三重大学で行われた研究によって、ダウン症の根本原因となる「余分な21番染色体」を、最新のゲノム編集技術であるCRISPR-Cas9を使って細胞から取り除くことに成功しました。
このニュースは、これまで不可能とされてきた「染色体そのものを削除する」という発想を実現し、医療や科学の世界に新たな希望をもたらしています。
研究チームは、ダウン症の人から作製した細胞に特別な“遺伝子のハサミ”を使って余計な染色体を狙い撃ちし、細胞のはたらきを正常に近づけることに成功しました。
遺伝子発現の乱れや細胞の機能不全を引き起こす原因を直接解消できる可能性は、ダウン症の合併症の予防や改善への道を開くだけでなく、新しい「染色体治療」という概念を提示する大きな一歩となりそうです。
研究内容の詳細は2025年2月18日に『PNAS Nexus』にて公開されました。
目次
- ダウン症とは? 700人に1人が抱える染色体の異常
- ダウン症の「余分な染色体」の排除でなにが変わる?
ダウン症とは? 700人に1人が抱える染色体の異常

ダウン症は、ヒトの21番染色体が1本多く(合計で3本)なってしまう先天的な染色体異常です。
世界的にはおよそ700人に1人の割合で生まれるとされ、最も一般的な染色体異常のひとつとして知られています。
ダウン症のある方は、知的発達障害をはじめ、心臓を含むさまざまな合併症を経験する場合が多く、一生を通して支援やケアが必要になることも少なくありません。
特に顔の骨や軟骨、筋肉の形成を司る遺伝子が過剰に発現するため、顔の発育パターンが通常とは異なり、独特な形状が生じます。
その結果、目が小さく、鼻が低く平坦になり、口元や耳の位置に特徴が現れるなど、ダウン症候群に特有の顔立ちが形成されることがあります。
これらの異常は、余分な染色体により、21番染色体上の多くの遺伝子が通常以上に働き、細胞内でのシグナル伝達や成長因子のバランスが乱れることが原因と考えられています。
近年は医療技術の進歩によって、心臓手術などの外科的治療が飛躍的に向上し、ダウン症のある人の平均寿命は伸びてきました。
しかし、21番染色体が多いという根本原因そのものを取り除く方法は長らく存在せず、日常生活の支援や合併症への対処が中心でした。
出生前検査が広く行われるようになった一方で、ダウン症のある人々の数は世界的にも増えつつあり、社会全体でのケアや支援の必要性が高まっています。
こうした中、ゲノム編集技術のひとつ「CRISPR-Cas9」は、DNAを狙った場所で切断できることで、がん研究や遺伝病の治療分野などで注目を集めてきました。
今回の研究は、この最先端技術を応用して「余分な21番染色体を細胞から取り除く」という、大胆かつ根本的なアプローチを試み、ダウン症の治療や理解に新たな可能性を示した点が大きな注目を集めています。
ダウン症の「余分な染色体」の排除でなにが変わる?

研究グループは、まずダウン症の方の皮膚から採取した細胞を使ってiPS細胞(あらゆる細胞へ分化できる万能細胞)を作製しました。
次に、最先端のゲノム編集技術であるCRISPR-Cas9を用い、余分な21番染色体だけを狙って切断できるように細かく設計された“ガイド”を細胞内に導入しました。
通常、ヒトの細胞には21番染色体が2本ありますが、ダウン症の細胞には3本あるため、研究チームは「3本のうち特定の1本を切り落として細胞から排除する」戦略をとったのです。
実験では、複数箇所を同時に切断するほど除去率が高まり、細胞によってはおよそ4割近い頻度で余分な21番染色体が消えてしまうことが確認されました。
さらにDNAの修復に関わる遺伝子を一時的に抑える処置を加えると、染色体の消去効率をさらに高められることも分かりました。
また、iPS細胞だけでなく、すでに分化を終えた皮膚の線維芽細胞でも、余分な染色体を取り除く結果が得られたのです。
これは「細胞分裂が活発な細胞に限らず、成熟した細胞でも染色体の数を変えられる」という点で、大きな驚きと可能性を示唆しています。
また余分な21番染色体を取り除いた細胞を詳しく調べると、遺伝子がどのように働いているかを示す「遺伝子発現パターン」や、活性酸素の処理能力などが、通常の細胞と同じような状態へと近づいていることがわかりました。
ダウン症の細胞では、本来2本である21番染色体が1本余計にあるため、そこに含まれる多くの遺伝子が過剰に働き、結果として細胞の機能に様々な影響を与えます。
しかし、今回の方法でその“余計な1本”が消えたことで、過剰だった遺伝子の働きが調整され、細胞の振る舞いが正常に戻る兆しを見せたのです。
この成果は、将来的にダウン症の根本原因そのものへアプローチする可能性を広げるだけでなく、合併症を予防・軽減できる道筋となるかもしれません。
たとえば、ダウン症の方によく見られる心臓の病気や、成人期にリスクが高まるアルツハイマー病のような神経変性などの問題に対して、病気の進行を遅らせたり、発症を抑えたりできる可能性も考えられます。
さらに、細胞レベルで“正常化”の効果が確認されたことは、臨床応用への重要な一歩であり、「染色体治療」と呼ばれる新しい治療アプローチの実現に向けた大きな期待を抱かせる結果となっています。
ただ実際に医療現場へ応用するには、動物やヒトを対象とした安全性や有効性の検証、効率をより高めるための技術改良など、まだ多くのハードルが残されていることも事実です。
ゲノム編集そのものが持つリスク――たとえば意図しない場所のDNAを切断してしまうなど――を最小限に抑える工夫もさらに必要となるでしょう。
それでも、今回の研究が提示した「染色体を取り除いて細胞を正常化させる」という考え方は、ダウン症にとどまらず、他の染色体異常やがん細胞の研究など、幅広い分野への応用可能性を秘めています。
研究チームは今後、より安全かつ精度の高い手法を探究しながら、将来的に臨床での利用を見据えた一歩を踏み出していくと期待されます。
もしもこの技術が実用化されれば、多くの方々にとって、全く新しい選択肢と希望がもたらされるかもしれません。
参考文献
ダウン症候群の人の細胞から余分な21番染色体を除去 /ゲノム編集技術CRISPR-Cas9を用いた革新的な手法の開発
https://www.mie-u.ac.jp/R-navi/release/cat456/21-crispr-cas9.html
元論文
Trisomic rescue via allele-specific multiple chromosome cleavage using CRISPR-Cas9 in trisomy 21 cells
https://doi.org/10.1093/pnasnexus/pgaf022
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部