毎日「8時間」の睡眠が健康に良い──そんな定説があります。
しかし世界を見渡せば、日本人の平均睡眠時間は6時間台と短いのに長寿を誇るなど、国や文化によって睡眠時間は大きく異なります。
カナダのブリティッシュコロンビア大学(UBC)で行われた研究によって、健康に最適な睡眠時間も文化ごとに異なる可能性が示されました。
研究チームが20か国を比較調査した結果、自分の文化圏で「適切」とされる睡眠時間に近いほど健康状態が良好になる傾向が確認されたのです。
あなたの睡眠時間は、果たして自分の文化圏にフィットしているでしょうか?
研究内容の詳細は 2025 年 5月 6日 に『PNAS』にて発表されました。
目次
- なぜ日本は短眠でも長寿? 定説を揺さぶった疑問から研究は始まった
- 世界比較で見えた“文化別ベスト睡眠”
- “8時間の呪縛”を解け:睡眠ガイドラインはローカルメイドへ
なぜ日本は短眠でも長寿? 定説を揺さぶった疑問から研究は始まった

睡眠の「必要時間」は長らく人類共通の生理的なものと考えられてきました。
成人なら7~8時間程度の睡眠が理想とされ、慢性的な短時間睡眠はさまざまな健康リスク(肥満や心疾患、メンタル不調など)を高めることも多くの研究で示唆されています。
たしかに睡眠時間が極端に短すぎると健康を損なうことは事実でしょう。
一方で世界に目を向けると、人々の平均睡眠時間には国ごとに大きな差があります。
例えば日本人の平均睡眠時間は約6時間18分と諸外国より短く、フランスでは7時間52分と大幅に長く、両国の間には90分以上もの開きがあります。
それにもかかわらず、日本は世界有数の長寿国として知られています(2023年のWHO統計では平均寿命84.3歳で世界一)。
この事実は「睡眠時間が短い国では人々の健康状態も悪いのか?」「それとも必要な睡眠時間は国民性や文化によって違うのか?」という疑問を投げかけます。
この疑問に答えるため、カナダ・ブリティッシュコロンビア大学(UBC)のスティーブン・ハイン(Steven J. Heine)教授らの研究チームは、「文化によって最適な睡眠時間が異なる可能性」を念頭に国際比較研究を行いました。
社会文化心理学者であるハイン教授と、主著者のクリスティン・ウー(Christine Ou)氏(ビクトリア大学看護学部)らは、世界20か国を対象に2つの調査研究を実施し、文化ごとの睡眠パターンと健康との関係を詳しく検証したのです。
研究のねらいは、平均睡眠時間が短い国の人々は本当に不健康なのか、そして各文化圏で「理想」とされる睡眠時間が健康にどう影響するのかを明らかにすることでした。
世界比較で見えた“文化別ベスト睡眠”

1.国別平均睡眠時間と健康指標の比較 –
研究チームはまず、過去に報告された国際調査から71か国の平均睡眠時間データを収集し、各国の健康統計(心疾患や糖尿病の有病率、平均寿命、肥満率など)との関連を分析しました。
所得水準や栄養状態といった健康に影響しうる要因も考慮に入れて統計解析を行った結果、国全体の平均睡眠時間が長いほど健康指標が良くなる、あるいは短いほど悪くなるといった単純な関係は見られませんでした。
例えば、平均睡眠時間が短い日本で心臓病が特に多いとか、長い国で寿命が延びているといった傾向は確認されなかったのです。
むしろ意外なことに、平均睡眠時間が長い国ほど肥満率が高い傾向が示されました。
これは「睡眠不足だと太りやすい」という従来の常識と逆行する結果で、短眠傾向の国だからといって必ずしも国民全体の健康状態が劣るわけではないことを示唆しています。
2.個人レベルの睡眠・健康調査 –
次に研究チームは、世界各地の20か国に住む25~60歳の成人約5,000人を対象に独自のアンケート調査を行いました。
調査は各国で日照時間が同程度となる秋分の週に実施され、参加者それぞれに前夜の睡眠時間や普段の平均的な睡眠時間(昼寝を含む)を自己報告してもらいました。
また、自身の身体的・精神的な健康状態(持病の有無や気分の状態、生活満足度など)や、「自国ではどれくらい眠るのが理想的だと思うか」といった認識についても回答してもらったのです。
この個人レベルのデータを分析した結果、いくつかの重要な知見が得られました。
まず、睡眠時間が長めの人ほど健康状態が良い(持病が少なくメンタルも安定している)という傾向が確認されました。
しかしその関係は直線的ではなく、睡眠時間が長くなりすぎると健康状態が再び悪化に転じることも明らかになりました。
言い換えれば、睡眠と健康の関係は「睡眠不足も睡眠のとりすぎも良くない」というU字型(曲線)のパターンを示したのです。
適度に睡眠をとる人が最も健康状態が良く、極端に少ない場合も多すぎる場合も健康リスクが高まる——これは以前から指摘されてきた傾向ですが、本調査でも裏付けられました。
さらに注目すべきは、健康にとって理想的(最適)な睡眠時間は国ごとに異なっていたという点です。
各国のデータについて、睡眠時間と健康指標との関係を分析すると、それぞれの国において健康度(自己申告による全体的な健康感やメンタルの指標など)が最大となる「最適な睡眠時間」が存在しましたが、その長さは国によってばらつきがありました。
興味深いことに、この理想的な睡眠時間はいずれの国でも、その国の平均実睡眠時間よりも少なくとも1時間長い値となっていました。
言い換えれば、どの国の人々も現在の平均よりもう1時間多く眠れたほうが、本来は健康によい可能性があるということです。
上の表にもあるように、日本の場合は平均睡眠時間が6時間18分なので、理想的な睡眠時間の推定値は7時間18分となるわけです。
(※これはフランスの場合(平均7時間52分、理想8時間52分)と国が違うだけで大きく異なります。)
実際、本調査では参加者たち自身も「理想的には現在よりもう少し長く眠りたい(眠るべき)」と感じている傾向があり、多くの国で慢性的な睡眠不足が生じている実態もうかがえました。
もう一つの重要な発見は、自分が属する文化圏で「適切」とされる睡眠時間に近いほど健康状態が良好になるという傾向です。
わかりやすく言えば、「○○国では大人はだいたい◯時間くらい寝るのが望ましい」といった社会通念に対し、自分の実際の睡眠時間がその理想に近い人ほど、持病の少なさや精神的な安定度など健康面の指標が高かったのです。
例えば、日本の文化圏で「大人は7時間睡眠が理想」という認識を持つ人であれば、自身もほぼ7時間眠れている場合に健康状態が良い傾向が見られました。
反対に周囲の理想とかけ離れた短眠・長眠の人は健康度が低めでした。
この結果は、睡眠においても各文化に根付いた習慣や規範に沿った生活を送ることが健康に寄与しうることを示唆しています。
“8時間の呪縛”を解け:睡眠ガイドラインはローカルメイドへ

