・グレンケ博士は「トラメチニブ、とりわけラパマイシンとの組み合わせは、老化防止薬(ジェロプロテクター)として臨床試験で試す有望な候補です。
我々の結果が今後他の研究者によって引き継がれ、人間で試験されることを望んでいます」と述べています。
安全性や効果を慎重に見極める時間は必要ですが、将来的にはこのような「抗老化カクテル」によって人間の健康寿命を延ばすことも夢ではなくなるかもしれません。
今回のマウス実験の成功は、“老化という壁”に挑む医療研究において大きなマイルストーンと言えるでしょう。
元論文
The geroprotectors trametinib and rapamycin combine additively to extend mouse healthspan and lifespan
https://doi.org/10.1038/s43587-025-00876-4
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部