フランスのトゥールーズ大学(UT)を中心とする国際的な研究チームによって、地球温暖化の進行にともない炭素を大量に蓄える湿地や泥炭地からのCO₂排出量が増えるという懸念に、思わぬ救世主が現れる可能性が示唆されました。
その“意外なヒーロー”とは、シアノバクテリアや藻類などの微細な光合成生物です。
目には見えないほど小さな生き物たちが、大規模な実験とシミュレーションにより、実は地球全体の炭素収支を大きく左右しうると考えられるようになったのです。
研究では制御された条件次第では藻類の二酸化炭素吸収量が放出量を上回るケースも確認されました。
もし本当に、これらの微細藻類が温暖化によるCO₂排出の一部を相殺してくれるのだとしたら、私たちの未来にどのような影響を与えるのでしょうか?
研究内容の詳細は『Nature Climate Change』にて発表されました。
目次
- 意外な救世主は“微生物”?泥炭地を巡る温暖化の新シナリオ
- 藻類の増殖が二酸化炭素排出を相殺できる
- 炭素放出と吸収の綱引き:小さな藻類が握る未来の鍵
意外な救世主は“微生物”?泥炭地を巡る温暖化の新シナリオ

北半球の寒冷かつ湿度の高い地域には、「湿地」や「泥炭地」と呼ばれる独特の生態系が点在しています。
これらは一見地味に見えるかもしれませんが、実は「地球上で最も膨大な炭素を貯蔵している場所のひとつ」といわれるほど重要な存在です。
どうしてそんなに炭素をため込めるのかというと、長い年月にわたり、植物や微生物の遺骸が酸素の乏しい状態で分解されにくく、次々と堆積してきたから。
こうして生まれる“泥炭”には、何百年、何千年という気の遠くなるような時間をかけて蓄えられた炭素がたっぷり含まれています。
従来、湿地や泥炭地での炭素貯留は、コケ類や湿地性の高等植物が光合成を通してCO₂を取り込み、それが土壌に蓄積する、というメカニズムが主に注目されてきました。
ところが近年になり、シアノバクテリア(=藍藻)や藻類のような、目に見えないほど小さな光合成微生物もまた、“意外な炭素固定者”として脚光を浴び始めています。
これらの微細生物は、泥炭地の地表や浅い水中で少しずつではあるもののCO₂を吸収し、自らのバイオマスとして炭素を取り込む働きを担っているのです。
肉眼では確認が難しく、コケや植物に比べると地味な存在ではありますが、長い目で見れば無視できない量の炭素を閉じ込める可能性がある——ここが近年の研究が注目する大きなポイントです。
しかし、気候変動によって地球全体の気温が上昇すれば、この“炭素貯蔵庫”としての泥炭地が必ずしも安泰ではないという懸念もあります。
温暖化が進むと、泥炭や有機物を分解する微生物たちの動きが活発になり、せっかく長期間かけて溜まった有機物が一気に分解されてCO₂を放出してしまうかもしれないからです。
とりわけ北方の寒冷地域では、これまでの低温環境で分解が抑えられていたぶん、一度気温が上がると想像以上の速さで炭素が失われるシナリオも考えられます。
一方で、温度が上昇することで、微細藻類やシアノバクテリアといった光合成生物の活動が加速し、むしろCO₂吸収量を増やす余地もあるのではないか、という見方も存在します。
つまり、“泥炭地が温暖化で炭素を放出する未来”と“微細藻類の光合成がさらに活発化して炭素を取り込み続ける未来”が同時に予想され、どちらが現実化するのかが大きな謎として残っていたのです。
そこで、ヨーロッパ各地の研究者たちは、まさにその謎に挑むべく大規模な実験を企画しました。
ヨーロッパの代表的な泥炭地から「土ブロック(メソコスム)」を切り出し、それらを異なる気候条件の地域へ交換移植してみるという方法です。
この結果は、北半球の他の泥炭地にも適宜外挿する形で、将来的な炭素収支がどれほど変化するかを推定するうえで大きな手がかりとなっています。
藻類の増殖が二酸化炭素排出を相殺できる

