1938年10月31日、米ユタ州で恐ろしい実験が行われました。
銃殺刑が執行される直前の死刑囚の心拍数をリアルタイムで測定したのです。
今まさに銃弾を受けようとしている人間の心臓はどのように脈打つのか?
また銃弾が心臓に撃ち込まれると、人間は即死するのか、それともしばらくは生きていられるのか?
こうした疑問は空想では許されても、実際に検証することはできません。
しかしここでは死刑囚自らが「俺の心拍数を測ってもいい」と了承したのです。
この死刑囚の名前はジョン・ディーリング(1898〜1938)、殺人容疑で有罪判決を受けていた男でした。
なぜ彼はこの実験に同意したのか、そして死を目前にした人間の心臓はどのような動きを見せたのでしょうか?
目次
- 死刑囚ジョン・ディーリングの不幸な人生
- 史上初、銃殺刑直前の心拍数を計測する
死刑囚ジョン・ディーリングの不幸な人生
1898年、米イリノイ州シカゴに生まれたジョン・ディーリングの人生は波乱に満ちたものでした。
親の育児放棄により不幸な幼少期を送り、13歳から18歳まで感化院に収容されています。
彼は若い頃から軍隊に入ることを夢見ており、実際にアメリカ合衆国の商船隊入隊したものの、すぐに問題を起こして刑務所に収監され、そこで多くの年月を過ごしました。
ディーリングはのちに「俺は子供の頃から『お前はいずれ捕まって絞首刑になるだろう』と周りに言われていた」と話しています。
結局、彼の荒み切った魂が社会に馴染むことはありませんでした。
1938年5月9日午後9時頃、ユタ州ソルトレイクシティにて、車を盗むために不動産業を営む52歳の男性を射殺。また同年7月29日に強盗を犯し、逮捕されます。
その時点ですでに17年間を刑務所で過ごしていたディーリングは、さらに長い禁固刑を受けることを望みませんでした。
彼の心はもはや「死」だけを見つめていたのです。

8月6日、ディーリングはユタ州の刑務所へ移送されますが、その列車に乗せられる直前にこんな言葉を残しています。
「すべてが虚しいと悟ったよ、死ぬのは怖くない」
ディーリングは男性を射殺して車を奪ったことを後悔していると認め、「裁判のお役所的な手続きは抜きにして、さっさと死刑にしてほしい」と訴えます。
それもあってか異例のスピードで死刑判決が下され、逮捕からわずか3カ月で刑が執行されることになったのです。
人生最後の数週間、ディーリングは自らの人生の罪滅ぼしのためか、模範的な市民になろうとしました。
役所には「子供たちのために公園や体育館をもっと作って欲しい。彼らが健全な活動に集中できるよう、遊びの施設を増やしてあげるべきだ。自分にはできなかったが、子供たちが能力を伸ばせる機会を与えてやってほしい」と手紙を書いています。
また彼は死後に自分の体を医学研究のために提供することを約束しました。
ディーリングはそれについて「俺はようやく一流の教育を受けることができるんだ」と話したといいます。
加えて、彼の体の一部は移植用に使われ、実際にディーリングの目は全盲患者の視力回復に役立ちました。
もう一つ、ディーリングはスティーブン・ベズリー医師の依頼で、ある実験に参加することを承諾します。
それが最初に言った「銃殺刑直前の心拍数を記録する実験」です。
このような実験は史上初めてのことでした。
これはマッドサイエンティストの病的な好奇心を満足させるためではなく、恐怖体験が心臓に及ぼす影響と、心臓が損傷を受けてからどのくらいで死亡するかについて貴重な情報を得るためのものでした。
そしてついにディーリングの刑執行の日がやってきます。
史上初、銃殺刑直前の心拍数を計測する
1938年10月31日、仲間の囚人たちが鉄格子を叩いて騒ぎ立てる中、ディーリングは至って冷静な表情で刑場へと歩いていきました。
椅子に腰掛けると、心拍数を測るための電子感知器が取り付けられました。
執行官がすぐ側で死刑執行令状を読み上げる際も、ディーリングは最後のタバコを吸いながら平然とした態度でそれを聞いていました。
午前6時30分、看守がディーリングの頭にフードをかぶせ、胸に標的のマークを留めます。
少し離れた場所で看守が銃を構えたところで、心電計が静かにディーリングの鼓動を記録し始めました。
彼は冷静な態度こそ崩さなかったものの、心電図は彼の心臓が早鐘のように激しく打ち鳴らされているのを明らかにしました。
安静時の平均心拍数は1分間に約72回でしたが、ディーリングの心拍数はそれをはるかに上回る毎分120回に達していたのです。
執行官がディーリングに最後に何か言いたいことがあるか尋ねると、彼は最後にこう話しました。
「刑務所長が私にとても親切にしてくれたことに感謝したいと思います。さようなら、幸運をお祈りします… さあ、やってくれ」

執行官が発砲を命じた瞬間、ディーリングの心拍数は毎分180回まで跳ね上がっていました。
その直後、4発の銃弾が放たれ、彼の胸に撃ち込まれました。
そのうちの一発が心臓の右側に直撃し、彼の心臓は4秒ほど痙攣したのち、一拍おいてまた痙攣を起こします。
その後、ディーリングの脈拍はゆっくりと遅くなっていき、心臓に銃弾を受けてから15.6秒後に心拍が止まりました。
ところが心臓が鼓動をやめてからも、ディーリングはしばらく椅子の上で身悶えしながら、約1分間ほど呼吸を続けていたのです。
心臓が止まってもすぐに死に至ることはありませんでした。
そして心臓が止まってから134.4秒後にすべての身体機能が停止し、ディーリングに死亡判定が下されています。
1938年10月31日午前6時48分のことでした。
その翌日、この異例の実験は全米の紙面に取り上げられ、そこでベズリー医師がディーリングにある種の賛辞を送っています。
「心電図は彼の堂々とした態度の裏で脈打っていた本当の感情を暴露していました。彼は明らかに死を恐れていたのです。
それでも彼は平静を保ち続けていました」
ディーリングがいくら不幸な境遇に苛まれたとはいえ、当然ながら、罪なき人の命を奪ったことは断じて許されるはずもありません。
しかし極限の恐怖に押し潰されそうになっても、それを表には出さず、冷静な態度を保ち続けた彼の最期には何か目を見張るものがあるのではないでしょうか。
参考文献
1938: The terrified John Deering
https://www.executedtoday.com/2009/10/31/1938-the-terrified-john-deering/
How 2 Bay Area residents ended up with the eyes of a murderer
https://www.sfgate.com/sfhistory/article/Eyes-of-a-Murderer-How-the-eyes-of-an-executed-13297631.php
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
ナゾロジー 編集部