以上の結果から明らかになったのは、「1日8時間眠るのが万人にとって最善」という画一的な常識にとらわれず、文化ごとの状況に合わせて睡眠を考える必要性です。
研究チームのクリスティン・ウー氏は「理想の睡眠時間は、その人が属する文化圏で『適切』だとみなされる睡眠時間と一致する」と指摘しています。
つまり、文化的に共有された「これくらい寝るのが普通」という基準と自分自身の睡眠パターンが合致しているほど、心身の調子も良くなるのかもしれません。
なぜ文化と健康がこのように結びつくのでしょうか?
研究者たちは「日本人がフランス人よりも90分ほど平均睡眠時間が短いのに健康でいられるのは、深い眠りやREM睡眠などのステージの振り分け方が異なる可能性がある」という仮説を示唆しています。
まだ詳細は分かっていないものの、「短い時間でも質の高い睡眠を得る」文化的習慣や身体的適応が存在するのかもしれません。
他にも考えられる理由として心理的な要因と社会的なリズム要因の両面が考えられます。
まず心理的側面では、周囲の人々と同じくらい眠れていれば「ちゃんと休めている」という安心感や満足感につながり、逆に自分だけ睡眠不足だったり寝過ぎだったりすると罪悪感や不安を感じることがストレスとなる可能性があります。
実際、「社会の規範に沿った振る舞いをしているとき、人はより健康だと感じやすい」という指摘もあります。
次に社会的リズムの側面では、極端な短眠や長眠によって生活リズムが周囲とズレると、たとえば通勤・通学や勤務時間といった日常のスケジュールに支障をきたし、そのミスマッチがストレスや健康悪化を招きうるでしょう。
現代社会では公共交通機関の動く時間帯や職場の始業時間など、何かと「みんなが起きていること」を前提に生活環境が整えられています。
自分だけ睡眠習慣が周囲と大きくずれていると、社会生活で追加の困難や負担が生じるのは容易に想像できます。
一方で、今回の研究が示したように人々の睡眠パターンはどの国でも理想より短めであることから、文化に適応するといっても現実には全体的な睡眠不足が広がっている可能性があります。
これは裏を返せば、世界的に見て睡眠をもう少し増やす余地(=健康を向上させる余地)があることを意味しており、公衆衛生の観点から重要な示唆と言えます。
今回の成果は、文化という視点を取り入れることで睡眠と健康の関係に新たな光を当てました。
従来は個人単位で「○時間眠る人は病気になりにくい」などと言われてきましたが、そうした知見をそのまま国同士で比べると当てはまらないケースがある(=国レベルの平均値から安易に結論を出すのは誤り)ことも示されています。
これからは各地域の文化や生活実態に合わせて、柔軟で多様性のある健康ガイドラインを考案していく必要があるでしょう。
実際、ハイン教授は「一般的な『8時間睡眠』というアドバイスも、文化的背景に合わせて調整する必要がある。万人に当てはまる“一律の理想睡眠時間”など存在しない」と強調しています。
睡眠という普遍的な生理現象にも文化の影響が及ぶという視点は、人々の健康管理や医学的助言に新たな展開をもたらすかもしれません。
今後は社会文化的な要因を考慮した上で、各国・各地域に適した睡眠のとり方や改善策を模索していくことが期待されます。
元論文
Healthy sleep durations appear to vary across cultures
https://doi.org/10.1073/pnas.2419269122
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部