調査に当たっては、フランスの湿地から切り取った土のかたまりを遠くスウェーデンへ運び、逆にスウェーデンの土ブロックをフランスへ送るなど、まるで土ごと“気候帯を越える旅”をさせるという大胆な試みが行われました。
ブロックには排水を最小限にする仕掛けを施し、ほぼ自然環境に近い条件のまま気温や水分の変化にさらします。
研究チームは季節ごとに日射量や土壌の水分量、土の中の微生物の種類などを調べ、「気温が1℃上がったら、微細藻類はどれだけCO₂を取り込むか」「分解バクテリアはどれだけ排出するか」を緻密に追跡しました。
すると、1℃の上昇だけで微細藻類が取り込む炭素量が数mg/m²/hレベルで増加することがわかり、条件次第ではCO₂吸収が分解による排出を上回り得る可能性が示唆されました。
ただし、水分条件が合わない時期にはこの“プラスの効果”が弱まる現象も確認され、乾燥や過湿の度合いが大きく影響することも判明しています。
さらに研究グループは、こうした数値を北半球の泥炭地全体に当てはめたシミュレーションを行い、最悪の温暖化シナリオ(SSP 5-8.5)でも微細藻類の光合成が将来のCO₂排出の一部を相殺しうる、と結論づけています。
そして何より革新的なのは、この実験によって「実際の野外で土壌ごと気候帯を変える」という手法そのものが、微細生物コミュニティの複雑な応答を可視化したことです。
気温・水分・生物相など多層的な要素を同時に観察し、その総合的なバランスを探るやり方は、温暖化下の炭素循環モデルを大きく書き換えるヒントを提供すると期待されています。
炭素放出と吸収の綱引き:小さな藻類が握る未来の鍵

これまで、多くの科学者は「泥炭地が温暖化の進行によって急速に崩壊し、大量の炭素を放出してしまうかもしれない」と警鐘を鳴らしてきました。
実際、気温が上がれば微生物の分解活動が活発化し、長い年月をかけて蓄えられた泥炭の有機物が一気に分解され、CO₂として大気へ飛び出してしまうリスクは否定できません。
ところが今回の研究で示唆されたのは、たとえ1℃程度の温度上昇であっても、“微細藻類の光合成が想像以上に強まる可能性がある”という事実です。
微細藻類が勢いを増してCO₂を吸い込み続けるなら、泥炭地が思いのほかしぶとく炭素を抱え込み、“炭素放出を抑える力”を持ち続けるかもしれない——そう考えられるようになってきたのです。
もちろん、夏になれば土壌が乾燥したり、逆に雨が多すぎて光合成に不利な環境になるなど、藻類にとって好条件ばかりが揃うわけではありません。
しかしそれでもなお、「小さな藻類の働きをこれまで以上に真剣に考慮すべきだ」という声が高まっています。
興味深いのは、その“微細藻類の炭素固定”によって生まれた有機物が、バクテリアや原生動物など他の微生物の栄養源となる一方で、土壌内の養分バランスをととのえ、過度な炭素放出を抑えるような正の効果も生む可能性がある、という点です。
つまり、光合成という“取り込み”と分解という“放出”が絶妙にせめぎ合う泥炭地のなかで、たった数度の温度変化や土壌の湿り具合が、炭素収支を大きく左右する鍵となっているのです。
今回の成果は、温暖化下の炭素循環を考えるモデルに新たな光を当てると期待されています。
従来のモデルでは「泥炭地は気候変動の被害者のように炭素を失ってしまう」という点が強調されがちでしたが、微細藻類による積極的なCO₂固定が加われば「状況によっては炭素の吸収源になりうる」というシナリオがいっそうはっきりと見えてくるからです。
さらに、コケ類や高等植物を中心とした従来型の保全策だけではなく、“微生物の多様性やバランスをどう守り、どう育てるか”が長期的な炭素蓄積のカギになる、という新しい視点も浮上してきました。
目にはほとんど見えないほど小さい微細藻類が、大規模な気候メカニズムに深く関与し、あるときは炭素の放出を緩和してくれるかもしれない——そう考えると、ひとつの湿地、ひとつの泥炭地の中に、私たちが気づかないまま“未来を左右する可能性”が眠っているように感じられます。
元論文
Microbial photosynthesis mitigates carbon loss from northern peatlands under warming
https://doi.org/10.1038/s41558-025-02271-8
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部