「親がどんな人かで人生が大きく変わる」と感じている人は少なくありません。
虐待されていたわけではない、でも決して健全とは言えない親子の関係。
そうした“言葉にならない違和感”の正体に光を当てたのが、米国の心理学者であるマーガレット・ラザフォード氏です。
彼女は親子間の距離感が近すぎて心理的境界が失われた関係「エンメッシュメント(enmeshment)」について解説し、そこに潜む心理的リスクを明らかにしました。
本記事ではこの概念を中心に、なぜ一見仲の良い親子関係が問題を生みうるのか、そしてどう対処すればよいのかを紐解いていきます。
目次
- 心理的な距離が近すぎる「エンメッシュメント」とは何か?
- 親子の距離が近すぎる!不健全な状態から脱するには?
心理的な距離が近すぎる「エンメッシュメント」とは何か?
「エンメッシュメント(enmeshment)」とは、特定の人間関係において心理的な境界が曖昧になり、お互いの感情やニーズが過剰に交錯してしまう状態を指します。
家族、夫婦、恋人、友人、職場の上司部下など、さまざまな関係においても見られる現象です。
特に親子間では、親が子どもに対して自分の感情的ニーズを満たそうと過度に関与し、子どもがその役割を担うというかたちで現れます。
その中には、子どもが親の期待や気持ちを過剰に察して“いい子”を演じるようになる場合もあります。
さらに、親が子どもの選択に過剰に干渉し、子どもが自由を感じられなくなることもあります。

たとえば、ある親は「あなたは私のすべて」「あなたなしでは生きていけない」といった言葉を繰り返し伝えます。
そのような家庭では、子どもは次第に自分のニーズや感情を後回しにして“親の心の世話役”を引き受けるようになるのです。
このような親子関係は、一見すると仲の良い家族のようにも見えます。
ですが、実際には子どもの心理的自立を阻み、自我の形成を遅らせる可能性が高いのです。
エンメッシュメントは、明確な虐待行為ではないため見過ごされがちです。
しかし、「親の気分を害さないようにいつも顔色をうかがっている」「自分の進路や趣味を親に合わせて選んでしまう」といった経験がある人は、知らず知らずのうちにこの状態に巻き込まれている可能性があります。
では、なぜこのような関係が生まれてしまうのでしょうか?
ラザフォード氏によれば、多くの親は意図的にではなく、無意識にこのような関係性を築いてしまいます。
親自身が感情的な満たされない状態や孤独、自己価値の低さに苦しんでいるとき、その空白を子どもによって埋めようとすることがあるのです。
「あなたがそばにいてくれれば私は安心」「あなただけが私の希望」といった言葉の裏には、親自身が大人として処理すべき感情を子どもに託してしまう構造があります。
子どもにとって親は世界の中心であり、その親が喜ぶなら、どんな自分でも演じようとします。
その結果、子どもは「親を支える存在」であることを無意識に刷り込まれ、自分の本当の感情や欲求を押し殺してしまうでしょう。
では、そんな親の元で育った子供には、具体的にどんな影響が及ぶのでしょうか。
親子の距離が近すぎる!不健全な状態から脱するには?

親子のエンメッシュメントが続くと、子どもにはさまざまな心理的な影響が現れます。
まず顕著なのが、罪悪感の強さです。
たとえば、子どもが自分の進学や就職、結婚などの選択をしようとしたとき、「こんなことをしたら親が悲しむかも」「親を裏切る気がする」といった強い罪悪感に苛まれるケースがあります。
この感情は、子どもが本来の自分を生きることへの大きなブレーキになります。
さらに、成人後の対人関係にも影響します。
親との間で境界が築けなかった人は、他人との距離感をうまく保てず、必要以上に相手に合わせてしまったり、逆に人間関係に疲れて孤立したりする傾向があります。
また、自分の感情がわからない、自分に価値があると感じられない、といった自己否定感やアイデンティティの不明瞭さも問題になります。
発達心理学では「分離-個体化」のプロセスが重要視されており、健全な親子関係とは、情緒的な結びつきと心理的な独立性が両立している状態だとされます。
それができていない関係は、当然ながら健全だとは言えません。
虐待ではないかもしれません。
でも健全な状態でもないのです。

では、こうした状態から抜け出すにはどうしたらよいのでしょうか?
ラザフォード氏は、まず親と子の関係に潜む構造的な問題に気づくことが大切だと述べています。
多くの親は自らの行動が過干渉であることに無自覚であり、しかしそれに気づいたときには、子どもの幸福のために一歩引くという選択が可能になります。
同様に、子ども側もその密接すぎる関係性から一時的に距離を置くことで、自分自身を見つめ直す機会を得ることができます。
このように、これまでのパターンを変えることは可能ですが、最初のうちは違和感や孤独感を伴うかもしれません。
今までになかった「距離」が生まれることで、親も子も不安を感じることがあります。
でもそんなときは、親子以外の関係に目を向けることができます。
親であれば、子どもへの過度な依存を手放し、代わりに他の信頼できる人間関係を築くことが大切です。
子どもの側も、自分自身のアイデンティティを育て、健全で支え合える関係性を築くことが求められるのです。
親は自身の孤独や不満に向き合いながら、子どもに「自由という贈り物」を手渡すことができます。
子どもはその自由のなかで、自分の力を発見し、親の愛情が支えとして存在していることを実感できるようになります。
こうした変化は時間を必要としますが、それは親子双方にとってより健全な関係への道なのです。
親との関係は人生の土台となる大切なものです。
だからこそ、そこに違和感がある場合には、問題点に気づき、見つめ直す勇気が必要です。
たとえ今、あなたがどんな親子関係の中にいたとしても、自分の心に正直になることで、未来は必ず変えていけます。
「距離をとること」は、愛を失うことではありません。むしろ、それは愛し方の正しい在り方なのです。
参考文献
When Close Is Too Close Between Parent and Child
https://www.psychologytoday.com/us/blog/perfectly-hidden-depression/202505/when-close-is-too-close-between-parent-and-child
ライター
矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。
編集者
ナゾロジー 編集部