毎日、私たちは周囲の人々の表情を見て、その感情を読み取っています。
しかし、もしあなたが標高の高い場所で生活すると、この能力が鈍くなるかもしれません。
中国科学アカデミー(CAS)の最新研究で、高地に住み続けると、顔の感情を識別するスピードが遅くなる可能性があることが明らかになったのです。
この研究では、高地と低地に住む大学生の脳波を比較することで、顔の感情処理にどのような違いが生じるのかを詳しく調査しました。
研究の詳細は2025年2月13日付で科学雑誌『Neuroscience』に掲載されています。
目次
- 標高が高いと感情を読み取るのが遅くなる?
- 表情を読めないことが「うつ病リスク」に繋がっている?
標高が高いと感情を読み取るのが遅くなる?
日常生活では、私たちは瞬時に他人の表情を読み取り、その人が喜んでいるのか、悲しんでいるのか、怒っているのかなどの感情を判断します。
たとえば、職場で同僚が笑顔だったら安心し、しかめっ面だったら機嫌が悪いのかもしれないと推測するでしょう。
このような顔の感情認識能力は、スムーズなコミュニケーションに欠かせません。
しかし標高の高い場所に長く住んでいると、この感情認識のスピードが低下する可能性があることが、いくつかの先行研究で示唆されてきました。
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たとえば、高地に住む人々は、幸福な表情を正しく認識するのが難しくなる傾向があることが報告されています。
また、特に感情のない中立的な表情を、実際には存在しない感情として誤認しやすくなることも知られています。
これらの影響は、主に高地での低酸素環境によるものと考えられています。
高地では酸素濃度が低いため、脳への酸素供給が減少し、その結果、認知機能や感情処理能力に影響を与える可能性があるのです。
これまでの研究では、低酸素環境が精神的健康に及ぼす影響についても指摘されてきました。
特に高地ではうつ病や不安症の発症率が高いことが知られています。
高地で生活することが、脳の働きにどのような影響を与えるのか、研究者たちはこの疑問を解明するために、新たな実験を行いました。
表情を読めないことが「うつ病リスク」に繋がっている?
研究チームは今回、高地と低地に住む大学生を比較するため、2つのグループを対象に実験を行いました。
1:高地グループ:標高3,658メートルにあるチベット大学に通う22名の学生。彼らはもともと低地で育ち、成人後に高地で2年以上生活している。
2:低地グループ:標高52メートルの北京の大学に通う24名の学生。彼らは一度も高地で生活したことがない。
参加者には、異なる感情を示す顔写真(幸福、怒り、中立)を見せ、その顔の性別をできるだけ早く識別してもらう課題が与えられました。
実験中、脳波測定(EEG)を用いて脳の活動を記録し、感情認識のプロセスを分析しました。
研究者たちは、特にP1とN170という2つの脳波成分に注目しました。
・P1成分:顔を見てから約100ミリ秒後に発生し、最初の視覚的注意に関与
・N170成分:顔を見てから約170ミリ秒後に発生し、顔の構造的な特徴の認識に関与
そしてデータ分析の結果、高地グループではP1およびN170の振幅が低地グループよりも低くなっていることが判明したのです。
これは高地での生活が顔の認識プロセスを遅くし、感情の識別が鈍くなる可能性があることを示しています。
さらに高地グループでは、幸福な表情に対するN170の反応が弱いことが確認されました。
これは高地環境がポジティブな感情への脳の感受性を低下させることを示唆しています。
このような変化が、高地でのうつ病リスク増加の一因となっている可能性も指摘されています。
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この研究は、高地での生活が脳の働きに影響を与え、感情認識能力を変化させる可能性があることを示しました。
特に、幸福な表情に対する反応が低下することは、高地に住む人々の精神的健康にも関係している可能性があります。
ポジティブな感情を読めなくなっていることが、うつ病や不安症の発症に繋がっているのかもしれません。
今後の研究では、高地へ移住した人の脳がどのように変化していくのかを長期的に追跡する研究が求められます。
もし今後、高地生活による影響を軽減する方法が発見されれば、多くの人にとって有益な知見となるでしょう。
標高の高い場所での生活が、私たちの脳に思いもよらない変化をもたらしているのかもしれません。
参考文献
Living at high altitudes may alter how the brain processes emotions
https://www.psypost.org/living-at-high-altitudes-may-alter-how-the-brain-processes-emotions/
元論文
Long-term high altitude exposure reduces positive bias of facial recognition: Evidence from event-related potential
https://doi.org/10.1016/j.neuroscience.2025.02.024
ライター
千野 真吾: 生物学出身のWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部